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若松寺のトリビア

2007年6月22日
「めでためでた〜の若松さまよ〜」という花笠音頭の一節で有名な天童市の鈴立山若松寺が来年、開山1300年という大きな節目を迎えます。県内では山形市の山寺、鶴岡市の湯殿山神社などに比べやや地味な存在ですが、縁結びの観音様として全国的には「西の出雲、東の若松」と出雲大社と並び称されるほど霊験あらたかなお寺なのです。というわけで、今回は若松寺のトリビア——。
若松寺のトリビア
若松寺1
永久の秘仏 聖観世音菩薩!

  標高400メートルの若松寺山門へはJR天童駅から車で約15分。国道13号から山道を登ることおよそ10分で到着します。途中、徒歩20分で境内に至る古参道もあります(写真右)。
 紙面スペースの都合上、行基(人物1)による開山の経緯や「鈴立山」「若松寺」の名称の由来は12ページの「編集長インタビュー」を御参照ください。
 仏像を彫刻する際、一刀を入れるごとに三度礼拝する一刀三礼の手法で行基が完成させた聖観世音菩薩ですが、行基が他見を禁じたため、永久の秘仏になっています(!?)。このため参拝者を迎えてくれるのは江戸時代の天明年間に奉納された聖観音立像です。
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中興の祖は円仁さん

 中興の祖とされるのが山寺を開山した円仁(人物2)。地元銘菓「円仁さん」で知られるお茶目なイメージですが、実は大師第1号となる「慈覚大師」の称号を受けたエライお坊さんだというのは第9号の特集「山寺のトリビア」で紹介しましたね。
 その円仁が平安時代の貞観2年(860年)、鈴立山の頂上付近にあった御堂を現在の地に移し、造営工事を施して今の伽藍配置にしました。
若松寺のトリビア
最上33観音の1番札所!

 山形の母なる川といえば最上川。この最上川に沿って南は上山市から北は真室川町まで、若松寺と同様に行基を祖とする33の観音霊場が点在しており、これらは『最上33観音』と呼ばれています。
 室町時代に入ると、四国の「金比羅参り」に代表される西国の観音巡礼信仰が東国にも伝播し、最上33観音巡礼の人気もにわかに高まりました。その出発点(1番札所)がここ若松観音若松寺です。
 ちなみに県内では最上33観音が特に有名ですが、置賜33観音、庄内33観音もあります。
若松寺のトリビア
なぜ1番札所なの?

 山形市の礎を築いた人物といえば斯波兼頼(人物3)。その兼頼から5代目にあたる山形城主・最上頼宗に光姫という一人娘がいました。
 この光姫というのが傾国の美女で、話は長くなるので省略しますが、要は横恋慕する武将を死に追いやってしまいます。
 で、世をはかなんだ光姫は白衣に身をつつんで最上33観音巡礼の旅に出るのでした。最初に立ち寄ったのが若松寺で、これが1番札所になった理由とされています。
 この話が喧伝され、その後に山形城主になった最上義光(人物4)が江戸時代初期に大改修を施して現在に至っています。

宿命のライバル?若松寺 VS 山寺

 さて、円仁つながりの若松寺と山寺。同じ天台宗の寺院ですが、開山の歴史では100年以上も差があるにもかかわらず、観光客数では若松寺は山寺の後塵を拝しています。かの松尾芭蕉も山寺には登ったものの、若松寺には来てくれなかったし…。
  実際、花笠音頭のフレーズは広く浸透していますが、「若松さま」を会津若松市とか、北九州市の旧若松市と勘違いしている人も少なくないそうで、その実力に比して知名度はいまイチ。交通アクセスや駐車場スペース、土産物店の数など、多くの点で山寺に比べると若松寺にハンデがあるようです。

縁結びと縁切り

 ここで再確認——。若松寺は縁結びの寺、山寺は縁切り寺です。山寺でクサレ縁を断ち、気分一新して良縁を求め若松寺に足を運びましょう。もともとは山寺から雨呼山を経て若松寺に至るルートは「奥山駆け」と呼ばれる天台修験の道でもあります。

胸に迫るムカサリ絵馬

 めでためでたの若松さまですが、裏腹の側面も。未婚のまま死んだ親族を悼み、冥土で1人では寂しいだろうと、縁結びで知られる若松寺には模擬結婚式の風景を描いた「ムカサリ絵馬」が数多く奉納されています(写真右)。
 ムカサリとは山形の方言で婚礼のこと。ムカサリ絵馬は古くから続く山形独自の風習で、同様の追善供養として青森の「婚礼人形」が知られています。
 先の戦争でなくなったのか、軍服姿のりりしい若者や、大正時代に死亡している親族を平成になって奉納した絵馬もあります。もともとは県内の奉納が大半だったそうですが、全国でも稀有な風習が伝わるにつれ、北海道から九州・沖縄まで問い合わせや奉納が相次いでいるそうです。

住職は派遣?

 寺院には必ず住職さんがいて、全国的には世襲されるケースが多いのですが、ここ若松寺は別。若松寺がある天童市山元地区の中に若松(わかまつ)という集落があって、ここに若松寺の維持管理にあたる12の寺があります。
 若松寺の住職はこの12の寺の住職の中から選ばれる仕組みになっており、いわば派遣(!?)。ちなみに現在の住職、氏家榮脩さんの本務は本寿院の住職だとか。原則、火曜と金曜が「出勤日」だそうです。
 何人かの候補の中から選ばれるというと、ついつい「多数派工作」→「札束が飛び交う」などといった下世話な想像をしてしまいがちですが、過去も現在も民主的、平和裏に選ばれているそうです。

記念イベントも目白押し

 開山1300年を記念したイベントも目白押し。まず7月10日は「四万八千日大功徳日」。この日に参拝すると4万8000日の日参に等しいご利益が頂けるそうです。
 7月14日から10月7日にかけて県立博物館で催されるのが特別展「若松寺の歴史と遺宝」。「金銅聖観音像懸仏」(写真右)、「板絵著色神馬図」の国重要文化財のほか、県や市の有形文化財が多数展示され、必見の内容!
 特に「金銅聖観音像懸仏」は大きさ、優れた仕上がりで全国に知られており、天台宗開宗1200年を記念して昨年4月に東京・上野の東京国立博物館で開かれた「最澄と天台の国宝」展に山形県から唯一出品された「お宝」です。

◆人物◆
若松寺のトリビア
1.行基(668〜749) 奈良時代の僧。河内国(現在の大阪府)に生まれ、官大寺で法相宗などの教学を学び、関西地方を中心に貧民救済や治水、架橋などの社会事業に貢献した。745年、朝廷から日本最初の大僧正の位を贈られている。


2.円仁(794〜864) 平安時代の僧。下野国(現在の栃木県)に生まれ、15歳で比叡山延暦寺に入り最澄の弟子に。61歳で延暦寺の第3世天台座主(住職)に就き、東北地方での寺院建立にも力を注いだ。71歳で死去後、朝廷から「慈覚大師」の称号を賜る。


3.斯波兼頼(1316〜1379) 南北朝時代の武将。延文元年(1356年)、足利幕府の命により羽州探題として山形に入部、翌年に山形城を築いて現在の山形市の基礎をつくった。兼頼の子孫は最上氏を名乗り、267年13代にわたって山形を治めた。


4.最上義光(1546〜1614) 最上義守の嫡男として山形城で生まれる。関ケ原の合戦後57万石の大大名になり、内政に力を入れた。ただ権謀術数の武将というイメージが強いほか、NHK大河ドラマの主人公・伊達政宗や直江兼続と争うなど一般的には敵役のキャラ?