徹底して山形に密着したフリーペーパー

酒菜一(山形市) 代表 酒井 貞昭さん

2017年9月22日
酒井 貞昭(さかい・さだあき) 1965年(昭和40年)山形市生まれ。山形市立1小、同1中、同山形商業を卒業後、首都圏で就職。5年後にUターンし、2004年にJR山形駅前に地酒と郷土料理を提供する「酒菜一」を開業。13年9月にはJR東京駅八重洲口の商業施設エリア・グランルーフに「山形酒菜一」を出店。山形駅前はながさ通り飲食店組合理事長も務める。52歳。
酒菜一(山形市) 代表 酒井 貞昭さん

東京店も4年目で軌道に
  山形の酒を全国に伝えたい

――貴族顔だよねえ。
 「初めて言われます」

先祖は酒井忠次?

――ルーツは徳川四天王の酒井家だとか。
 「ただボクの家は分家も分家。最後の上山藩主だった藤井松平家にくっついて山形に流れてきた酒井家だと聞いてます」
――第一貨物の社長の武藤さん、知ってる?
 「存じ上げません」
――武藤さんの祖先も戦国大名らしいけど、同じ系統の顔だもん。
 「光栄です(苦笑)」
――高貴な出なのにチャレンジ精神は旺盛で。

 29歳で開業

 「『酒菜一』の開業は29歳の時。当時は新潟の酒が全盛で、地元で山形の酒を出す店がなかった。でも東京で会社員時代に飲んだ高橋酒造(遊佐町)の『東北泉』の美味しさに感動していて」
 「一方、山形の酒を売り込もうという機運が盛り上がり始めたのもあのころ。旗振り役は当時、県工業技術センターで酒類研究科長を務められていた小関敏彦先生で」
 「それで小関先生、出羽桜酒造の仲野益美社長、まだ有名になる前の高木酒造の高木顕統(あきつな)社長らと『一緒に夢を追いかけよう』ということで開業に踏み切りました」
――開業してからは?
 「当初の店の広さは16坪、スタッフはボクと板前の2人だけ。最初から酒だけでなく料理にもこだわろうと決め、素材から厳選したので、採算的には真っ赤で(苦笑)」
 「それでも開業と同時に知名度がアップしていった県産酒の品ぞろえが豊富な店として知られるようになり、軌道に乗るのは3年目からですね」

東京にも出店

――東京にも出店して。
 「9月20日でちょうど4年。立地的にPRには最適ですが、それだけに出費もかさみます。テナント料?具体的な金額を言うのははばかられますが、山形駅前に比べると10倍以上ですね」
 「採算的には今年からようやく黒字に。ただ山形でもそうですが、首都圏では人集めが大変で」  ――でも普通、そういう冒険できないよね。
 「ボクの場合は、山形の酒の魅力を全国に知ってもらいたいという思いがあります。全国から人が集まる東京で山形の酒をPRできれば、山形の『酒菜一』もそうですが山形の蔵元や飲食店はもっと潤うはずだから」

駅前活性化にも奮闘

 「多店舗展開も視野に入れてます。飲食店にこだわらず、山形の酒や食材の魅力を発信していくためにネット販売も」 ――まだ若いのに駅前の飲食店組合の活動も。
 「理事長を10年やってます。十字屋の撤退など暗い話題もありますが、やっぱり山形の〝顔〟の駅前が活性化しないと」