徹底して山形に密着したフリーペーパー

上山病院診療科長・歌手・地球のステージ代表理事 桑山 紀彦 氏

2006年12月22日
桑山 紀彦(くわやま・のりひこ) 1963年(昭和38年)、飛騨高山市生まれ。81年、岐阜県立斐太高校卒業後、山形大学医学部へ。在学中、自転車による日本一周を決行。山大医学部付属病院に勤務していた89年からタイとカンボジアの国境地帯で難民に対する救援活動に携わる。96年から音楽と映像による国際理解講座「地球のステージ」を組織する一方、医療法人二本松会上山病院の精神科医として勤務。43歳。
上山病院診療科長・歌手・地球のステージ代表理事 桑山 紀彦 氏

映像と音楽で地球を元気づけたい

――地球のステージ」の活動内容を教えて下さい。

世界の惨状、ステージで

 「これまで紛争地や被災地など約50カ所で医療救援活動に携わってきました。悲惨な現実や、現地でふれ合った人との交流、感動した出来事などを日本に伝えることが使命だと考えるようになりました」
 「単なる講演では臨場感が伝わらない。ギターと歌には多少の自信があったので、現地での思いを自作の歌に乗せ、現地の映像をバックに流しながら弾き語りで伝えるのがステージの活動です。勤務医との二足のわらじですが、公演は全国で1300回を数えました」
――以前からボランティアに興味があったのですか。

奉仕活動は自分のため

 「まったくなかった(笑)。かえって偽善的なにおいがして嫌いでした。でも何度か救援活動を続けるうち、無力な自分でも人の役に立てるのがわかってきた。ボランティアというと、とかく相手に対する同情とか、あわれみの感情を抱きがちですが、むしろ元気とか勇気をもらうのは自分の方なのです」
 「ソマリア、東ティモール、旧ユーゴスラビアなどの貧困・紛争地域の子どもたちの明るくたくましい姿を通じて、日本の子どもたちにも生きる勇気を与えていきたい」
――そもそも、どうして岐阜から山形に来たのですか。
 「もともと医学部志望だったのですが、物理が苦手で、山大の2次試験に物理がなかった。あと文章を書くのが好きで、山大には2次試験に小論文があった。これだけで選びました(笑)」
 「でもボランティアに目覚めたのは山形に来たのがきっかけ。山形では農村部を中心に東南アジアからの外国人花嫁が大勢いて、彼女たちのメンタルケアに携わったのが現在の活動につながっています」

上山病院診療科長・歌手・地球のステージ代表理事 桑山 紀彦 氏
山形にこだわりたい

――全国や世界を飛び回るには山形は不便でしょ。
 「確かに移動拠点は仙台です。でも山形にいるメリットは計り知れない。ステージで演奏する自作の歌は、山形の雄大な自然の中でないとイメージがわいてこないんです。人も豊富。ステージは音響や映像、僕以外の演奏家が必要ですが、山形にはそれぞれ優秀な逸材がいる。山形から離れる気はありません」
 「地球のステージの活動はもともと県内が中心でしたが、口コミで広がって現在は全国から要請が来るようになりました。逆に最近、県内からのお呼びが少ないのが寂しい(笑)。地球がステージですが、スタートは山形でしたから」