徹底して山形に密着したフリーペーパー

山形ヤナセ 代表取締役会長 後藤 頴昭 氏

2010年5月14日
後藤 頴昭(ごとう・ひであき) 1934年(昭和9年)山形市生まれ。山形市立第三中学校卒業後、父親の誉之助氏が営む後藤自転車店へ。後藤自転車店は自動二輪の取り扱いも始め、60年に後藤モータースに改組、62年にはヤナセとベンツ、フォルクスワーゲンの特約販売契約を結ぶ。誉之助氏の死去後、84年に社長就任。91年に後藤モータースを山形ヤナセに社名変更、2004年から会長。76歳。
山形ヤナセ 代表取締役会長 後藤 頴昭 氏

キメ細かなアフターサービス
  「顧客第一主義」を徹底——

——ベンツ売ってらっしゃるから、てっきり太ってて派手なヤクザっぽい方だろうと(苦笑)
 「実際はどんな?」
——サクランボ農家の好好爺(こうこうや)みたいな(苦笑)
 
社長にならないはずが

 「…(笑)。ホントは社長になるはずじゃなかったし、そのつもりもなかったんですよ」
 「私は4人兄弟の末っ子。勉強が嫌いで中学を出て家の自転車屋で働くようになりました。長兄は大学まで進みましたが、私は期待もされず、任されたのは自転車の組み立てやバイクの機械いじり。でもそんな油まみれの仕事が好きでした」
 「家業は大きくなって株式会社になり、ヤナセの輸入車も扱えるようになりますが、80年に父が急逝。長兄が後を継ぎますが、この時に一部の車種を除いて山形県におけるヤナセの販売権が他社にもっていかれてしまいます」
——どうして?
 「販売力がないという烙印を押されたんでしょうなあ。長兄は途方に暮れますが、創業以来のピンチを救える人間は周囲に誰もいない。消去法で、ついに会社の隅っこで油にまみれてた私しかいなくなっちゃった(笑)」
 
整備に活路を

——人生、何があるかわかりませんね。
 「でも社長になったからといって私にできる特別なことはなく、創業以来の会社の強みである技術を売りにするしかないと思った。車が売れない時代が続きましたが、その間も歯を食いしばって技術力を磨きました」
 「そのうち『他社で(輸入車を)買ったけど整備はおたくで』というお客様が増えてきて、ヤナセも無視できなくなってきたんですね」
 
ヤナセ販売権を奪取

——いい話ですねえ。
 「ヤナセの販売権が移っていた会社を吸収合併したのが98年。ヤナセ全車種を一手に扱えるという悲願を18年ぶりに達成できました。それからも紆余曲折はありましたが、おかげ様で大過なくやってこられました」
——車種ごとに分社化されてますよね。
 
グループ年商30億円

 「併売は困るという各メーカーの方針でね。我々としては経費がかかって大変なんですけど。グループ全体の年商ですか?30億円といったところでしょうか」
——従業員の方、全員ヤナセの車なんですね。
 「1年前から奨励してます。みんなローンを組んで『会社を辞めるに辞められない』なんてコボしてますけど(笑)」