徹底して山形に密着したフリーペーパー

東北芸工大大学院長 東北文化研究センター所長 入間田 宣夫 さん

2011年4月22日
入間田 宣夫(いるまだ・のぶお) 1942年(昭和17年)宮城県涌谷町生まれ。68年東北大学大学院文学研究科国史学専攻博士課程中退、同年東北大文学部助手。山形大学助教授、東北大助教授、東北大東北アジア研究センター教授などを経て2005年に東北大を定年退職、06年から東北芸術工科大学教授。10年4月に同大大学院長、11年1月に東北文化研究センター所長に就任。専門は日本中世史。69歳。
東北芸工大大学院長 東北文化研究センター所長 入間田 宣夫 さん

地元目線の復興に向け
 役立てたい「東北学」の成果——


——仙台にお住まいと伺いましたが、大丈夫でしたか?
 
大震災、貞観年間にも

 「週4日は山形にいるのに3月11日はたまたま仙台に。自宅は本棚から本が落ちた程度だったけど、1キロほど海の方に行くと津波の被害が凄い。報じられている三陸や福島の状況は同じ東北人としてはツラい」
 「三陸沖発の震災として古くは869年に貞観(じょうがん)地震(貞観津波)というのがあり、古文書に記されている被害の惨状ぶりには半信半疑だったんだけど、実際に今回の大震災があって、やっぱりあれは本当だったんだと」
——被害地の復旧と復興に向け、「東北学」を提唱する東北文化研究センターとしてどう関わっていきますか?
 
災害克服してきた歴史

 「東北学では1万年もの東北の人たちの暮らしを研究してるわけだけど、これまでにも幾度となく地震や津波、それに飢饉といった災害に見舞われ、それを克服してきた歴史があるのね」
 「そうした歴史を様々な形で情報発信していきたい。その一環として8月発行の季刊誌(東北学)で『地震・津波・原発』を特集する予定です。民俗学、歴史学、地理学など多岐に及ぶ研究成果を結集したい」
 「今後、我々が訴えていきたいのは東京の目線ではなく東北の目線による復旧と復興。東北各地には営々と続く人々の歴史や暮らしがあり、それを無視した画一的なやり方、効率一辺倒のやり方は避けるべきだね」
 
立場で異なる歴史認識

——ボクは先生が監修されたNHK大河ドラマ「炎立つ」を山形に来て初めてビデオで観て、それまでの歴史認識と真逆だったので衝撃でした。
 「でしょ。奥州藤原氏が鎌倉幕府に滅ぼされた戦いもかつては『奥州征伐』なんて呼ばれてたんだから。『征伐』はおかしいだろうと私が学界で最初に『奥州合戦』って使い始めて、今では『合戦』が常識だね」
 「今回の震災に関しても東京の人はよく『東北の人は我慢強いから』って言うでしょ。確かにそうなんだけど、東北でも海岸部と内陸部では気質はずいぶん違う。それを十把ひとからげに…」
——例の悪名高い「白河以北一山百文」ってやつですね(苦笑)
 
必ず立ち直る

 「単純な我慢強さだけではなく、海を通して世界につながってきた東北海岸部の人たちのアクティビティは極めて高い。必ず立ち直ります」