徹底して山形に密着したフリーペーパー

元山形大学学長 成澤 郁夫さん

2017年2月24日
成澤 郁夫(なりさわ・いくお) 1940年(昭和15年)上山市生まれ。秋田高校から東北大工学部に進み、卒業後の64年倉敷レイヨン(現クラレ)入社。69年山形大助手に転じ、講師、助教授を経て81年教授。98年4月に工学部長、同11月に学長に就任するも2001年5月、工学部が1997年度以降5年間の入試で受験生428人を判定ミスで不合格にしていたことが発覚、同年8月末に引責辞任。02年から山形県企業振興公社プロジェクトマネージャー、14年からは県よろず支援拠点チーフコーディネーターを務め、3月末に退任予定。76歳。
元山形大学学長 成澤 郁夫さん

もし時計の針を戻せたら…
  学長にはなりませんでしたね

――会社勤めの経験もおありなんですね。

会社員から58で学長に

 「繊維会社なら大学で学んだ知識がいかせるかなと思って入社したものの、結果的にはあてが外れ、好きな研究に没頭できそうな山大へ。山形は生まれ故郷だし、父親も勤め先の国鉄(現JR)を退職して出身地の山形に居を構えていたので」
――教授、工学部長と累進して58歳で学長に。
 「ここまでは順調でしたね(笑)。就任後は教養部の廃止でゴタゴタしていた学内の融和に奔走したり、平清水の学生寮に不当に居座っていた学生を立ち退かせたり」
――就任から2年半後、全国を揺るがす入試判定ミスが発覚します。

入試判定ミスで引責辞任

 「点数を集計するプログラムミスが原因でした。発覚後は殺到する取材への対応、ミスに気づかず放置した関係者の責任追及、何より不合格とされた人をどう救済するかで学内は大混乱に」
 「ミスで不合格とされた人の中には入学の意思がある人もいるし、他の大学に入ってその意思がない人もいる。大学進学そのものを諦めて社会に出た人も。428人全員のもとに出向いて意向を聞き取り、補償問題に取り組むことが学長たる私の最優先課題でした」
――その補償問題に道筋をつけ、任期半ばで引責辞任されました。
 「工学部のミスとはいえ、最終的に責任をとるべきは学長。まして私は工学部出身でしたし」 
 「文部科学省からの圧力?それは私の口からは何とも…(苦笑)。ただ当時、山大だけでなく富山大、金沢大でも同様の入試判定ミスがあり、何らかの形で混乱を収束させたいというムードは感じられましたね」 
――当時の副学長2人のほか、工学部長、工学部教授のほぼ全員が処分の対象になりましたが、職を失ったのは成澤学長だけでした。 

山形を離れ栃木へ

 「辞任後は山形を離れ息子がいる栃木県那須塩原市へ。まあ、隠遁(いんとん)生活ですな(苦笑)。山形県からは他大学の学長就任の要請も頂きましたが、丁重にお断りしました。もう教育とか入試とかはコリゴリで(苦笑)」
――もし時計の針を戻せたら?

禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し

 「……。学長にはならなかったかなあ。そうすれば好きな研究に没頭できたし、それなりの成果もあげられたと思うし」
 「だけど、請われて企業振興公社の仕事を手伝うようになり、中小企業の方々と触れ合えたのは人生の収穫かも知れない。工学はもともと現場が大切。〝象牙(ぞうげ)の塔(とう)〟にこもっていては経験できなかったでしょうから」