徹底して山形に密着したフリーペーパー

COCO夢や代表 工藤 眞一 氏

2007年5月11日
工藤 眞一(くどう・しんいち) 1956年(昭和31年)、山形市生まれ。山形南高を卒業後、首都圏の専門学校へ。フリーの助監督として東宝、松竹などの映画製作に携わるが、87年に山形市に帰郷。コンビニエンスストアのオーナーなどを経て、99年に七日町ほっとなる広場で「CoCo夢や」を開業。2003年に城西町の生協しろにし店へ移転、06年から七日町のナナ・ビーンズ店を展開中。自他ともに認める「どんどん焼き」の第一人者。50歳。
COCO夢や代表 工藤 眞一 氏

後世に残したい 山形のB級食文化──

──「どんどん焼き」って、山形に来るまで知りませんでした。

山形独自の食文化

 「そもそものルーツは江戸期に東京で広がった『もんじゃ焼き』なんです。これが大阪に伝播して『お好み焼き』になり、山形にも伝わって『どんどん焼き』になった。チャートで示すとわかりやすいんですけど(笑)」
 「屋台で売っていたため客寄せを狙って太鼓を『ドンドン』と叩いていたのが名前の由来。1本のハシで巻く現在のスタイルを確立したのが大場亀吉さんっていう人で、最盛期の昭和30年代から40年代にかけては山形市内だけで20人近くが屋台をひいていたそうです」

──我々が幼少期を過ごした時代ですね。

10年前には「死語」に

「それが10年ぐらい前から屋台をひく人がめっきり減り、『どんどん焼き』という言葉自体が死語になりかかってた。山形が全国に誇れる食文化を何とか残したいと思ったのが、この商売を始めるきっかけでした」

──初めていただいたんですけど、今どき、具が魚肉ソーセージ1切れっていうのも…(苦笑)

B級感こそ持ち味

 「そのレトロ感、B級感がいいんじゃないんですかぁ(笑)。それに具を入れ過ぎると巻けなくなっちゃうんですよ。あと『どんどん焼き』は具じゃなくて生地のおいしさが売り物なんです」
 「味はソースかしょう油かを選んでもらいます。まあ基本はソース味ですけど、お客さんの方もこだわりがある人が少なくなくて、表がソースで裏はしょう油にしてくれとか(笑)。そんな顧客ニーズに置いていかれないように、新メニューも次々に開発中です」

──店に飾ってあるアース製薬の水原弘や、ボンカレーの松山容子とかのポスター、懐かしいですね(笑)

古きよき昭和30〜40年代

 「僕らが子どものころは楽しかったじゃないですか。イジメもあったかもしれないけど、今ほど陰湿じゃなかったし、まして自殺なんてなかった」
 「みんなが夢とか希望を持ってて、それを語ることが恥ずかしいことじゃなかった。『CoCo夢や』はそんな古きよき山形、日本を発信する場所にしたいと思います」
 「七日町のセブンプラザ1階にも新しいクレープレストランを始めることにしました。30種類のクレープのほか、健康食として注目を集めている黒酢のバーを併設します。将来的には山形のソバ文化を活かしてソバ粉クレープもメニューに加えたい」