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《セピア色の風景帖》 第六十七回 山形ドレスメーカー専門学校

2014年1月24日
 かつて「良妻賢母」という標語がもてはやされ、女子が裁縫技術を身に付けることが奨励された時代があった。
《セピア色の風景帖》 第六十七回 山形ドレスメーカー専門学校

 既製服という概念は定着しておらず、家庭で母親が子ども服をつくることは半ば当然だった。エプロンや浴衣ぐらいは自作する母親が多かったのである。
 当時、家庭の常備品だったのがミシン。手作業では難しい縫製もミシンがあれば簡単にできた。市内にもミシン技術を教える服飾専門学校が複数あった。
 東原町にあった山形ドレスメーカー専門学校もそのひとつだった。設立されたのは戦後まもない昭和21年だと聞いた。
 それから高度成長の時代に。衣料の流行は早まり、作ったものを長く着るという風潮は時代遅れになった。値段も安くなり、衣料は使い捨てされるようになっていく。
 それに伴い服飾専門学校もひとつ、またひとつと消えていった。山形ドレスメーカー専門学校も3年ほど前に廃校となり、跡地には現在、ドラッグストアが立つ。

 今はミシンはおろか、裁縫などやったことがないという若い女性が大半ではないか。触れる機械といえばミシンではなくスマホの時代――。〈F〉