セピア色の風景帖
大野目の交差点から山寺街道に入ると道路は風間のあたりで仙山線と交差する。線路の下を道路が走る形は今も変らないが、以前は道路の掘り込みがなかった。バスなどギリギリの状態で通過していたもので、建機を積んだトラックなどに至っては通過できないこともあったようだ。
2011年11月25日
「百貨店」という呼び方は次第に「デパート」に置き換わりつつあるが、かつてはその名にふさわしく食料品や衣料品はもとより原付バイクや自動車まで扱っていた。今は郊外の専門店に完全にお株を奪われているが、家電製品も有力商品だった。
2011年10月14日
かつてはガムの自動販売機というのがあった。
そもそもガムは駄菓子屋の店頭で買うものであったが、透明の機械に入った数種類のガムが、硬貨を入れれば人の手を介さずに買えるようになったことに山形の少年たちは目を輝かせた。
そもそもガムは駄菓子屋の店頭で買うものであったが、透明の機械に入った数種類のガムが、硬貨を入れれば人の手を介さずに買えるようになったことに山形の少年たちは目を輝かせた。
2011年8月12日
「滝山地区に大学ができるとか」。今から25年ほど前、この謡言(ようげん)を本気にする人は少なかったが、実際に土地の買収が進み、建設の槌音(つちおと)が響くようになるに及んで「田んぼの中の大学」は現実味を帯びてきた。
2011年6月10日
かつて大手町と旅篭町を分けていたクランク道は緩やかなカーブに改修され、東側に残された古い建物の一群に折れた煙突がのぞく。ここに昭和四年創業の「桃の湯」があったことを知る人は少ない。
2011年5月13日
平成十三年まで霞城公園前にあった県立中央病院は明治三十年設立の山形衛戌病院が濫觴(らんしょう)。長く県民医療に貢献してきたが、建物の老朽化などで青柳に移転した。
2011年3月11日
個人経営の書店は全国チェーンやネット書店に押されて姿を消しつつあるが、中には他では扱わない専門書をそろえて生き延びているところもある。医学書専門店の高陽堂がそのひとつだ。
2011年2月11日
かつてJR北山形駅の西口に古色蒼然(こしょくそうぜん)とした趣の巨大な工場群があった。壁面に「製氷」と大書されていたため製氷工場であることは歴然としていたが、工場群は平成十八年には解体されてしまった。だが会社そのものが消滅してしまったわけではなかった。
2011年1月14日
国際ドキュメンタリー映画祭が催されることから山形市は「映画の街」と言わるが、それにしてはこの街の映画館の栄枯盛衰は激しすぎる。老舗の映画館で今も営業を続けているところは皆無になってしまった。
2010年11月26日
ほとんどの人が携帯電話を持つようになった今、公衆電話の存在は軽視されるようになり、撤去もかなり進んでいる。かつては商店の店先はもちろん、街角のいたるところに設置されいつでも使えた公衆電話も、最近はコンビニでさえ置いてないところも増えた。
2010年10月8日
今の風景しか知らない人には信じられないかもしれないが、ほんの少し前まで霞城セントラル周辺には民家があり、その庭には樹木が繁茂(はんも)して林のようだった。県都の中心地ながら絵に書いたような田舎風景が広がっていた。
2010年7月9日
山形市の交番は長年ひとところにある例が少なくおおかたは街の動勢に合わせるように場所を変えていった。新しい商業地ができ、人の出入りが増えるとみるや、今まであった場所にこだわることなく交番は移転した。そのため古い交番はほとんど残ることなく姿を消したが、官製ながら秀逸なデザインの建物が多かったような気がする。
2010年5月14日
JR山形駅の北が北山形駅なら南は南山形駅になりそうだが、実際は蔵王駅。これは昭和二十年代に蔵王が観光山岳百選の首位になり、県がもともとの名称だった金井駅からの変更を国鉄に頼み込んだからだ。
2010年3月12日
全国的にも有名な山寺は古くから落ち着いた観光地として存在していたかのようだが、四十年ほど前まではアドベンチャーワールドのような一面も持ち合わせていた。当時は山一帯に張り巡らされている修験道が開放され、まさに命がけの修験道巡りが行われていた。
2010年2月12日
山形市中心部から北上し、馬見ケ崎橋を渡って双月町に入る。すると目に飛び込んでくるのが「これより双月町」という菊池履物店の看板。今風に言えば街のランドマークといった趣であった。
2009年11月13日
通称スズラン街は大手町商店街というのが正式名称だが、大半の人は通称で呼んでいる。かつて設置されていた街灯が鈴蘭型であったことがその名の由来だという。
2009年8月28日
今でこそ高層ビルが立ち並ぶJR山形駅西口周辺だが、山形新幹線が開通する以前は列車通学生用の自転車置き場と東洋曹達(現・東ソー)の工場、それに国鉄の関連施設がある程度で、朝夕を除いては人もまばらなひなびた空間であった。
2009年7月10日
山形新幹線の開通に合わせて平成4年にJR山形駅がリニューアルされ、その周辺もまた大きな変貌を遂げた。「せっかく東京からお客さんがござるのにみっともない建物では申し訳ない」とばかり、古い建物は猛烈な勢いで取り壊されていった。
2009年5月8日
宮町1丁目と5丁目の間を通る山形天童線は古くは羽州街道として、そして山形バイパスが出来るまでは国道13号として県内の南北をつなぐ重要な路線として機能してきた。
2008年12月26日