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米沢市上杉博物館 学芸員 角屋 由美子さん

2013年11月8日
角屋 由美子(すみや・ゆみこ) 1959年(昭和34年)米沢市生まれ。国学院大学文学部史学科卒業後、地元に戻り小中学校の非常勤講師などを経て米沢市上杉博物館の学芸員に。米沢藩史研究の第一人者とされ、これまでの間、越後国絵図、長尾上杉氏印章などの重要文化財指定、洛中洛外図と上杉家文書の国宝指定などに携わる。
米沢市上杉博物館 学芸員 角屋 由美子さん

「忠臣蔵」はあくまで演劇
   米沢藩は被害者でした

――「忠臣蔵」と米沢藩との関わり、改めて解説して下さい。

固い紐帯の吉良・上杉

 「米沢藩の初代藩主は上杉景勝で、2代目が定勝。その定勝の娘・三姫が吉良上野介(こうずけのすけ)に嫁ぎます。3代目は定勝の子の綱勝ですが、後継ぎのないまま急逝。存続の危機にさらされた米沢藩は上野介と三姫の間に生まれた実子を綱憲として4代目に迎え入れたのです」
 「さらに綱憲の実子が吉良義周(よしちか)として上野介の跡取りになるんですね」
――上野介と米沢藩は固い紐帯(ちゅうたい)で結ばれていたと。
 「それは事実。だから『忠臣蔵』では米沢藩は上野介に与する悪役として登場します。悪役だけならまだしも、みすみす仇討(あだう)ちを許してしまう『腰抜け』のレッテルまで張られて(苦笑)」
――真実は違う?

米沢藩は悪で腰抜け?

 「仇討ちの時も、仇討ちの発端となった松の廊下での刃傷事件の直後も、安否を気遣う綱憲や米沢藩に対して幕府から『お構い無用』というお達しがあった。綱憲や米沢藩は苦しい立場に立たされています」
――上野介は名君だったとの評もあるようで。
 「地元の愛知県西尾市吉良町では今も『吉良さん』と親しまれていて、地元有志が顕彰を続けているようですよ」
――浅野内匠頭(たくみのかみ)は短気で知られてますよね。
 「そのようですね」

現代に置き換えると

――現代に置き換えると、上司が部下に注意したら部下が逆ギレして上司に殴りかかったと。
 「現代版『松の廊下』ね、はいはい」
――それがトップや人事に知れて部下は懲戒解雇されたと。
 「内匠頭は即日切腹、浅野家は断絶でした」
――すると、それを逆恨みしたモンスターペアレントたちが上司の家に放火したみたいな…。
 「まあ、そんな解釈もできますね(苦笑)」
――ボクは赤穂事件は衆愚世論を味方につけたれっきとしたテロ行為だったと思うな。

事件後も悲劇が

 「事件後も米沢藩の悲劇は続きます。2年後に綱憲は42歳で憤死、綱憲の母で上野介夫人の三姫も亡くなります。その2年後、事件直後に領地を没収された義周は配流先の信濃国(しなののくに)(長野県)で病没します。21歳という若さでした」
 「『忠臣蔵』はあくまで演劇。赤穂事件における米沢藩は一貫して被害者です。そのことを地元の人にも広く知ってもらいたいと思います」