徹底して山形に密着したフリーペーパー

歌手 林部 智史さん

2016年12月9日
林部 智史(はやしべ・さとし) 1988年(昭和63年)新庄市生まれ。幼稚園卒園後に山形市に移り住み、九小→五中→山形南校を経て鶴岡市立荘内看護専門学校に進むもうつ病を患い2年で自主退学、アルバイトをしながら全国放浪の旅へ。2年後に上京、新聞販売店で住み込みで働きながら歌手養成の専門学校ESPミュージカルアカデミーに通う。同校を首席で卒業するが、歌手デビューは叶わないでいたところ、2015年にテレビ番組「THEカラオケ★バトル」で連続100点をたたき出し初優勝。16年2月に「あいたい」で歌手デビュー、11月にレコード大賞新人賞獲得。28歳。
歌手 林部 智史さん

「カラオケ★バトル」で満点連発
  でも「うまさ」より「感動」を

――これまでの人生を振り返ってもらうと…。

バスケと看護師で挫折

 「父は銀行員、母は看護助手で、兄と姉がいます。最初に夢中になったのはバスケット。小・中校と県の選抜にも入っていたので強豪校の山形南校を目指し、1浪の末に入学。バスケ部ではレギュラーを務めましたが、高3の時に身長も含めて限界を感じましたね」
 「子どもが好きだったので看護師になろうと専門学校へ。でも20歳の時にうつ病になり、家で引きこもる毎日。情けない自分を両親には知られたくなかったので実家にも戻れず、居酒屋やリゾートホテルでバイトをしながら沖縄、新潟、北海道を転々としました」
 「もともと歌は好きで自信もありました。だけど山形だったので、歌手になろうとは考えなかった。それが北海道にいた時、ある人から『その声で歌手を目指さないのはおかしい』と言われて」

転機はテレビ出演

 「それで一念発起して上京、憧れていたEXILEのATSUSHIさんも卒業した専門学校へ。学費を稼ぐため新聞販売店で働きました」
 「深夜2時に起きて朝刊にチラシを挟み込み、3時から6時に配達、仮眠をとって9時から午後1時まで学校、それが終われば夕刊の配達という生活。何新聞?日経新聞でした」
 「学校は首席で卒業しましたが、100回以上オーディションに挑んでも受からず、歌手デビューはできないまま。でもバスケや看護師とは違い、やりきった感はあった。諦めようと思っていた矢先に『カラオケ★バトル』に出てみないかっていう話をいただいて」
――そこで〝泣き歌の貴公子〟として全国区の人気に!人生、変わった?

ホコ天に3000人!

 「2月に歌手デビューして、今年前半はそうでもなかったんですが、後半は有難いことに休みの日がない(笑)。6月と10月に銀座の歩行者天国でライブをやりましたが、6月の聴衆が600人だったのに10月は3000人。ファンが増えているのが実感できて、素直に嬉しかったですね」
――紅白出場も有力視されていたのに…。
 「残念でしたけど、これもまた試練かと」
――年末に決まる日本レコード大賞の最優秀新人賞は間違いないとか。
 「4人の中から選ばれますが、ライバルは同じ山形出身の羽山みずきさんと言われています」

山形といえばラーメン

――山形を思い出すのはどんな時?
 「山形のラーメンが好きなんですよ。贔屓(ひいき)の店?子ども時代から家族で通ってる江俣の『鬼がらし』さんですかね」