徹底して山形に密着したフリーペーパー

和光(山形市)代表取締役会長 鈴木 利規さん

2012年8月24日
鈴木 利規(すずき・としのり) 1944年(昭和19年)山形市生まれ。市立第四中学校を卒業後、地元の縫製会社、しみ抜き屋などを経て73年にクリーニング業の和光を創業。81年から県内陸部での多店舗展開に乗り出し、ピーク時の89年には直営店、取次店をあわせ「クリーニングWAKO」を150店まで拡大。一方で品質向上を目指した独自のクリーニング技術「SQCR(スキュア)システム」を開発、北海道から沖縄まで全国150同業他社を加盟させた。67歳。
和光(山形市)代表取締役会長 鈴木 利規さん

逆風のクリーニング業界
  打開策は品質向上にあり――

――中学を卒業されていきなり社会へ?

曲折を経て28歳で独立

 「小さいころから北海道に行きたかったのよね、開拓団っていうか。だから上の学校に進むなんて考えてもなかったんだけど、父親の反対で北海道行きがダメになって。母親が『じゃあ手に職でもつけなさい』って言うから縫製屋へ」
 「販売の仕事で3~4年いたかな。自分に向いてたのか、昭和40年ごろでサラリーマンの給料が3万円ぐらいだった時に13万円は稼いでた。高級外車を乗り回したり生活は派手でしたよ(笑)」
 「見かねた周囲の人から『人間がダメになるぞ』『もっと堅気の仕事をしろ』とやかましく言われてしみ抜き屋へ。ここでは5年ほど昼夜を分かたず働いたよね」
 「給料は最初のうちは派手な生活してた時分につくった借金の返済にまわし、返済が終わると開業資金として貯金。独立したのが28歳の時」
――ふ~ん。
 
10年で150店に急成長

 「着物のしみ抜きからスタートし、5年後からは需要が伸びていた今のクリーニング業に。当時は店舗を持たない宅配スタイルだったの」
 「そうこうするうちに取次店形式で庄内からロイヤルさんなんかが入ってくるし、南陽からも同業者が来る。うちは店舗を持ってなかったんだけど、やっぱ店が増えていくとPRにもなるんだと痛感して多店舗化に乗り出したのね。県内では最後発かな」
 「それから出店に出店を重ねて10年で150店に。店舗数もだけど、11月にオープンする寒河江工場を入れて内陸部7工場は県内最多ですね」
 
店舗拡大から品質重視へ

――拡大路線は平成に入って修正しますね。
 「クリーニングってクレームがつきものでしょ、汚れが落ちなかったとかボタンが取れたとか。それを放置して拡大路線を続けるやり方もあるけど私は疑問だった。それで三洋電機さんと提携して特注の水洗機やドライ機、プレス機なんかを開発してSQCRシステムを開発したのよ」
 「もちろん料金は割高になるしクレームもゼロにはできないけど、これが全国に広がったのはクレームに悩む店がそれだけ多かったんだろうね」
 
新事業にも意欲

 「いま力を入れているのはバッグなどブランド品のリサイクル。北町に専門工場をつくって全国から注文を集めてるの」
――チャレンジを続ける人生ですね。