徹底して山形に密着したフリーペーパー

山形駅で弁当売りを半世紀 手塚 忠仁さん

2012年2月24日
手塚 忠仁(てづか・ただひと) 1939年(昭和14年)米沢市生まれ。上郷中学校(現在の米沢市立第七中学校)卒業後、駅弁の製造・販売を手がける山形市の森弁当部へ。19歳から山形駅構内で駅弁の立ち売りを始め、以来50年以上にわたって現役を続ける「山形駅の名物おじさん」。72歳。
山形駅で弁当売りを半世紀 手塚 忠仁さん

辞めっと楽になるべけんど、
 「名物」になっちゃってるからね

――こうしてお話しさせていただくのは初めてですけど、よくお見かけはしてるんですよ。  
 「長いからねえ」
――いつもの呼び声、ここで聞かせてもらっていいですか?
 「(ひと呼吸置いて)え~、べんと~、え~、べんと~」

売れに売れた昭和40年代

――お元気ですねえ。
 「でも最近は腰も悪くなってね。特に今年みたいに寒いと痛むんだわ」
――はあ。
 「若い時分の無理がたたってね。今はこうやって台に並べてるけんど、昔は首からいろんな弁当60キロぐらいぶら下げて売り歩いてた」
 「だけど商売は面白かった。昭和40年代は新幹線もなくて、みんなここで乗り換えてったからバンバン売れた。多い日は1日300個ぐらい。他にもここに14人ぐらい弁当売りがいたべかなあ」
――最近どうです?
 「乗り換えがなくなってからはねえ。特にこのところ不景気だし」
 
少なくなったお客さん

 「それに震災とか原発事故もあったでしょ、あれで山形に来るお客さん減ってるもの。車内販売なんかにもやられてるし、今は1日30個から50個ぐらい」
――確かに、ボクも車内販売で買ってますね。
 「今の人は道楽(楽をしたがるの意味?)だから荷物になるって持ちたがらねんだ」
――コンビニ派も多いんじゃないですか?
 「そうそう。コンビニは安いから」
――でも、今や山形駅の「名物」ですもんね。
 
山形駅の「名物」に

 「よく子どもがエレベーターに乗るのを手伝ってあげた。そんな子どもたちが今では中学生や高校生になって『あの時はありがとうございました』なんてね」
 「あとお客さんから『元気だか?』と声をかけられるのも嬉しいね」
――勤務体系ってどうなってんですか?
 「火水木と休んであとは全部。朝は9時半から夜は6時まで。昔は売ってなんぼだったけど今は関係なく給料制。(給料制)でないとクソ寒い中こんな割の合わない仕事しねは~(笑)」
 
まだまだ現役で

――でもまだまだ続けていただきたいですよね。
 「たぶん仕事やめっと腰の痛みもおさまるべけんどな。ここ寒いがら」
 「でも周りからも辞めないでくれって頼まれてるし…。4日休んだだけで『あの名物おじさん、死んだだか?』なんて言われてっから(笑)」