セピア色の風景帖
朝日町宮宿から最上川を越えて旧三中分校に向かうには赤い五百川橋を渡るが、そのすぐ北側には水色の旧五百川橋が姿をとどめている。旧橋は1927年(昭和2年)の竣工とされ、すでに100年近い歴史を有していることになる。橋に使われている鋼材には大正15年の表記がある。
2019年11月8日
庄内町に大中島という部落がある。平成17年の合併前には立川町に属し、さらにさかのぼれば昭和29年の合併時以前は立谷沢村の一部だった。
2019年10月11日
現在のJR新庄駅は1999年(平成11年)の新幹線延伸時に完成したが、それ以前の旧新庄駅が開業したのは1903年(明治36年)。当初から最上地方の中心拠点としての役割を担い、昭和末期までは貨物駅でもあったが、国鉄からJRに移行する際に貨物の取り扱いを終えたという。
2019年9月13日
JR奥羽本線神町駅の開業は1901年(明治34年)。旧駅舎は戦後間もない47年(昭和22年)に進駐軍によって建てられ、駅舎内には連合軍鉄道運輸司令部事務所(RTO)が置かれていた。
2019年8月9日
JR北山形駅周辺は今でこそ閑散とし、ゴーストタウンのような様相をみせているが、往時は工場群に囲まれ、朝夕の通勤時間帯は労働者であふれていた。また仙山線経由で背負子のおばさんたちが塩釜の海産物を持ち込む入り口としても活気をみせていた。
2019年7月12日
山形市の中心商店街である七日町では、昭和50年代に入ると自家用車の隆盛に伴い駐車場不足が表面化し、駐車場整備で一足先を行くJR山形駅周辺に客足を奪われるようになった。
2019年5月10日
かつてはどこの町にも貸本屋があった。
「貸本屋など使わなくても図書館があるじゃないか」と言われそうだが、当時の図書館はお堅い本しかなく、今とは違って漫画本はタブー。新本を買わずにマンガを読むには貸本屋は有力な選択肢だった。
「貸本屋など使わなくても図書館があるじゃないか」と言われそうだが、当時の図書館はお堅い本しかなく、今とは違って漫画本はタブー。新本を買わずにマンガを読むには貸本屋は有力な選択肢だった。
2019年1月25日
1970年代に全国を席巻したボウリングブーム。波は山形にも押し寄せ、大小のボウリング場が各地に建設されたが、それに先駆けて65年には山形市七日町に「山形ボウリングレーンズ」が開業していた。
2018年12月14日
山形国際ドキュメンタリー映画祭の生みの親とされる故・小川紳介監督の「ニッポン国古屋敷村」(1982年)で一躍有名になったのが上山市古屋敷地区である。同作品はベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞したことでも知られる。
だが現在、雪深いこの地区に並ぶ茅葺き屋根の古民家は崩壊の一途をたどっている。
だが現在、雪深いこの地区に並ぶ茅葺き屋根の古民家は崩壊の一途をたどっている。
2018年11月9日
山形市で国道112号と国道286号が交わる鉄砲町交差点の南側、112号が恥川(はずかしがわ)を跨ぐ荒楯地内に時代がかった橋が姿を残している。銘標が失われているため確認は難しいが、橋の名を「一貫清水橋」という。
2018年9月14日
円形校舎は1950年代に姿を現した。従来の木造校舎に比べて豪雪や台風などの天災に強く、各教室への採光が有利であることから、60年代にかけ全国各地で多数の建設が進められた。
2018年7月13日
山形市風間のJR仙山線を潜るガードについては第41回で述べたが、先の大戦での米軍機による機銃掃射の痕を確認できたので報告する。
2018年6月22日
鶴岡市で、温泉街の湯野浜から人面魚で有名な善宝寺に至るには小山を迂回する必要があり、1975年(昭和50年)に廃止された庄内交通の電車もそうだった。
2018年5月11日
山形市六日町にあるこの店は、店名が示すように美容・理容器具の販売店のようだったが、道路拡張前のその建物は特徴的なもので、モルタル塗りのグレーの店舗に寄り添うように店名を示す板を張りつけていた。
2018年4月27日
林業が盛んだった昭和30年代まで、真室川町のJR釜淵駅から約30キロ西の大川入地区まで、伐採した木材を運ぶ真室川森林鉄道が活躍していた。
2018年3月23日
内陸に山交ランド(現在のリナワールド、上山市)、庄内にゆのはまランド(酒田市)があれば、最上には猿羽根山遊園地(さばねやまゆうえんち)(舟形町)があった。
2018年2月9日
昭和50年に廃止になった庄内交通湯野浜線で唯一保存されることになったのは善宝寺駅であった。観光客が集まる同線随一の立地を生かし、鉄道記念館を作ることになったのである。
2018年1月26日
山形市谷柏(やがしわ)の丹野酒店付近に花川橋という小橋がある。現在の橋ができたのは平成14年だが、その架け替え工事の際、残土とともに処理されつつある1本の石柱があった。
2017年12月22日
昭和2年に山形市木の実町で竣工した教育会館は、教会のような姿の4階建ての洋風建築物だった。隣接する山形ホテルを宿泊棟とし、県内教職員の福利厚生の拠点としての役割を担っていた。
2017年12月8日
明治時代に造られた橋としては南陽市から上山市に点在するいくつかの石橋が有名だが、大正時代の橋で現在も残っているのは明治のそれより少ない。
2017年11月10日
会議室、ホール、展覧会場、図書館などを備えていた新庄市中央公民館は、新庄市のみならず最上地区の文化拠点として多くの講演会や展覧会などに活用されていた。
2017年10月13日
当時の赤湯町、宮内町、和郷村が合併し、県内13番目の市として南陽市が誕生したのは1967年(昭和42年)のことだった。
合併後も温泉街や国道13号を抱えて人口的に勝る赤湯と、熊野大社の門前町としての誇りを持つ宮内とのサヤ当てが水面下で続いたが、ジャスコ(現イオン)は1982年(昭和57年)に赤湯を選んで進出した。
合併後も温泉街や国道13号を抱えて人口的に勝る赤湯と、熊野大社の門前町としての誇りを持つ宮内とのサヤ当てが水面下で続いたが、ジャスコ(現イオン)は1982年(昭和57年)に赤湯を選んで進出した。
2017年9月22日
1881年(明治14年)開通の「栗子山隧道(くりこやまずいどう)」は1936年(昭和11年)に「栗子隧道」と名を変え、自動車時代の到来に備え大口径コンクリート造りの近代的なトンネルになった。
2017年8月25日
山形県は昔から、船運を別にすれば、隣県に行くには必ず峠道を通らなければならなかった。
特に福島との県境には奥羽山脈が横たわり、馬さえ通れないような難儀な山道を人の足でかきわけて進まざるを得ない時代が長く続いた。
特に福島との県境には奥羽山脈が横たわり、馬さえ通れないような難儀な山道を人の足でかきわけて進まざるを得ない時代が長く続いた。
2017年7月26日