徹底して山形に密着したフリーペーパー

「ガーデン四季」代表取締役 福島 弘己さん

2014年3月14日
福島 弘己(ふくしま・ひろみ) 1957年(昭和32年)福島県南相馬市生まれ。2008年、50歳の時に地元農協を脱サラし奥さんと2人で園芸会社を起業。年商1億円までこぎつけた矢先の11年3月11日、震災で会社は津波に流され、2日後に南陽市に避難。6月、失った会社と同名の「ガーデン四季」を上山市中山に設立、同地に住所も移し再起を目指して奮闘中。56歳。
「ガーデン四季」代表取締役 福島 弘己さん

地獄の「あの日」から3年
 山形の地で花を咲かせます

――あれから3年になりますね。

あの日から3年

 「会社は南相馬市の海沿いでした。あの日、私は会社にいましたが、たまたま飲み物を買おうと近くのコンビニまで車を走らせていた時でした」
 「会社は基礎だけを残してすっかり流され、周辺で契約栽培してくれていた15件の農家の中には、一家全員が津波にのまれて亡くなった人もいます」
 「しかも自宅は福島第1原発から31キロ。ガソリン不足に難渋しながら2日後に妻の実家の南陽市にたどり着きました。しばらくは茫然自失で」   
――それから?
 「すぐに立ち上がらないとダメだと思い直した。風評被害で福島で園芸を続けるのは困難。かといって手をこまぬいていれば、せっかく築いた量販店とのルートもなくなってしまう。山形で事業を継続できないかと」
 「生き残った仲間も山形に避難していた。すぐに連絡を取り合い、遊休地を探していた矢先、偶然知り合った那須建設(長井市)の会長さんがここの施設と土地を無償で貸してくれると」
――いい話ですねえ。

山形で事業を再興

 「それで事業を再開したものの、最初は戸惑ってばかり。なにしろ南相馬とここでは気候が違う。日照時間は短いし夜間の温度も低い。冬は雪も降る。ハウスの暖房費が3倍かかるのには閉口しました。南相馬のノウハウをそのまま持ち込んだことが誤算でした」
 「だけど試行錯誤の末、適地適作というか、ここの風土にあった品種も分かってきた。逆に南相馬のような山背(春から秋にかけ太平洋側に吹き付ける冷気)もないし」

今は手ごたえも

 「今は手ごたえを感じています。量販店との取引も再開できて採算的にもメドが立ってきた。南相馬に戻った仲間もいますが、あっちで発芽させてこっちで栽培するタイアップも考えています」
――山形の人は困ってる人に温かいですよ。

必ず恩返しを


 「この3年間、那須建設さんには甘えっぱなし。周辺の人たちも何かと気にかけてくれる。普通ならよそ者扱いされるところなのに、温かい人たちで感謝しています」
 「あちこちに温泉もあるし、食べ物もおいしい。大きな声では言えませんが、体重が増えてしまった(苦笑)」
 「これからは恩返し。事業を軌道に乗せ、福島と山形の橋渡しが出来ればと思っています」