徹底して山形に密着したフリーペーパー

亀松閣 社長 笹原 史恵さん

2020年2月28日
笹原 史恵(ささはら・ふみえ) 1965年(昭和40年)米沢市生まれ。殖産銀行(現きらやか銀行)に勤める父親の転勤で長井市、新庄市、朝日町、山形市、山辺町、寒河江市などで少女時代を過ごし、山形北高へ。山大受験に失敗して殖産銀に就職し、10年務めた後、29歳の時に明治22年創業の老舗料亭「亀松閣」の跡取りだった笹原智美氏と結婚。女将として、料理長で後に社長になる智美氏と夫唱婦随で亀松閣を切り盛り。2017年4月に智美氏は急逝、以後、社長を継いでいる。54歳。
亀松閣 社長 笹原 史恵さん

亡夫と守った老舗料理の伝統
  娘にバトンを渡すのが私の役割

――転勤族だったんだ。
 「転校は小学校で3回、中学校で2回」
――ボクも転勤族で、小学校3回、高校2回。

銀行OLから女将に

 「人見知りしなくなっちゃいますよね(笑)。小学校時代の夢は喫茶店をやること。人と接する仕事がしたかったんでしょう。だから銀行に勤めていた時「料理屋さんの息子さんだけど、会ってみる?」って勧められ、面白そうだなと(笑)」
 「ただ料亭の中なんて全く知らない世界で、大海原にポイと投げ出された小舟のような感じで…。周りの方から細かなしきたりや礼儀作法などを厳しく言われ、落ち込むこともありました」
 「でも、女将の義母はわりあい鷹揚で、何より主人と新しい亀松閣をつくっていくという気概みたいなものが心の支えになってました。主人とはよく将来のことを語り合って、同じ夢を持つ同志のような関係でした」
――ご主人、社長になるの遅かったよね。
 「55の時ですから、今から7年前ですね」

2人で築いた評価

――そのあたりからか料亭の中で亀松閣の評判がグングン上がって。
 「そう言っていただけると。主人は京都の老舗料亭『瓢亭』で修業を積んで家業を継いだものの、当初は京風の味が山形では受け入れられず、思い悩んだことも。試行錯誤の末に行き着いた料理が『伝統と斬新さの融合』という評価をいただくようになって」
――そのご主人が3年前に急逝されて。

悲しみを乗り越えて

 「突然のことで目の前が真っ暗に。病気らしい病気なんてしたことがなかった人でしたから」
 「ただあの時、主人を追悼する記事をやまコミさんに掲載していただいて、それを読んだ大勢の知らない人からも激励の声をいただいて。あの時は有難うございました」
――そう言っていただけると(苦笑)。娘さんが2人いらして、いずれ家業を継いでくれると。
 「下の娘が主人と同じ『瓢亭』で修業していて、来年3月で3年経つのを機に戻ってきます。上の娘は同じ京都の老舗料亭『嵐山吉兆』で女将修業中で、戻るのはその2年後でしょうか」
――それまで五木ひろしが頑張らないと(笑)

笑うと五木ひろし?

 「笑うと似てると言われて(笑)。お店の方は大宴会は減りましたが、ご家族の会合、長寿祝い、お食い初めなどにも利用していただいて、何とかやってこれてます」
――いずれ婿取りも。
 「経営者になる上の娘には、私と主人がそうだったように、同じ夢を持つパートナーを選んでほしいですね」