徹底して山形に密着したフリーペーパー

フリー・アナウンサー 宮川 俊二さん

2016年9月9日
宮川 俊二(みやがわ・しゅんじ) 1947年(昭和22年)愛媛県宇和島市生まれ。宇和島東高から早稲田大学第一文学部に進み、卒業後の70年NHK入局。山形を振り出しに各地の放送局に勤務、93年チーフアナウンサーを最後にNHKを依願退職。94~2003年フジテレビと専属契約を結び多くのニュース番組でキャスターを務める。現在はフリーで報道、情報、バラエティーなど多方面で活躍しているほか、早大非常勤講師も務める。69歳。
フリー・アナウンサー 宮川 俊二さん

副業で築けた濃密な人間関係
  山形は第2の故郷だと思ってます

――最初の赴任地が山形だったんですね。

最初の赴任地が山形

 「70年4月にNHKに入局して、2カ月の研修を終えて6月から山形に配属になりました。上司からは『君は面白いけど、ちょっと修業してきた方がいいかな』なんて言われて(笑)」
――研修期間中に早くも目立ってたわけですか。
 「高校時代にアナウンスで全国大会で入賞したりして、しゃべりには自信があったし、大学ではバンドを組んでボーカルとマネージャーをやってました。同じ部室で活動してたモダンジャズ研究会のマネージャーが1歳上のタモリさんでした」
 「そんなヤツがNHKに入ってきて、派手で生意気と思われたんでしょうね。山形に来てみると仕事はそれなりにやり甲斐がありましたが、やっぱり遊ぶ場所がなくてつまらなくて(苦笑)」
――副業されてた話が最近、全国ニュースに!

花小路で副業のバーを

 「花小路の行きつけの飲み屋さんで『ジャズを聴きながら洋酒が飲める店がないもんなあ』なんて愚痴ってたら、女将さんが『ほだな店あるわけねえべ』と言いつつ『隣が空き店舗になってっから自分でやってみっか?』と勧めてくれて」
 「店名は『ジャズスポット・レフティ』で、やったのは山形を離れるまでの2年間。東京からミュージシャンを呼んだり、自分も前座で歌ったりで楽しかった。けっこう儲かって給料と同じぐらい稼いでました(笑)」
――それって許されるんですか?

上司の許可のもとで

 「始める前に就業規則を読んだら〝副業は上司の許可をもらうこと〟とあったので、上司に相談したところ『君の責任でやってください』と承諾を得ました」
――でも、普通やりませんけどね(苦笑)
 「ボク自身は後ろめたいところは全くなかったんだけど、山形の次の赴任地として辞令を受けたのが全く仕事のないところ、つまり左遷(笑)。上司からは『あの失点だけはカバーできなかった』と言われました」
 「その後は真面目な職員として更正したつもりなんだけど、23年のNHK生活は必ずしもバラ色じゃなかった。その原因の一端は山形時代の副業だったかもしれない」
――後悔してます?

我が人生に悔いなし

 「してない、かな。組織の人間にとどまりたくないという思いが自分の中にあるんでしょうね。あの当時にタイムスリップしたとしても同じことをすると思う」
 「あれで山形の人たちとの濃密な関係も築けたし、山形が第2の故郷だと思ってます」