内科あれこれ/人工透析中止問題
2019年3月22日
腎臓病(じんぞうびょう)を持つ患者に医師が人工透析治療をやめる選択肢を示し、中止に同意した患者が死亡した問題が波紋を広げています。私は透析の専門医ではありませんが、医師としての立場から所見を述べたいと思います。
治療で通常の生活が
最初に疑問に思ったのが、なぜ医師から中止の選択肢を示したのかという点です。確かに透析治療は苦しい。週3回、1回3~5時間ベッドに寝かされ、血管痛や頭痛を伴う苛酷な治療です。治療費もかかります。
それでも治療の先には仕事、家事、趣味と普通の人と変わりない生活が送れます。苦痛を乗り越えて自己実現を目指すことが可能なのです。医師は苦痛の軽減に配慮し、時には叱咤激励するのが使命だと考えます。

がん・認知症の場合
また、この事例が終末期医療や緩和ケアと混同されかねないのが心配です。
例えばがん患者や認知症患者の場合、治療を続けても寿命を延ばす効果が期待できない時に、医師が患者に治療中止の選択肢を示すことはあります。本人に苦痛とならない範囲で治療を行う「看取(みと)り」も考えられます。
終末期治療との違い
その場合もがんや認知症の治癒が期待できず、治療が患者に苦痛を与えるだけというのが大前提です。人工透析が必要な腎臓病は確かに治癒は期待できませんが、人工透析はより良い生活をもたらす手段であり、終末期医療でも延命治療でもありません。
医師の務めとは
医師として患者さんが苦しむのを見るのはつらいものですが、その先に未来があるのならその手助けをするのが医師の務めだと思います。
独りよがりの基準で治療を行うことは厳に慎むべきと考えます。


きくち内科医院 院長
菊地 義文
プロフィール
● (きくち・よしふみ)1985年(昭和60年)東北大学医学部卒業。同大医学部第三内科を経て96年に山形市立病院済生館へ。2013年4月に「きくち内科医院」開院。
菊地 義文
プロフィール
● (きくち・よしふみ)1985年(昭和60年)東北大学医学部卒業。同大医学部第三内科を経て96年に山形市立病院済生館へ。2013年4月に「きくち内科医院」開院。