徹底して山形に密着したフリーペーパー

<提言> 弱者を思いやり 山形の民度をさらに

2011年4月8日
 16年前に阪神大震災が起きた時、私は日銀神戸支店に勤務していた。発生したのは明け方。恐怖と不安を抱えながら、何ひとつ音のしない不気味な静寂の中を歩いて出勤したのを覚えている。
 余震が続く中、業務で街中に出てみると、毛布に包まれて搬出されていく遺体、瓦礫となった住居の横で呆然としゃがみこむ人…。そこかしこで鎮火し切れない火事が続いていた。
 被災した阪神地区が復旧・復興するには数年単位の相当な期間を要した。食料の確保、ライフラインの回復、仮設住居の建設、生産拠点や物流の復旧といった形で直面する課題は変化し、これらにをみんなが力を合わせて克服していった。
 
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 今回の震災は阪神大震災をはるかに超える規模で、被災者の数も比較にならない。さらに福島第一原発は依然として予断を許さない厳しい状況が続いている。
 今後について私の拙い経験から申し上げられることは、被災地の状況は目まぐるしく変化するということである。絶えず新たな危機、新たな課題に直面するはずだ。しかもそうした要警戒モードの期間は相当長いとみなければならない。それは数カ月では不十分で、1年、2年になるかもしれない。
 当然、それに応じて支援する側の対応も変わる。阪神のケースでは当初はおにぎり、乾パンなどのすぐに食べられるもの、生理用品、下着、コンタクトレンズ洗浄液などが不足した。だが、それらがドッと送られてきたころには欲しいもの、必要なもののニーズは全く変わっていた。
 ある時点で切望されるものが次の時点でそうとは限らない。情報を的確に把握して被災地がどういう状況にあるのかを見極めることが重要になってくる。
 もうひとつ、こうした災害の直後に我々が厳に慎まなければならないことは節度をわきまえること。意図する、しないに関わらず、買い占めなどは避けて欲しい。
 最近になってこそ沈静化したが、ここ山形でもガソリンやカップめん、ミネラルウォーターの不足はさながら「狂想曲」の様相を呈した。ルールと節度を守って行動し、被災者、弱者への思いやりを忘れないで生活することが求められている。
 こうした意識の共有が山形を住みやすい場所にし、民度をさらに高める第一歩になるのではないだろうか。

<提言> 弱者を思いやり 山形の民度をさらに
日本銀行山形事務所
所長  植林 茂