徹底して山形に密着したフリーペーパー

極真田畑道場 山形県総本部 上席師範 田畑 繁さん

2015年5月8日
田畑 繁(たばた・しげる) 1960年(昭和35年)酒田市生まれ。県立酒田工業高校卒業後、極真会館(極真カラテ)創始者の故・大山倍達氏に憧れ東京で内弟子に。6年間の修業を経て帰郷、大山氏の指示を受け85年に極真会館山形支部を設立し、山形市を拠点に極真カラテの普及に乗り出す。これまでの30年間で県内支部は28を数え、延べ会員数は3200人に。極真会館本部の副理事長も務める。54歳。
極真田畑道場 山形県総本部 上席師範 田畑 繁さん

内弟子で学んだ極真精神
   県内35市町村に広げたい

――極真カラテといえば亡き大山倍達(おおやま ますたつ)さん…。
 
大山倍達の内弟子に

 「高校時代、大山総裁がモデルの劇画『空手バカ一代』にハマったのがこの世界に入るきっかけです。何冊かの総裁の著書の中に『内弟子募集』というのがあり、ブームだったので全国から120人の応募者が集まりましたが、選ばれたのが自分を含めた12人でした」
――何でまた内弟子なんかになろうと。
 「空手の経験は皆無でしたが、著書に『極真の内弟子を3年やればどんな困難にも耐えられる』とありまして(苦笑)」
 「実際、内弟子になってみると朝から晩までシゴキのような苦行の連続で、最初の3年で12人が2人になっちゃいました。最終的に自分は6年やりましたけど」
――で、山形に戻って。

山形市で道場開き

 「総裁から山形県での普及を命じられて。当時は県内に極真の道場はなく、広めるにはやはり県都の山形市からだろうと、霞城公園の武道館を借りて会員を募ったのが田畑道場の始まりです」
 「文字通りゼロからのスタートで、山形で教えて翌日は天童、その翌日は庄内に行って出稽古といった毎日。そんな繰り返しを10年ほど重ねるうち、教え子の中から師範代も出るようになり、道場も徐々に増えて現在に至ってます」
――極真カラテの山形における橋頭堡(きょうとうほ)が田畑道場ということですね。
 「そういうことです」
――極真ってホントに撃ち合うんですよね。

世界標準の極真ルール

 「直接打撃制のフルコンタクト空手です」
――痛くないですか。
 「痛いっスよ(笑)」
――それ聞いただけでボクなんかダメ(苦笑)
 「日本の場合、伝統派空手を中心に打撃寸前に止める寸止めルールの方が若干多いかな。でも国際的にはフルコンが主流。というより世界123カ国1200万人の会員を擁する極真ルールが世界標準になってます」
――そういえば亡くなったK1のアンディ・フグ選手も確か…。
 「極真でした。K1選手だとフランシスコ・フィリオも。ちょっと古いところではアントニオ猪木と闘ったウィリー・ウィリアムスもそうです」
 ※この後、観るのだけは好きな編集長と異種格闘技戦の話で盛り上がる。
     ◇  
――田畑道場として今後の計画とか夢とかってあります?

山形に国際拠点を!

 「当面は35市町村に道場を広げたいですね。将来は山形に『国際空手アカデミー』のようなものをつくって世界から会員を集めるのが夢です」