徹底して山形に密着したフリーペーパー

<荒井幸博のシネマつれづれ> 追悼・高峰秀子

2011年1月14日
山形と縁深い大女優

 往年の大女優、高峰秀子が昨年末に肺がんのため86歳で亡くなった。
 
5歳で銀幕デビュー

 1929年に「母」で映画デビューしたのは5歳の時。天才子役として爆発的人気を博し、少女時代には「綴方(つづりかた)教室」 「馬」などを大ヒットさせる。成人してからも「カルメン故郷に帰る」 「二十四の瞳」 「喜びも悲しみも幾年月」 「浮雲」 「流れる」 「張り込み」などで銀幕のスターの座を不動にした。
 79年「衝動殺人 息子よ」を最後に55歳で引退するが、50年間で300本超の作品に出演した昭和を代表する映画女優だった。意外に知られていないが実はこの大女優、嬉しいことに山形とは浅からぬ縁があるのだ。
 
「馬」めぐる挿話

 彼女が15歳から17歳まで足掛け3年がかりで製作された41年「馬」は東北各県で撮影され、山形では新庄市、尾花沢市、最上町がロケ地となった。この時、山本嘉次郎監督のもとでチーフ助監督を務めた黒澤明に彼女は淡い恋心を抱いた。
 また最上町でのロケ現場を目にした門脇貞男という当時6歳の少年は、彼女の美しさがその後も脳裏から離れず、長じてコメディアンになる時に彼女にちなみ芸名を「ケーシー高峰」とした。
 
「乱れる」では愁嘆場

 さらに64年「乱れる」では小姑(こじゅうと)にイビリ出される戦争未亡人が故郷の新庄に帰る途中、大石田駅で下車して銀山温泉に逗留(こうりゅう)する。彼女を慕う義弟役の加山雄三が追ってくるという愁嘆場だ。 
 フィルムコミッションなど存在しない時代。雲の上の大スターである高峰秀子が撮影にやってきた当時の最上地区は鼎(かなえ)の沸くような騒ぎだったのではないだろうか。

          ◇          ◇

 彼女をお招きし、山形ゆかりの「馬」「乱れる」の2作品を上映してトークショーを催すのが長年の夢だったが、叶わなかった。慎んでご冥福をお祈りいたします。 (文中敬称略)


<荒井幸博のシネマつれづれ> 追悼・高峰秀子
荒井幸博(あらい・ゆきひろ)

1957年、山形市生まれ。シネマ・パーソナリティーとして数多くの地元メディアで活躍、映画ファンのすそ野拡大に奮闘中。