徹底して山形に密着したフリーペーパー

セピア色の風景帖

 かつては街のいたるところで目にしたが、今は全く見られなくなってしまったものに映画の宣伝看板がある。
2013年12月13日
 山辺町で長く住民に親しまれてきた駄菓子屋「熊沢商店」がこの秋、58年の歴史に幕を下ろすという新聞記事を目にした。
2013年11月8日
 馬も人員も整理されてしまったあと、競馬場は場外馬券売り場として余生を送る運命をたどった。
2013年10月11日
 明治の初めごろ、のちに映画館となる「旭座」が七日町で生まれた。
 創業当初は演劇場で、明治末に映画興行を始め、大正6年に主に洋画を上映する常設映画館に改装された。県内の映画館としてはこの旭座が草分けとされる。
2013年8月23日
 レース後の表彰式も終わり、家路につくと思われた観客が列を作り始めた。
2013年7月26日
 かみのやま競馬場は廃止の基本方針が示された後も現場では存続の道を模索したようだった。それでも売り上げは低迷し、ついに2003年11月11日、最期の日が訪れた。 
2013年6月28日
 上山市が運営する「かみのやま競馬場」は最盛期の1990年代初頭には年間300億円近い売り上げを計上していた。市ではその豊富な資金をつぎ込み、次々とハコ物を建設していった。
2013年5月24日
 かつては山形市鳥居ヶ丘の国指定重要文化財「石造明神鳥居(いしつくりみょうじんとりい)」から旭が丘に通じる道があり、2つの町を分ける「竜山川」には木橋が架かっていた。
2013年4月26日
 大小の映画館が割拠し、世界的にも有名になった国際ドキュメンタリー映画祭が開催されるなどで山形市は「映画の街」と呼ばれた時期があった。各映画館の案内地図が作成され、映画祭開催時にはその地図を頼りに各映画館を行き来する人の列も見られた。
2013年3月22日
 街の風景において、とりわけ重要なのは交差点角の建物の印象である。
2013年2月22日
 山形南高は男子校だと思われがちだが、かつて分離した山形西高とともに制度上は共学になっており、女子が在籍した記録も残る。女子制服さえ制定されているとのことである。
2013年1月25日
 かつては松原住宅地内、鳥居ケ丘のライオンパン隣、馬見ケ崎橋の双月町側、花小路ゲート前などそこここに駄菓子屋があった。だが時代とともに各地の小さな駄菓子屋は櫛の歯が欠けるように姿を消していき、コンビニが取って代わるようになった。
2012年12月28日
 夜ともなるとアーチ型のネオンに赤い灯がともり、レトロな雰囲気をいっぱいに漂わせる山形市七日町の飲食街「花小路」。その来歴を知る人も今では少なくなってしまったのではないか。
2012年11月23日
 山形市内から西蔵王山頂を眺めると、テレビ塔だけでなく、光の反射具合のいい時には金色の光芒を放つ物体を目にすることができる。それが何であるかまで興味を持つ人はほとんどいないが…。 
2012年11月9日
 山形市円応寺町の五中の北側に、一見アパートにしか見えない銭湯があった。と言うよりアパートの1階が銭湯だったのである。
2012年10月26日
 前号のやまコミで上山市矢来の食品ディスカウント店「日通マイホーム」が閉店することを知った。記事には「24年の営業に幕」とあったが、上山市で営業を開始した24年前よりさらに遡(さかのぼ)り、日通マイホームは実は山形市に店を構えていた。
2012年9月14日
 平成九年に取り壊された旧第六小学校はアールデコ様式の格調高い建物だった。とかく四角四面の造りが多い小学校にあって六小は他を圧する威容(いよう)を示し、平成になっても存在感を見せつけていた。
2012年8月24日
 今ではデパートの屋上で遊戯施設を見ることはなくなったが、JR山形駅前の十字屋には1980年代中ごろまで残っていた(写真はすべて84年)。コンピュータゲームがまだ山形では普及していなかったこともあり、ゲーム場に置いてある機種は電子に支配される前のほのぼのとした雰囲気を感じさせるものが多かった。
2012年8月10日
 かつて山形交通(現在の山交バス)の営業所は県内のいたるところに配置されていた。山形市内にも清住町の今の本社のほか、鉄砲町にあった旧本社、千歳公園、末広町、大野目に各営業所があったと記憶している。
2012年6月22日
 かつて鉄砲町の商店街には多くの柳の街路樹が植えられていた。たおやかに葉を揺らしながら行きかう人の群れを見送る柳たちは、さながら街のチアガールのようであった。
2012年6月8日
 かつて霞城公園の大手門近くには石造り風の重厚な外観を持つ三浦商店があった。
2012年5月25日
 JR山形駅西口では霞城セントラルが整備されて以降、大規模マンション、大手ホテル、全国チェーンのスーパーが次々と姿を現した。
2012年4月13日
 今ではめったに目にすることがなくなった「スマートボール」。昔はデパートの屋上などに当然のように鎮座していた。
2012年3月9日
 金井小学校と中学校の間を走る大きなカーブ道。その脇にあった大きな木造の農業倉庫群は長くこの周辺のシンボル的な存在だった。
2012年2月24日
 小白川町にあった旧山形第一中学校と東沢中学校が統合し、新第一中学校になった昭和54年、建築中の一中前のスペースで「世界大動物園」が開催された。
2012年1月13日
 今では屋上を開放している百貨店は全国的に少なくなったが、大沼をはじめ今はない丸久、ステーションデパート(旧山形駅内)など山形の主なデパートの屋上には遊戯設備が備わっていた。それもゲーム機が数台だけという小規模なものではなく、まさに遊園地並みの設備だった。
2011年12月9日
 大野目の交差点から山寺街道に入ると道路は風間のあたりで仙山線と交差する。線路の下を道路が走る形は今も変らないが、以前は道路の掘り込みがなかった。バスなどギリギリの状態で通過していたもので、建機を積んだトラックなどに至っては通過できないこともあったようだ。
2011年11月25日
 「百貨店」という呼び方は次第に「デパート」に置き換わりつつあるが、かつてはその名にふさわしく食料品や衣料品はもとより原付バイクや自動車まで扱っていた。今は郊外の専門店に完全にお株を奪われているが、家電製品も有力商品だった。
2011年10月14日
 かつてはガムの自動販売機というのがあった。
 そもそもガムは駄菓子屋の店頭で買うものであったが、透明の機械に入った数種類のガムが、硬貨を入れれば人の手を介さずに買えるようになったことに山形の少年たちは目を輝かせた。
2011年8月12日
 「滝山地区に大学ができるとか」。今から25年ほど前、この謡言(ようげん)を本気にする人は少なかったが、実際に土地の買収が進み、建設の槌音(つちおと)が響くようになるに及んで「田んぼの中の大学」は現実味を帯びてきた。
2011年6月10日