徹底して山形に密着したフリーペーパー

セピア色の風景帖

 近年まで山形市内にはいくつかの古本屋があった。
2009年2月13日
 今では憶えている人も少ないだろうが、以前は「北山形のムーラン劇場」といえば、中高生を含め幅広い層から知られる存在だった。
2009年1月23日
 宮町1丁目と5丁目の間を通る山形天童線は古くは羽州街道として、そして山形バイパスが出来るまでは国道13号として県内の南北をつなぐ重要な路線として機能してきた。
2008年12月26日
 ほんの少し前まで、山形市の七日町やJR山形駅前の周辺には路上販売の店があった。
2008年11月28日
 かつて十日町から本町にかけての通りには七日町と同様のアーケードが架かっていた。
2008年10月10日
 平成3年ごろだったと思うが、山形市上町に駄菓子屋、というには本格的すぎる店が開店した。
2008年9月12日
 今は姿を消したが、80年代のなかばまでは北山形駅付近や五日町などの大きな踏切には「踏切番」と呼ばれる職員がいた。
2008年7月25日
 城下町では敵の直線的な進入を防ぐため、カギ型(クランク式)に造られた道が多くあった。山形市内にもその痕跡は各所に残っているが、車社会の現代では交通の支障として槍玉に挙げられることがある。
2008年6月27日
 現在のナナビーンズ前の交差点を七日町十字路(七日町四辻)と呼んでいる。県庁が松波に移転した後もここが交通の要所であることに変わりはない。ただ十字路周辺の変遷は大きく、年代によって印象に残っている建物も様々であろう。
2008年5月23日
 先々代の山形駅は大正五年の竣工で、いかにも駅という風格のある建物であった。五十年あまりの永きにわたって「山形の顔」を務めてきたが、昭和四十二年に先代の山形駅舎にバトンタッチした。
2008年4月25日
 先代の山形駅は昭和四十二年に建設され、民衆駅と呼ばれた。国鉄だけでなく、民間の資本も導入して建てられ、商業スペースは「山形ステーションデパート」と命名された。
2008年3月28日
 昭和30年代には一般住宅内に風呂がない場合が多かったこともあり、山形市内に36軒の銭湯があった。その後、内風呂の普及に伴い銭湯の数は減っていった。
2008年3月14日
現在の山形市飯田地区は平凡な住宅街になっているが、40年ほど前、ここに一大リゾート施設があった。
2008年2月22日
 JR山形駅から県庁に向かう通りとして拡幅整備が進められている。すっかり印象の変わった沿道からは移転や廃業で多くの店が姿を消した。
2008年1月25日
 「いなり角」と言ってもどこの場所のことなのかわからない人が多くなった。
2007年12月28日
25年前からの記録
2007年11月23日
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