徹底して山形に密着したフリーペーパー

山形市の避難者自治組織の区長 田中 諒さん

2011年3月25日
田中 諒(たなか・まこと) 1983年(昭和58年)福島県相馬市生まれ。地元で自動車整備を営むかたわらボランティアで消防団活動にも従事。東日本大震災による避難者が1092人と県内最多の山形市総合スポーツセンターで20日に発足した5つの自治組織のうち「1丁目2区」(160人)の区長を務める。28歳。
山形市の避難者自治組織の区長 田中 諒さん

果樹狩りで訪れた山形
   親切な人たちに感謝です——

——160人を束(たば)ねる区長さんと聞いて、てっきり年配の方だと…。
 「最初、ボランティア募集と聞いて荷物運びとかやるのかと。それで手を挙げたら男性が2人だけ。話を聞いて戸惑いましたけど、ボランティアで地区の消防団活動もやっていたので」
 「実は今日(3月21日)が誕生日で28歳なりたてなんです(笑)」
 
原発事故で避難

——ここはいつから?
 「親戚8人は15日に、自分は行方不明者の捜索なんかで17日の夜に。被害ですか? 自分たちは特になかったですが、死んだ人や家が全壊した人は大勢います。船を失くした漁師さんや津波で田畑がメチャメチャになった人も」
 「避難を決めたのはやはり原発の存在。相馬は原発から50〜60キロと避難勧告区外ですが、やっぱり事故とか風評とか心配で…」
 「ここには相馬市や南相馬市のほか福島市や石巻市の方が避難してます」
 
できることを自分たちで

——避難所生活で不自由なこととかあります?
 「山形の人たちには本当によくしてもらってます。そんな好意にいつまでもおんぶに抱っこではいけないというのが自治組織をつくった狙いです。できることは自分たちでやろうと」
 「毎日2回の区長会議で『ここはこうしたらいいんじゃないか』『あそこはこうしよう』と話し合って、それを持ち帰ってみんなに伝えたり、逆に小さなお子さんを抱える親御さんや支援が必要なお年寄りの要望なんかを聞いて行政の方々にお伝えしたり」
 
温かい山形の人たち

——ボクも県外の人間だから痛切に感じるんだけど、こういう時、山形の人って温かいでしょ。
 「すごい温かいって思います。立場が逆なら、多分こんなに親切にしないだろうっていうぐらい。ホントに良くしてもらってみんな感謝の気持ちでいっぱいです」
——困ってる人を助ける尺度みたいなのがあれば、山形は全国1だと思うな。
 「毎日の会議でも『そこまでしてくれなくてもいいですよ』っていうぐらい。おせっかいという意味ではなく、そこまで親身になってくれるのかって」
  
定住者も増えそう?

——家をなくしたり生活基盤を失ったりで、これが縁で山形に移り住もうって考える人、いるんじゃないかな。
 「多分いらっしゃるでしょうね」