徹底して山形に密着したフリーペーパー

セピア色の風景帖

 かつて山形市中心街にはデパートの玩具売り場のほか、小規模ながら数多くの玩具店があった。
2020年9月11日
 江戸時代から北前船が加茂の港に寄港したため、加茂坂越えは鶴岡城下との連絡路として重要なルートであった。しかし難道であったため、今は即身仏として安置されている湯殿山行者鉄門海が新道を開削し、その後、その遺志を継いだ鉄龍海が火薬も使用して改修したと伝えられる。工事の完成は鉄門海が着手してから約60年、明治4年のことであった。
2020年8月14日
 長井市街と伊佐沢間の最上川を跨ぐ長井大橋は1931年(昭和6年)に開通した。
2020年7月10日
 「金井地区」といえば今では陣場、江俣、嶋など山形市北部が連想されるが、かつては片谷地、松原など山形市南部も金井地区と呼ばれていた。
 いずれにも同じ時期に金井村が誕生し、同じ時期に山形市に編入されたという歴史がある。
2020年6月26日
 戦後まもない1947年(昭和22年)、山形―上山間に最新式の高速電気鉄道を建設しようと地元の資産家らが「蔵王高速電鉄」を設立した。
 計画した路線は香澄町から滝山、桜田、成沢、半郷などを経て上山に至るというものだった。
2020年5月8日
 福島との県境に近い米沢市板谷に「栗子国際スキー場」がある。開業は1967年で、ピークの91年には23万人の利用客を集め、運営する板谷観光開発は勢いを駆って93年には施設内に温水プール「栗子クアドームDUO」も併設した。
2020年3月27日
 40代以上の人なら、閉店した大沼の屋上にあった遊園地を覚えているだろう。丸久や松坂屋の屋上にも遊戯施設はあったが、大沼の地下には映画館まで備わっていた。
 家族連れが過ごすには子ども向け施設は必須のもので、大沼は多くの家族に楽しい、懐かしい思い出を提供していた。
2020年2月14日
 南陽市の烏帽子山八幡宮に上るルートのひとつの石段横に、「佐藤医院」という表札がかかった廃屋があった。 
2020年1月10日
 「廃道」とは大半が長い役目を終えて放棄された道路をさすが、中には当初から廃道になることが運命づけられていた道路もあるようだ。
2019年12月13日
 朝日町宮宿から最上川を越えて旧三中分校に向かうには赤い五百川橋を渡るが、そのすぐ北側には水色の旧五百川橋が姿をとどめている。旧橋は1927年(昭和2年)の竣工とされ、すでに100年近い歴史を有していることになる。橋に使われている鋼材には大正15年の表記がある。
2019年11月8日
 庄内町に大中島という部落がある。平成17年の合併前には立川町に属し、さらにさかのぼれば昭和29年の合併時以前は立谷沢村の一部だった。
2019年10月11日
 現在のJR新庄駅は1999年(平成11年)の新幹線延伸時に完成したが、それ以前の旧新庄駅が開業したのは1903年(明治36年)。当初から最上地方の中心拠点としての役割を担い、昭和末期までは貨物駅でもあったが、国鉄からJRに移行する際に貨物の取り扱いを終えたという。
2019年9月13日
 JR奥羽本線神町駅の開業は1901年(明治34年)。旧駅舎は戦後間もない47年(昭和22年)に進駐軍によって建てられ、駅舎内には連合軍鉄道運輸司令部事務所(RTO)が置かれていた。
2019年8月9日
 JR北山形駅周辺は今でこそ閑散とし、ゴーストタウンのような様相をみせているが、往時は工場群に囲まれ、朝夕の通勤時間帯は労働者であふれていた。また仙山線経由で背負子のおばさんたちが塩釜の海産物を持ち込む入り口としても活気をみせていた。
2019年7月12日
 JR北山形駅はJR左沢線の分岐点に位置するのだが、分岐前ではなく分かれてしまってから駅舎を建てたような特殊な作りになっている。
2019年6月14日
 山形市の中心商店街である七日町では、昭和50年代に入ると自家用車の隆盛に伴い駐車場不足が表面化し、駐車場整備で一足先を行くJR山形駅周辺に客足を奪われるようになった。
2019年5月10日
 昭和の終わりに国鉄が合理化されJRになる際、大量の車両が格安で一般に販売された。確か、1両当たり17万円ほどだったと記憶している。
2019年4月26日
 周辺を山に囲まれ、他県に行くにはどこを通っても難渋を余儀なくされる山形県では隧道(すいどう)(トンネル)は不可欠だった。
2019年3月8日
 旧余目町と合併して庄内町になる以前、旧立川町には狩川、清川、立谷沢、大中島の4つの小学校があった。
2019年2月8日
 かつてはどこの町にも貸本屋があった。
 「貸本屋など使わなくても図書館があるじゃないか」と言われそうだが、当時の図書館はお堅い本しかなく、今とは違って漫画本はタブー。新本を買わずにマンガを読むには貸本屋は有力な選択肢だった。
2019年1月25日
 1970年代に全国を席巻したボウリングブーム。波は山形にも押し寄せ、大小のボウリング場が各地に建設されたが、それに先駆けて65年には山形市七日町に「山形ボウリングレーンズ」が開業していた。
2018年12月14日
 山形国際ドキュメンタリー映画祭の生みの親とされる故・小川紳介監督の「ニッポン国古屋敷村」(1982年)で一躍有名になったのが上山市古屋敷地区である。同作品はベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞したことでも知られる。
 だが現在、雪深いこの地区に並ぶ茅葺き屋根の古民家は崩壊の一途をたどっている。
2018年11月9日
 頭の中に思い浮かぶ地図のことをメンタルマップというそうだが、角地の建物は特に重要な役割を果たしているのではないだろうか。
2018年10月12日
 山形市で国道112号と国道286号が交わる鉄砲町交差点の南側、112号が恥川(はずかしがわ)を跨ぐ荒楯地内に時代がかった橋が姿を残している。銘標が失われているため確認は難しいが、橋の名を「一貫清水橋」という。
2018年9月14日
 1926年(大正15年)、国の政策として食料備蓄のために建てられたのが酒田米穀倉庫だ。
2018年8月10日
 円形校舎は1950年代に姿を現した。従来の木造校舎に比べて豪雪や台風などの天災に強く、各教室への採光が有利であることから、60年代にかけ全国各地で多数の建設が進められた。
2018年7月13日
 山形市風間のJR仙山線を潜るガードについては第41回で述べたが、先の大戦での米軍機による機銃掃射の痕を確認できたので報告する。
2018年6月22日
 鶴岡市で、温泉街の湯野浜から人面魚で有名な善宝寺に至るには小山を迂回する必要があり、1975年(昭和50年)に廃止された庄内交通の電車もそうだった。
2018年5月11日
 山形市六日町にあるこの店は、店名が示すように美容・理容器具の販売店のようだったが、道路拡張前のその建物は特徴的なもので、モルタル塗りのグレーの店舗に寄り添うように店名を示す板を張りつけていた。
2018年4月27日
 林業が盛んだった昭和30年代まで、真室川町のJR釜淵駅から約30キロ西の大川入地区まで、伐採した木材を運ぶ真室川森林鉄道が活躍していた。
2018年3月23日