徹底して山形に密着したフリーペーパー

歌手 白崎 映美さん

2017年5月12日
白崎 映美(しらさき・えみ) 1962年(昭和37年)酒田市生まれ。酒田中央高時代にバンド活動を始め、上京して専門学校卒業後、2年半の社会人生活を経て22歳で後に「上々颱風(シャンシャンタイフーン)」と改称するバンドにボーカルとして参加。91年にJALのCMソングに使われた「愛より青い海」が大ヒット。上々颱風の活動休止後は15年に「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」を結成、大震災後の東北を支援する活動を全国で展開している。県内では昨年9月に開催された「全国豊かな海づくり大会」の進行役を務めたほか、さくらんぼテレビの情報番組「昼ドキ!TV やまがたチョイす」に出演中。
歌手 白崎 映美さん

震災で深く傷ついた東北
 歌や演劇で力づけられれば

――「『やまがたチョイす』に時々出てくる酒田弁のお笑い系の人?』ぐらいの認識しかなかったんですよ、ゴメンなさい(苦笑)
 「いちおう標準語もしゃべれるバイリンガルです。東京で本気で酒田弁を使うどみんな分がんねぐなっがらの(笑)」

一世風靡した上々颱風

――調べてみたら、上々颱風って一世を風靡したバンドなんですね。
 「JALの沖縄キャンペーンソングだったのでよく沖縄のバンドと間違えられました。私は顔が濃い方なので『やっぱり沖縄のお顔ですね~』なんてしょっちゅう。『実は山形なんですよ』と返すと『「エー!』って驚かれたり(笑)」
――こうしてご尊顔を拝せば、エキゾチックな美人でビックリ!
 「上々颱風に参加する前ですか?実家は酒田市で食堂をやっていて、テレビの歌番組を見て育ちました。上京したものの、ミュージシャンの友達も仲間もいない。そんな時、たまたま目にした音楽雑誌に『ボーカル急募!即仕事あります』というのが載っていたのがきっかけでした」

酒田弁に誇りとこだわり

 「上々颱風のメンバーの出身地はみな首都圏で、最初のころは自分の中の『東北臭』を隠そうとしてたんですよ」
 「でもメンバーから『君は根っこがあって、文化があって、言葉があっていいね』と言われ続け、酒田弁に誇りとこだわりを持つようになったんだの(笑)」
――最近は、震災後の東北を支援する活動を。

全国で「東北」を叫ぶ

 「震災直後、テレビで同じ東北の言葉をしゃべるじっちゃんが『大丈夫です』と泣いでだ。東北人は大丈夫じゃなくても大丈夫ど言ってしまう。『東北人はもっとでっけえ声で叫んでいいんでねが!』という思いでバンドを結成し、全国で『東北』を叫んでます」
 「私自身、中学3年の時に酒田大火を経験しました。街中が燃え、わが家も焼け出されました。全国から救援物資をもらい、仮設住宅にもお世話になって。ありがたかったけど、悔しがった。あの経験も大きいと思う」
――6月16日にシベールアリーナで上演される「まつろわぬ民」に主演されますね。

「まつろわぬ民」で主演

 「東北は昔から支配されない、迎合しないという意味の『まつろわぬ民』と呼ばれてたとか。現代でも生きづらい思いをしている東北人はたくさんいると思う」
 「この作品は、忘れ去られる者、虐げられながらも戦い続ける者にエールを送る大スペクタル。迫力満点、みんな見たら目ん玉飛び出すぞ~!」