徹底して山形に密着したフリーペーパー

杵屋本店(上山市)社長 菅野 高志 さん

2016年5月13日
菅野 高志(かんの・たかし) 1957年2月、南陽市生まれ。日大山形高から専修大経営学部に進み、同大卒業後、京都の和菓子の銘店「千本玉寿軒」で住み込み修業。5年後に郷里に戻り家業の杵屋本店へ。取締役営業部長などを経て2001年に社長就任。山形県洋菓子協会会長、全国洋菓子協会理事なども務める。59歳。
杵屋本店(上山市)社長 菅野 高志 さん

こだわりは地産地消と季節感
 山形の味覚を表現していきたい

――和洋菓子業界では老舗だと伺ってます。

今年が創業205年

 「江戸期の文化8年(1811年)、南陽市宮内で初代・庄六がお菓子屋を開いたのが起源です。宮内には日本三熊野のひとつで『東北の伊勢』とも称される熊野大社があり、東北各地から訪れる参拝客にお土産用のまんじゅうなどを製造販売していたようです」
 「それ以来ですから今年が創業205年目。初代から数えて私は10代目の当主になります」
――この間、いろんな変遷があったんでしょうね。
 「創業当初から明治にかけての2本柱はまんじゅうと羊羹(ようかん)だったようです。特に『煉羊羹(ねりようかん)』は人気を呼び、地元の人たちから『死ぬ時は杵屋の煉羊羹を思う存分食べたい』なんて言われていたとか(笑)。昭和に入るともなかもヒット商品になりました」

和菓子から洋菓子へ

 「こうした和菓子からパイ、ケーキなどの洋菓子に転換していったのは昭和30年代以降。ただそれに先立つ昭和15年には東京から講師を招き、県内で初となる洋菓子を発売したそうです。8代目の祖父の時代ですね」
――ハイカラな方だったんでしょうね。
 「アイデアマンで事業家としても知られたようですよ。宮内から飛び出して県都の山形市に初出店したのも祖父でした。場所は今はなくなりましたが、旅篭町でした。ただ宮内では1番でも山形市では新参のよそ者。それなりの苦労もしたようです」

規模拡大より基盤強化

――今の杵屋さんは?
 「昭和57年に県内に5カ所あった工場を上山市に集約し、宮内の本社も上山市に移しました。店舗は山形市の7を含め県内17、仙台市に4。商品構成は70%が洋菓子、30%が和菓子です」
 「商品づくりの1番のこだわりは地産地消。山形は美味しい農産物や果実などの宝庫で、菓子の原材料としては申し分ない。これらをふんだんに使い、ネーミングも含めて山形を全国にPRしていきたい。あとは季節感を大事にすることですかね」
 「店舗の拡大ですか?人口減少が進む中で、売上高を含めて規模を追求しても意味がない。それよりも経営基盤の強化が重要だと思います」

昔はスリム体形?

――実はボクも昭和32生まれで…。
 「だと私は早生まれだから学年は1つ上かな。還暦祝いの案内状も来ちゃったよ(苦笑)」
――それにしても、貫禄ありますよねえ。
 「大学までバスケやってたって言っても誰も信じてくれなくて、『相撲部じゃないの?』って(大笑)」