徹底して山形に密着したフリーペーパー

山形日産自動車グループ 代表 小関 眞一 さん

2015年10月9日
小関 眞一(こせき・しんいち) 1957年(昭和32年)山形市生まれ。日大山形高から立正大学経済学部に進み、卒業後の79年、父親の善久氏が創業に参画した山形日産自動車グループの山形サニー入社。88年山形日産に転じ、取締役、常務、専務を経て99年社長就任。県自動車販売協会会長、県自動車販売健康保険組合理事長、日産自動車販売協会副会長、日本自動車販売協会連合会副会長なども務める。58歳。
山形日産自動車グループ 代表 小関 眞一 さん

経営の至上命題は黒字確保
 カギを握るのは人材育成です

――しかし、笑顔が素晴らしいですよねえ。
 「この写真が載るわけ?…。ま、いいっか、社員にも笑顔が大事だって言ってるし、アハハ」
 
グループ15社を統率

――山形日産グループの沿革を教えて下さい。
 「庄内にあった山形日産自動車販売から分離・独立し、1961年に県内陸部で日産の車を扱う山形日産自動車として産声をあげだのが始まり」
 「その後、県内にはプリンス、サニー、チェリーといった日産直系のディーラーもできだんだげど、81年に社長に就任した父が次々に傘下に収めていったけの。経営合理化と販売効率化を求めたんだべなあ」
 「私が代表になってるのは山形日産、日産プリンス山形、山形日産自動車販売、日産部品山形販売の4社。全県で日産車を一手に扱ってるのは全国でも珍しいんですよ」
 「グループは他に中古車を扱う日産マイカーランド、ガソリンスタンドの山形日産石油など全15社。社員総数は800人ぐらいいっかなあ」

日産危機の年に社長に

――社長に就任された99年って確か…。
 「日産本体が経営危機に陥り、カルロス・ゴーン氏が最高執行責任者(COO)に就任した年なのよ。マスコミでも『日産、史上最大のリストラ2万2000人!』なんて報じられて」
 「あの騒ぎの時、動揺する社員に朝礼で『日産は潰(つぶ)れてもウチは潰れない!』『お客様がいる限り潰さない!』と大見得を切っだ。経営陣にも利益をあげないとダメだ、そのためには本業に専念するしかないって発破(はっぱ)をかけたっけねえ」
――具体的には? 

大切な人事評価

 「ゴーンさんになって我々もいろいろ改革したげんど、最も意識して変えだのは人事評価かなあ。社員1人ひとりが働きがい、生きがいを感じれる組織づくりったね。給料だけの問題じゃないんだはあ~(苦笑)」
 「あとは社員に社業の現状を正しく伝えること。いい時はいい、悪い時は悪いと明らかにし、全員が同じ方向を向くのが大事だべした」
――社長就任以来、赤字の年がないんですね。

4つのSを極めれば

 「日ごろから社内で口を酢っばくして言ってるのは笑顔の『スマイル』、成約に至るまでの『ストーリー』、効率的な『スピード』、精神力の『スピリット』。この4つのSを極めれば『フォース』になると」
 ――……。「フォース」って?
 「『スター・ウォーズ』に出てくる、可能性を導く心のエネルギーの意味ったな(大笑)」