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《セピア色の風景帖》 第三十八回 芸工大周辺

2011年6月10日
 「滝山地区に大学ができるとか」。今から25年ほど前、この謡言(ようげん)を本気にする人は少なかったが、実際に土地の買収が進み、建設の槌音(つちおと)が響くようになるに及んで「田んぼの中の大学」は現実味を帯びてきた。
《セピア色の風景帖》 第三十八回 芸工大周辺
 大学周辺は今でこそ瀟洒(しょうしゃ)な住宅が建ち並んでいるが、当時は農家がマバラに点在し、その庭先には柿がたわわに実をつけ、一帯はススキが生い茂る昔ながらの田園風景が広がっていた。
  建設が進み多層民家をイメージした白亜の建物が姿を現すころには、中桜田の鄙(ひな)びた道は地域の期待を背負って「青春通り」の名が冠せられ、学生向けを意識した喫茶店やレストランなどが軒を並べるようになった。
  鎮守の杜や野仏、曲がりくねった小川は姿を消し、道は側溝付きの直線に改められた。茅葺き屋根はサイディングのアパートに置き換わり、農家の庭先にあった柿の木はほとんどなくなってしまった。学園都市のイメージに近づけようと誰もが思ったのであろう。
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 ただ、この地が芸術を生み出す拠点として選ばれた理由に想いを巡らす時、こうした開発の手法はどうだったのだろう。貴重な田園風景そのものがキャンパスになり得たのではないのか。虫や蛙の声を聞きながら、風になびくススキの中を物想いにふけりながら歩ける環境こそが。  (F)