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精英堂印刷(米沢市) 社長 鈴木 高明 氏

2010年8月27日
鈴木 髙明(すずき・たかあき) 1946年(昭和21年)西村山郡朝日町生まれ。山形南高から明治大学政経学部に進み、卒業後の68年、殖産相互銀行(後の殖産銀、現在のきらやか銀)へ。同行における当時の最年少支店長(左沢支店)などを経て92年に経営企画室長。97年、米沢支店長を最後に同行を退職、精英堂印刷社長に。日本酒のラベル印刷に特化していた同社の組織・事業改革に取り組み、最新技術「水なし印刷」の導入などで全国区の高収益企業に育て上げる。64歳。
精英堂印刷(米沢市) 社長 鈴木 高明 氏

経営の底流にあるもの
   組織ならみな同じはずです——

——ボクは鈴木さんの銀行時代を存知あげないんですけど、経営企画室長されてた時の部下の方が「最高にカッコいい上司だった」って。
  「部下って誰かな?」

殖産時代「理想の上司」

——仕事ができて、イエスマンばっかりだった上層部にモノが言える唯一の管理職で、役員に1番近い人だったって。
 「まあ経営企画室ってとこは司令塔みたいなところで、そういう目で銀行全体を見渡すと前近代的なところがいっぱいあった。室長をやった2年の間、預金から融資への戦略転換を目指す当時としては画期的な長期経営計画もつくりました」
 「あと仙台の徳陽シティ銀、盛岡の北日本銀との3行合併構想が持ち上がった時、立場として自分の考えを申し上げなければならない場面もあった。いいじゃないですか、もう昔の話ですよ」
——で、50歳で殖産を辞められて異業種の印刷会社に。思い切った転身ですね。
 
50歳で転身

 「銀行には一生いるつもりだったのでいろいろ悩みました。でも今でも覚えてますけど、ある日、歯を磨いていたら鏡にもう一人の自分が写っていて『もういいんじゃないか』って」
 「精英堂は当時の社長が熱心に誘ってくれていて。それで入社して社長になって見渡すと、こちらも前近代的なところがいっぱい(笑)。こちらでも最初は経営計画づくりで、具体的には日本酒のラベルに過度に依存していた体質を改め、どうやって新分野に転換していくかに腐心しました」
 
「水なし」で躍進

——転機は?
 「紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながら99年、日本で初めて水なし技術をパッケージ印刷に応用できたのが大きい。水なしだと廃液を出さないので環境にも優しいし、インクがにじまないので仕上がりは高精細になります。オンリーワン企業になれたことで規模や地方のハンデを跳ね返せるようになったことが転機になりましたね」 「今では取引先は全国に広がってます。環境と品質をテーマに今後も販路を広げていきたい」
 
自分流を貫く  
 
——会社が変わっても慧眼(けいがん)を発揮して、あっさり実績を残すところがカッコいいなあ。
 「銀行も一般企業も本質は同じはずですよ」
——鈴木さんが殖産に残って経営陣になってたら、たぶん殖産のその後の運命は変わっていたんでしょうね。
 「どうでしょうか」