徹底して山形に密着したフリーペーパー

お雛さま研究家 安部 英子さん

2014年2月28日
安部 英子(あべ・えいこ) 1935年(昭和10年)大石田町の旧家の長女として生まれ、地元高校を卒業して山形大の事務職員に。昭和40年代から最上川流域の旧家を訪ねて蔵に埋もれた雛人形の公開を呼び掛ける「開箱運動」を始め、これが契機になって今では県内ほぼすべての市町村で雛飾りが公開されるように。山形市在住。県芸術文化協会名誉会員、市芸術文化協会常任理事も務める。78歳。
お雛さま研究家 安部 英子さん

戦前まで続いた雛文化
  古き良き時代の象徴です

――そもそも雛人形との関わりって?
 
戦前まで続いたお雛見
 
 「3月3日にお雛様を飾り、人に見てもらうという家に生まれました。どこの家でもそうだったわけではなく、比較的裕福な家ではそうした『お雛見』の行事があり、近所の人たちに甘酒や雛あられ、くぢら餅などを振る舞っていました」
 「今でいう『おもてなし』ね。子ども心にお雛見ができる家だったことが誇らしかった。でもそんな思い出も昭和20年8月15日まで。(戦後に日本を占領した連合国軍最高司令官)マッカーサーがパイプくわえて羽田だったかに降り立って」
――厚木でしたね。
 「そのマッカーサーがやった農地解放で旧家は没落。旧家にあったお雛様は蔵の中にしまい込まれ、日の目を見なくなってしまいました」
 「だから私、誰が嫌いってマッカーサー。マッカーサー大嫌い。言っちゃマズかったかしら(笑)」
――う~ん(苦笑)

「おしん」は嫌い

 「ついでに言えばドラマの『おしん』も嫌い。だって私たち、奉公人にあんな冷たい仕打ちなんかしなかったですもの。お互いを思い遣って、生涯のお付き合いを続けているほどです」

開箱運動を続けて

――で、「開箱運動」なんですけど。
 「さっきも言ったように、最上川沿いの旧家には北前船で京から運ばれたお雛様が蔵に眠ったままでした。これを観光資源として生かせないかと考え、一軒一軒まわって公開を呼びかけました」
 「当時の私たちは輝いていた。お雛様を飾れば時空を超えて往時に戻れる。それを訴え続けることで、心を閉ざしていた人も理解を示してくれるようになりました」
 「日本人はみんなお雛様の前で礼節を学び、家族の絆を確かめ合った。お雛様は古き良き日本の象徴です」

我が人生に悔いなし

――男のボクは雛人形そのものにあまり興味がないわけですよ。
 「あれあれ」
――だから高尚な話をされるとツラいなと思ってたんですけど、旧家のお嬢様がお年を召されてもノスタルジックな運動を続けてるっていうのが分かり易くていいな。
 「好きなことをやらせてもらって幸せです。我が人生に悔いなしよ(と言って石原裕次郎の『わが人生に悔いなし』を歌い始める♪)」
――いい味のお婆ちゃんで、ボクはすっかりファンになりました。