セピア色の風景帖
不動明王は大日如来の化身とされ、古くから炎を背負い刀剣を持つ姿で崇拝されてきた。その峻厳な性格からか、水が激しく動く滝に関連して祀られていることが多く、修験者が関連する多くの滝には不動尊がある。
2023年9月22日
かつてパチンコ屋は当然のように商店街の中にあった。昨今では車で行くことを前提とし、郊外に広大な駐車場を備えた「パチンコホール」や「パーラー」が幅を効かせているが、パチンコ屋は賑やかな商店街に更に彩りを加えるかのように派手に軍艦マーチを流し、客を集めていた。
2023年8月11日
県内には数多くの温泉・鉱泉がある。温泉などは源泉が枯れない限りなくならないように思えるが、実際には経営上の問題から閉鎖される事例が後を絶たない。自然の贈り物として源泉が湧き出るにもかかわらず、その恩恵にあずかることができなくなるのである。
2023年7月14日
統合に統合を重ね、村山市の中学校は今では2つになってしまったが、かつては市内各地に中学校が点在し、地域の子どもたちに出会いと学びの場を提供していた。
2023年6月9日
村山市楯岡の市街地に切通しが唐突に現れる。
藩政期、周囲には愛宕山が屹立(きつりつ)していた。羽州街道が開かれても、愛宕山は参勤交代の大名行列や旅人の行く手を阻む難所だった。
明治11~12年に開削工事を敢行し、切通しを誕生させたのは初代県令の三島通庸である。
藩政期、周囲には愛宕山が屹立(きつりつ)していた。羽州街道が開かれても、愛宕山は参勤交代の大名行列や旅人の行く手を阻む難所だった。
明治11~12年に開削工事を敢行し、切通しを誕生させたのは初代県令の三島通庸である。
2023年5月12日
朝日町の県道白滝宮宿線を朝日連峰の山小屋「朝日鉱泉ナチュラリストの家」を目指してたどっていくと、心もとないほど歪んだ高欄を備えた細い橋が現れる。通過する分には何のことはない古びた橋だが、「何故ここにこんなものが」と思わせられる変わった造りになっている。
2023年4月14日
春になると毎年のように伝わってくる廃校の知らせ。村山市では2003年度を最後に、市内の中学3校(葉山、戸沢、大高根)は新・葉山中として統合された。名前の残る葉山中を含め、校舎は廃校舎とされ、備品は競売にかけられた。
2023年2月24日
文化財や名勝旧跡は大切に保存されて当然と思われがちだが、区画整理や道路拡張などの計画範囲に入ってしまうと開発優先の判断がなされ、実際に多くの貴重な物件が消え去っている。
2022年10月28日
高畠町竹森にはかつて、老朽化した広大な工場群が広がっていた。一見すると学校跡のようだったが、そびえ立つ煙突がそうではないことを主張していた。
2022年8月26日
豪雪地として知られ、民家もまばらな朝日町。古くからあった小学校や分校の多くは平成の時代まで生きながらえたが、地域の衰退とともに次第に閉校の嵐が吹き荒れるようになった。和合小学校もそうした波に抗うことはできず、2008年に132年の歴史に蹄を下ろした。
2022年7月22日
一方通行を解消すべく、山形市中心街では道路拡幅計画が目白押しである。それに伴い古い建物は静かに姿を消し、広くなった道の両脇に現れるのは駐車場やマンション、ホテル…。
2022年6月10日
歴史的な建物の姿を後世に残そうという際、残念ながら、その来歴を踏まえて丁重な保存を心がけることは極めて少なくなっているように思う。
2022年1月14日
今でこそコンビニやドラッグストアのおかげで出先のトイレに困ることはなくなったが、かつてはそういうわけにはいかなかった。デパートなど大きな施設には客用のトイレが設えられていたが、一般商店でトイレを利用するには店の奥の家族用を借りねばならない場合が多かった。
2021年11月12日
山形市南栄町にあったバッティングセンター「山形こうしえん」は、昭和50年代の初めには既に存在していた。赤湯の鳥上坂付近や、今は亡きシネマ旭の屋上にもバッティングセンターがあったという話もあり、決して県内初の施設ではなかったようだが、設備の充実ぶりから最も利用されていたのではないか。
2021年10月8日
山形市七日町の大沼デパートの脇に、昭和40年からの長きにわたり門番のごとく店を構えていた甘栗太郎。本社は新宿区四谷で、秋葉原や銀座に店があるらしいが、それがなぜか遠く離れた盛岡や山形などの地方都市に出店するという特異な会社でもあった。
2021年9月10日
西蔵王の山頂付近には今でこそ宿泊施設が皆無になったが、かつてテレビ塔付近に西蔵王ガーデンと近江屋旅館別館・ホテル西蔵王の2軒、加えてその東に位置する西蔵王スキー場の横には国民宿舎西蔵王山荘があり、それぞれがレジャー客を集めていた。
2021年7月9日
国道13号上山バイパスがリナワールド前で分岐すると、旧道は須川を越え上山市街へと向かう。その須川に架かっているのが龍王橋である。
2021年5月28日
山形盆地の東南部、菰石(こもいし)川が流れる横に風間山がある。山上に館跡があり、天正年間は風間豊後守の居城だったとして一帯を風間地区と呼び、地内にある箱形石棺を出土した古墳には風間古墳の名が付けられている。
2021年4月23日
自転車の価値が今よりはるかに高かったころ、子どもにとって自転車はステータスだった。
ブリヂストン、丸石、ミヤタ、関根など多くのメーカーが競うようにドロップハンドル、ディスクブレーキ、多段変速、フラッシャーランプなどの新機種を続々と投入し、少年雑誌にも自転車広告が溢れていた。
ブリヂストン、丸石、ミヤタ、関根など多くのメーカーが競うようにドロップハンドル、ディスクブレーキ、多段変速、フラッシャーランプなどの新機種を続々と投入し、少年雑誌にも自転車広告が溢れていた。
2021年3月12日
かつて出羽三山に巡礼者が大勢押し寄せていたころ、庄内と内陸を結ぶ六十里越街道の寒河江川渡河地として白岩地区に架けられたのが臥龍橋であった。
2021年2月12日
2輪、4輪の免許を取得する場所は、現在は天童市高擶の山形県総合交通安全センターだが、以前は立谷川右岸の県運転免許センターだった。
2020年12月11日
南陽市の吉野川沿いの太郎という地区に負ヶ沢という支流があり、小滝街道(県道5号山形南陽線)には負ヶ沢橋が架かっているが、並行して1.5メートルほど下に旧橋が埋もれている。
2020年11月13日
鳥海山から海に流出した溶岩が固まったとされる三崎峠。峠に街道ができたのは今からおよそ1500年前で、この地を訪れた慈覚大師が住民と協力して開削したと伝えられている。
2020年10月9日