徹底して山形に密着したフリーペーパー

イオン名誉会長相談役 岡田 卓也 氏

2010年10月8日
岡田 卓也(おかだ・たくや) 1925年(大正14年)三重県四日市市の老舗呉服商「岡田屋」の7代目として生まれる。43年、旧制富田中学(現在の三重県立四日市高校)を卒業して早稲田大学へ。在学中に召集されるも国内で終戦を迎え、郷里に戻り家業を再興。その後、多くの小売会社を合併してジャスコを創立、現在のイオングループの基礎をつくる。信条は岡田屋の家訓「大黒柱に車をつけよ」(環境の変化に対応して企業を変革せよの意)。経営の一線を退いて10年になるが、今なお存在感は大きい。長男の元也氏はイオン社長、次男の克也氏は民主党幹事長。85歳。
イオン名誉会長相談役 岡田 卓也 氏

変化への対応遅れた小売業
   今こそ大黒柱に車をつけよ——

——実はボク、大学もですけど高校も名誉会長の後輩で…。四日市高校の卒業なんです。
 「そうなんだってね、広報から聞いたよ。日経にいたんだって?それが何で山形に?」
——いや、それはなかなか一言では…(苦笑)
 「山形、いいところだったと」
——まあ、そんなところなんですけど、あの、高校時代の思い出とか。
 
旧制中学時代は野球部

 「私はね、旧制富田中学の40回生。野球部でキャッチャーやってたんだけど、戦局が厳しくなって対戦相手の国技はまかりならんってことになり5年の時にバックネットを壊して廃部だよ」
 「でも当時、私とバッテリーを組んでた2年上の水谷貞雄さんが昭和22年、富田中で復活した野球部の監督になって春の甲子園に初出場、昭和30年には(四日市高として)夏の甲子園に初出場し、初優勝を遂げた」
——我々が生まれる前の話ですけど、快挙として語り継がれています。
 「うん、うん」
——今日は南陽市での「イオンの森」植樹式に伺っています。
 
緑化、30年代後半から

 「緑化に取り組むきっかけは四日市ぜんそく(注・昭和35~47年にかけ発生した大気汚染による集団ぜんそく障害で4大公害病のひとつ)。草木も枯れるような状態だったから、新しくできた四日市駅前の幅70メートル道路に花を植える活動を始めた。でも当時は植えても一晩でなくなっちゃうんだな」
——……。枯れちゃうんですか?
 「盗まれるの(笑)」
 
小売業変革の時

——緑化活動は自ら先頭に立たれて海外でも。
 「環境は世界的テーマ。商売でもこれからは国際的な視点がないとダメになる。スーパーを含め日本の小売業は規制に守られ、時代の環境変化に対応してこなかった。変わらざるを得ない時期だ。このままだと5年以内に行き詰まる」

山形、農業と観光に注目

——山形にはどんな印象をお持ちですか。
 「優れた農業県という印象だね。果物もそうだし、知事さんにうかがえばコメも新たなブランドを確立しようとしているとか。こうした農業資源に観光をプラスすれば面白いんじゃないかな」
——昨晩、社内の方を通じてご紹介した七日町の割烹料理店、いかがでした?
 「ああ、あそこ、あなたが紹介してくれたの?いや美味しかったよ」