徹底して山形に密着したフリーペーパー

<荒井幸博のシネマつれづれ> 懐かしの野口久光さん

2011年12月9日
映画界の隠れた巨人

 先日、某テレビ番組で好事家(こうずか)が亡き野口久光さんの作品を持ち込んで鑑定を依頼していた。

<荒井幸博のシネマつれづれ> 懐かしの野口久光さん

映画ポスターの第一人者
 
 野口久光さんといっても若い人はご存知ないだろうが、「望郷」「天井桟敷の人々」「第三の男」「禁じられた遊び」などの映画ポスターを戦前戦後を通じて1000枚以上も描いた人物。
 映画評論家としても淀川長治、双葉十三郎とともに三羽烏と称されたほか、ジャズや演劇の評論家としても泰斗(たいと)だった。

講演で山形にも

 私がそんな野口さんの謦咳(けいがい)に接するようになったのは恥ずかしながら30歳を過ぎてから。山形在住のある方の紹介で1991年に開催された「山形国際ドキュメンタリー映画祭91」のプレイベントのトークショーでご一緒させていただいたのがきっかけで、翌年には山形での講演も快諾いただいた。
 当時82歳の野口さんが開通したての山形新幹線から軽やかなステップで降り立ち、出迎えた私にフランスパンと近所の荒物屋で買ったというヘチマ束子(たわし)を手土産に差出してくれた光景が今でも脳裏に焼きついている。

うちわはどこに?

 1994年、84歳で没。誰に対してもフラットな人だった。私が野口さんと親しくさせてもらっていた91年の大林宣彦監督の作品「ふたり」「はるかノスタルジー」「青春デンデケデケデケ」のポスターも手がけておられ、いっそう身近に感じていただけに訃報(ふほう)が届いた時の衝撃は忘れられない。  

遺作はお宝ですぞ

 余談ながら、冒頭に紹介したテレビ番組で野口さんの作品の数々には1300万円の値が付いていた。
 野口さんが92年に山形に来られた時、うちわの片面に鳥籠(かご)、片面に小鳥を描いてクルクル廻してゾーエトロープを実演してくれた。あのうちわは何処にいったのだろう?


<荒井幸博のシネマつれづれ> 懐かしの野口久光さん
荒井幸博(あらい・ゆきひろ)

1957年、山形市生まれ。シネマ・パーソナリティーとして数多くの地元メディアで活躍、映画ファンのすそ野拡大に奮闘中。