徹底して山形に密着したフリーペーパー

山形中央高スケート部顧問 椿 央さん

2015年2月13日
椿 央(つばき・ひろし) 1965年(昭和40年)北海道むかわ町生まれ。4歳からスケートを始め、北海道日大高(現北海道栄高)2年の国体5000メートルで優勝、日大1年の全日本選手権で4位。同大卒後、静岡の高校の非常勤講師を経て90年に山形中央高の教員・スケート部顧問に就任。これまでにバンクーバー五輪(2010年)銅メダルの加藤条治選手やソチ五輪(14年)出場のウィリアムソン師円選手らを育てたほか、昨年の総体で男子総合優勝、今年の国体では3種目で優勝するなど県スピードスケートの牽引的存在。49歳。
山形中央高スケート部顧問 椿 央さん

1人でも多く五輪の舞台に
  悲願は女子選手の育成です

――山形にいらしたきっかけは?

スケート育成で山形へ

 「お話をいただいたのは1989年、24歳の時です。山形では3年後の『べにばな国体』を控え、スケートを強化したいとのことでした」
 「山形には縁もゆかりもなかったし、スケートの競技人口も少ないと聞いて不安もありましたが、念願の教員になれるということで心を決めました」
――当初は選手としても期待されていたとか。
 「赴任して翌年の軽井沢国体では5000メートルで優勝しました。スケートでの国体優勝は初めてだったとか。翌年のべにばな国体では1500メートルと5000メートルで2位でした」
――洋の東西を問わず「名選手名監督に非ず」というのが定説ですが、指導者としても大輪の花を咲かせました。

最後の決め手「自分力」

 「指導者としての要諦ですか?フィジカル面はもちろんですが、生徒たちに言い聞かせているのは日常の生活習慣を大切にしろと。靴はキチンとそろえる、身の回りのゴミは拾う。そうした『自分力』を高めていくことが最後の勝負を決めるんだと」

椿イズムが浸透

――昨年夏の甲子園で活躍した野球部の庄司秀幸監督も同じ趣旨の指導をされていて、全国的にも話題になりましたね。
 「庄司監督が(山形中央の)学生時代に教員として赴任してきた縁で、よく指導者としてのあり方とかを2人で話し合ったりすることはあります。確かに彼も甲子園でのインタビューで『自分力』という言葉を使ってましたね(笑)」
――椿イズムがスケートだけじゃなく全校に浸透しているわけだ。
 「いやいや。庄司に関しては、野球はスケートよりメジャーだし、彼の方がずっと立派ですよ(苦笑)」
――条治選手や師円選手を育てられて、伸びる子と伸びない子の違いって? 
 「やっぱり『素直さ』でしょうか。素直な子は一を言えば十理解する。まさに渇いた大地が雨を吸収するように。逆に頑固な子は他人の意見に耳を貸さず、自分で成長の芽を摘み取ってしまう」
――それはスケートに限った話じゃなく、世間一般にも通じるんでしょうね。
 「そうだと思います」

常に頭にある「恩返し」

――常々「山形に恩返しがしたい」とおっしゃっていますが。
 「教員になりたくて教職課程をとったのに、地元の北海道でも静岡でも採用してくれなかったんですから(苦笑)。拾ってくれた山形には感謝してます」
 「恩返しの意味でも1人でも多くの五輪選手を輩出したいし、女子選手も五輪に出してやりたいと思っています」