徹底して山形に密着したフリーペーパー

日大山形高野球部 奥村 展征 内野手

2013年12月13日
奥村 展征(おくむら・のぶゆき)1995年(平成7年)滋賀県湖南市生まれ。小学1年から野球を始め、中学時代は草津リトルシニア・パンサーズで活躍。父親で滋賀県立甲西高野球部監督の伸一氏の勧めもあり、伸一氏が社会人野球のプリンスホテルで共にプレーした荒木準也氏が野球部監督を務める日大山形高へ。1年春からレギュラー、今夏の甲子園では主将として県勢初の4強入りを果たす。10月のドラフト会議で巨人に4位指名されプロの道に。177センチ、72キロ。右投げ左打ち。18歳。
日大山形高野球部 奥村 展征 内野手

努力で夢を追い続け
  山形の人たちに恩返しを――

――11月22日に巨人と正式契約して翌23日に入団発表があって。これからのスケジュールは?

大好きな野球が仕事に

 「1月7日に川崎市多摩のジャイアンツ寮に入って9日から新人合同自主トレに参加します。その前に郷里の滋賀に帰るので山形での生活は実質あと1カ月。この間に運転免許を取らないといけないので、今は教習所通いで忙しいです(笑)」
――ということは、中学を出てからずっと両親と離れて1人暮らしに。
 「高校時代も寂しさとかは全然なくて、むしろ野球が毎日やれることが嬉しかった。その気持ちは今も同じで、大好きな野球が仕事に変わるんだという思いでワクワクしています」
――以前ここに出てもらった荒木監督はキミの技量はもちろん、人間的な面も絶賛してた。

監督で決めた日大山形

 「高校を選ぶ時、父から紹介された荒木監督と野球がしたくてここに決めました。練習で自らノックしてくれたりバッティングピッチャーしてくれたり、身体で教えてくれる指導者だったので」
――今さらだけど、夏の甲子園を振り返って。
 「初回に本塁打した日大三高戦もですけど、やっぱり明徳戦が印象深いですね。4強入りが目標だったので、有言実行できたというか。負けた前橋育英戦は流れを引き寄せられなかった」

山形で暮らした3年

――山形での3年間はどうでしたか。
 「野球をしていくうえでも人生の中でも高校生活って大事じゃないですか。その大事な高校3年間を山形で送らせてもらった。ここにいなかったらどうなっていたか」
 「ホントに山形の人たちにはお世話になりました。甲子園4強で少しは恩返しできたかもしれないけど、プロで活躍してもっともっと恩返ししたいです」 
――誰が何と言おうと、キミは山形が生んだプロ野球選手だってボクを含めみんなが思ってる。 

憧れは宮本慎也選手

 「憧れの宮本慎也選手(ヤクルト、今季引退)のように誰が見ても一流と思われる選手になりたいし、宮本選手を超えるような選手になるのが夢ですね」
――あのイチローだってドラフト4位なんだから、イチロー超えを夢にして欲しいな。
 「夢って終わりがないじゃないですか。ひとつ夢が叶うとまた新しい夢が生まれる。努力を続けるかぎり夢はずっと続くんだと思います」