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旬菜四季ひろぜん 取締役 西田 泰子さん

2017年11月10日
西田 泰子(にしだ・やすこ) 1947年(昭和22年)川西町生まれ。地元高校から女子栄養短大(東京)に進み、卒業後、首都圏での会社勤務を経て26歳で帰郷。蔵王のホテルから上山温泉の旅館「古窯」に転じ、予約・フロント係から支配人まで上り詰めた後、2000年にご主人と2人で山形市の霞城セントラル24階に「旬菜四季ひろぜん」を開業。現在は市内に3店の飲食店を展開する。農業や地域振興にも造詣が深く、JA山形おきたま理事、白鷹町アルカディア財団理事も務める。70歳。
旬菜四季ひろぜん 取締役 西田 泰子さん

多くの人に助けて頂きました
 ご縁の大切さを痛感しています

――西田さんとも長いお付き合いですよね。
 「南栄町にいらした時からですから、もう10年以上になりますかしら」

旧家の末っ子

――確か、川西町の旧家のお嬢様だったと。
 「4人兄弟の末っ子でした。末っ子のことを置賜では『つるたごみ』と言いますが、甘やかされたというか、大事に育ててもらいましたね。東京の短大に行く時も、母は反対しましたが、父が背中を押してくれました」
 「卒業後も東京が水にあったのか、直ぐには実家には戻らず。その間、実家からは「早く結婚しろ」と矢のような催促。お見合いは13回しました。結果?3回断られ10回お断りしました。10勝3敗ですね(笑)」
 「26で実家に戻って和裁、お茶と花嫁修業の毎日。でも次第に『自分の人生は自分で切り開きたい』と漠然と思うようになったんですね」
 「そんな時、蔵王のホテルで標準語が話せる電話交換手を探しているという話を聞いて。東京に8年いたので、これなら自分でもできるかなと」

ホテル、旅館に転じ

 「そこで主人と知り合って29で結婚。その後、古窯さんに移って31で出産。古窯さんの経営者には可愛がっていただいて、責任ある仕事をさせていただきました」
 「ただ古窯さんを去る時、景気が振るわなかったとはいえ自分の力が至らなかったことには忸怩(じくじ)たる思いもあります」
――辞められる時点で「ひろぜん」の話はあったんですか?

「ひろぜん」開業へ

 「全然。私はケジメとして責任をとったつもり。ある人に紹介されて『ひろぜん』の話をいただいたのはその後です」
――その後もご苦労が絶えなかったとか。
 「そうですねえ。でも努力していれば必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれました。ご縁の大切さをつくづく感じます」
――そういえば南栄町時代にお会いした息子さん、ご結婚されたとか。
 「おかげ様で昨年秋に良縁に恵まれました。これもある方に取り持っていただいて。1人息子ですが、夫婦で仕事に追われていたもので、小さいころは寂しい思いをさせたんじゃないかと」

待望のお嫁さん

 「待ちに待った嫁が、これができた嫁!私たち夫婦は嫁ではなく娘と思って接していますが、実にさばさばしていて素直。これまでの一家3人の生活に自然な形で1人加わった感じですね」
――同居されてるんですか?
 「そうですよ」
――お孫さんができれば三世代同居ですか。
 「それまで頑張らないとですね」