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たいようパン 社長 大浦 正人さん

2014年10月10日
大浦 正人(おおうら・まさと) 1956年(昭和31年)高畠町生まれ。高畠高校から国際商科大学商学部に進み、卒業後の78年たいようパン(高畠町)入社。主に営業畑を歩み、1994年常務、2013年から社長。58歳。
たいようパン 社長 大浦 正人さん

価格競争では大手に勝てない
   品質で生き残りを図ります

――たいようパン、国道から見えますよね。

創業66年の老舗

 「創業は昭和23年。戦後の食糧難の時代で、食糧配給公団から小麦をもらってパンを作るようになったのが始まりと聞いています。社名は『置賜食糧加工』でした」
 「製造したパンを街の食料品店に卸すというスタイルで、最盛期は昭和53年ごろ。まだ大手のパンメーカーは県内に来ておらず、販売エリアは県内全域はもちろん、宮城や福島まで。売上高は12億円、従業員も120人はいたかなあ」
 「今は売上高、従業員とも半分ほど。大手パンメーカーの進出に加え、食品スーパーが増えて販売先の食料品店がどんどん淘汰されていった。もちろん少子高齢化や、学校給食でパンからごはんへ切り替えが進んだ影響もあります」

時代は逆風

――我々の世代は給食といえばパンでしたけどね。
 「今は週に1回、へたすりゃ月1回ですよ」
――へ~え。
 「それやこれやで県内各地にあった同業者も数が減り、今でも卸をやっているのは当社と山形市の『りょうこく』さんの2社だけです」
――食品スーパーには卸してないんですか?
 「卸してますが、価格競争で大手に勝てない。必然的に売り場面積は狭められ、置ける品数が限られてしまうんですね」

直売で苦境打開へ

 「苦境打開には体質改善しかない。そのために3年前から始めているのが敷地内での直売です。土日祝日と水曜、30~40種類の手づくりパンを直接消費者に買ってもらおうという取り組みで、卸から小売の比率を高めていこうと」
――なるほど。
 「量的にはまだまだですが、おかげ様で固定客もついてきました。国産小麦など原料にこだわり、保存料をなるべく使わない製法にこだわっていけば、多少割高でも消費者は納得してくれることが分かってきました」
――この「ベタチョコ」ってレトロ感があっていいなあ。
 「昭和39年の東京オリンピックの時代から愛されているロングセラーです。2つに割ったコッペパンにクリームを塗り、チョコで覆っただけ。懐かしいでしょ(笑)」

社長自ら売り場に

――社長自ら売り場に立たれてるんですね。
 「初めての経験です(笑)。だけど苦情も含めてお客様の生の声が聞けるのが嬉しい。日々これ勉強です」