徹底して山形に密着したフリーペーパー

高畠ワイン 社長 奥山 徹也 氏

2010年5月28日
奥山 徹也(おくやま・てつや) 1946年(昭和21年)旧満州生まれ。終戦で引き揚げ後、北海道、福島、千葉などに移り住み、千葉東高から山形大文理学部(現在の人文学部)へ。同大卒業後、数社を経て76年に山形市の酒類卸会社に就職、取締役まで務めた後、92年に高畠ワインから営業部長としてスカウトされる。99年常務、2004年専務を経て05年から現職。63歳。
高畠ワイン 社長 奥山 徹也 氏

研鑽の歴史を積み重ね
   いつか本場・欧州の味に——

——山形との縁って?
 
「三島神社」に絶句

 「大学で来たのが最初です。最初は戸惑うことばかりで、1番ビックリしたのは『三島神社』なんてのがあったこと。初代県令の三島通庸(みしまみちつね)を祀(まつ)ってると知りましたが、ボクは幼少期を会津で過ごしたもんだから『福島事件』の元凶の三島なんて極悪人のイメージですよ、極悪人(笑)」
 「でも今の立場からすれば、三島が開通させた栗子トンネルのおかげで福島や首都圏から大勢の観光客が来てくれるし、三島が産業振興のため奨励したブドウ栽培がワインづくりにつながっている。恩人ですな(笑)」
 
学生運動、留年、結婚

——どんな大学時代だったんですか。
 「当時は『70年安保』で山大でも学生運動が盛んでした。ボクも4年の時に自治会の執行委員長やってたんだけど、根が軟弱なもんだから、活動ったってふて寝を決め込む『ネトライキ』とか(笑)。そんなだったから1年留年しちゃった」
——山大卒業後、いったん首都圏でお勤めになって、また山形に戻ってこられるんですよね。
 「大学時代に知り合った女房の実家が東根でね。ボクは長男だったけど、むこうは女姉妹だけで、結婚する条件が婿に入ること。親戚縁者から猛反対されたけど、結婚したい一心ですべてを捨てて山形に(笑)」
 
ワインとの出会い

——は〜あ。で、山形でワインと本格的に出会うわけですね。
 「1番最初に飲んだのは高校3年の時なんだけどね、あっ、言っちゃマズいか(笑)。山形に戻った当時は第1次ワインブームが終わったあたり。会社のワインセラーに残骸が山になって残っていて、これは自分が勉強するしかないと」
 「そうすると数限りない種類があることが分かってきて、しかも1本1本の味が全部違う。奥深さを感じました」
 「そうやってワインの魅力にとりつかれて、ワインの仕事が天職だと思ってたから、高畠ワインからスカウトされた時は正直うれしかった。45歳でしたが、好きなことを思い切ってやろうと」
 
観光ワイナリーに注力

——順調に登りつめられて、社長としての方針とかは?
 「品質の追求はもちろん、東北最大のワイナリーとして安定供給も責務です。あと卸会社や量販店だけに依存せず、観光も重視し直接消費者と結びついたワイナリーを目指したいですね」