山形の誇り/嗚呼(ああ)東北ダービー

この日、仙台市のユアテックスタジアムに詰めかけた観衆は約1万7000人。モンテの応援には約5000人が駆けつけてヒートアップ、終始スタンディング状態での応援でした。
試合後、うなだれる選手たちにゴール裏からは「ありがとう!」「頑張った!」と健闘をたたえる声が多かった一方、「ダービーなのになんで負けたんだ!」と悔しさや怒りをあらわにする声も。それもこれも因縁のダービーのなせる業なのでしょう。
東北ダービーの歴史をひも解くと、東北社会人サッカーリーグでモンテの前身のNEC山形と仙台の前身の東北電力サッカー部が最初に対戦した1989年にさかのぼります。
その後に発足したジャパンフットボールリーグ(JFL)でも両チームは激突を繰り返します。当時活躍していたのは山形では手倉森誠・浩兄弟、仙台では西ドイツ代表のリトバルスキーら。 東北リーグとJFL時代は山形が8勝3分け3敗と仙台に大きく勝ち越しています。

忘れられないのが、ともにJ2に所属していた2001年。4試合のダービーで1試合も仙台に勝てず、最終戦で仙台に勝ち点を逆転されJ1昇格を許してしまいます。ダービーで1勝さえしていれば山形が先に昇格を果たしていました。
それから山形は「J2の門番」と揶揄(やゆ)される長い時代が続きます。仙台が04年にJ2に降格してダービーは復活しますが、山形は4年間勝ち越せず。初めて勝ち越した08年、山形は初のJ1昇格を果たすのでした。
いつの時も切所(せっしょ)で山形の前に立ちはだかるのは仙台でした。今回の天皇杯もそうですが、〝東北の雄〟になるにはダービーを制することが不可欠なのです。

1975年南陽市生まれ。96年からモンテ応援団体「クラージュ」に参加、応援リーダーや会長を務める。現在はゴール裏応援団体連合「ULTORAS ACMY」代表。