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オビサン(山形市) 社長 小嶋 寛之さん

2016年4月22日
小嶋 寛之(おじま・ひろゆき) 1970年(昭和45年)山形市出身。山形東高から東京外大中国語学科へ進み、同大卒業後、94年に三井物産入社。東京本社、シンガポール支店での勤務を経て2000年に退社、家業の紙卸売業のオビサンへ。取締役、常務を経て12年に社長就任。46歳。
オビサン(山形市) 社長 小嶋 寛之さん

創業は明治31年のお茶・紙問屋
  時代ニーズに対応して業容拡大

――「オビ××」っていいう屋号の会社、山形市内に幾つかありますよね。

屋号の「オビ」は家紋から

 「分家した親戚同士で、16家あります。『オビ』という屋号は家紋の『(オビ)』から。弊社の場合、『』だからオビサンというわけですね」
 「横のつながり? それぞれが独立独歩で商売していますし、商売をしていない家もありますので、顔が分からない小嶋さんもいらっしゃって恐縮してしまうこともあります」
――御社のルーツは?
 「分家した初代小嶋源三郎が1898年(明治31年)、三日町でお茶と和紙を扱う『小嶋商店』を開いたのが始まりとか。和紙は印刷用というより包装材。明治末期から昭和初期にかけて印刷用に和紙が洋紙に切り替わり、その転換の波に乗って業容を拡大していったようです」
 「個人商店だった『小嶋商店』は41年(昭和16年)に有限会社『小嶋源三郎商店』になり、62年(昭和37年)に株式会社『オビサン』になりました」
――現在も扱いのメーンは紙なのかしら?

商売形態は今も昔も不変

 「印刷紙と包装資材を含めた産業資材が約7割、残る3割は事務所の什器や備品、システム構築などをアシストする事業です」
 「時代の移り変わりに伴って扱い品目は増えましたが、お客様と顔を向き合わせた商談の形態は今も昔も変わりません」

人と違ったことが好き

――御曹司として育ったわけですよね。
 「いやいや」
――でも山形の御曹司は幼稚園から小中、附属というイメージだけど…。  
 「五小から一中です。特に中学時代、ボクらは丸坊主で冬は長靴、あっちは長髪でスノトレ。格差がありましたね(苦笑)」
――外大で中国語を選ぶのも、当時としては珍しかったんじゃないですか? 
 「高校の進路指導の先生からは『家が商売なんだから、経済や経営の学科がある大学に進めば?』と言われましたが、漢字の羅列や中国語の発音に興味があったし、基本、人と違ったことをやるのが好きで」
 「大学は6年在籍しました。うち1年半は北京留学。民主化を求める学生を人民解放軍が武力弾圧した『天安門事件』の3年後でしたが、友達もたくさんできたし、貴重な経験をさせてもらいました」
――最近は私生活も充実されているとか。

遅咲きの春

 「30歳で山形に戻ってきて以来、伴侶を求めて長らく婚活を続けてきましたが、2年前にようやく。昨年末には待望の女の子も誕生しました!」
 「男性の育児休暇の是非が話題ですが、毎月第1木曜日の午後は育休で自宅待機することを社内で宣言しています(笑)」