徹底して山形に密着したフリーペーパー

国立大学法人 山形大学長 仙道 富士郎 氏

2007年8月10日
仙道 富士郎(せんどう・ふじろう) 1938年(昭和13年)新潟県魚沼市生まれ。65年、北海道大学医学部卒業後、NIH(米国立衛生研究所)での研究、北大医学部付属癌研究施設助手などを経て75年に山大医学部助教授に就任。82年同学部教授、2000年同学部長を経て01年から現職。07年8月末退職予定。69歳。
国立大学法人 山形大学長 仙道 富士郎 氏

少年よ 山形の自然と共に!!――

――6年間、ご苦労様でした。在職期間を振り返っていかがですか?

印象深い教育学部再編問題

 「一番印象深いのは02年から03年にかけての教育学部の再編問題かな。文部科学省が唱える教育学部の再編に、ボクがあっさりと乗っちゃった。宮城教育大、福島大と教員養成課程を一本化しようとしたんだけど、これが虎の尾を踏んじゃったわけだ」
 「結局、教員養成にかける山形県の熱い思いを理解しきれてなかったんだろうね。高橋和雄前知事に反発され、存続を求める21万人もの署名を集められちゃって。あれには正直まいった(苦笑)」 
気苦労ばかりの一期目

――工学部セクハラ事件もありましたよね。
 「04年だよね。もう弱り目に祟(たたり)目。あの事件は分散キャンパスの弊害が出ちゃったね。(米沢市の)工学部からボクがいる山形市まで情報がスムースに届かなかった」
 「そもそも学長に就任したのが入試ミスの発覚で前学長が引責辞任した直後。当時は補償問題も含め学内はてんやわんやだった。まあ1期目は気苦労ばっかりでしたよ(苦笑)」

ナスカ絵発見などに成果  

 「2期目は2年しかなかったけど、ボクの裁量で研究開発を支援する『1学部・部門1プロジェクト』は(坂井正人・人文学部准教授らによる)ペルーのナスカ台地での新たな地上絵の発見といった大きな成果につながったし、卒業生を講師に招くセミナー『山大マインド』も好評だった。実りは多かったね」

山形大が地球を救う!!

――「自然と人間の共生」を掲げられました。

 「過疎化が進む最上地域を山大のキャンパスに見立てて活性化を目指す『エリアキャンパスもがみ』を始動させたり、高畠町で学生に有機農業を学ばせたり。スローガンは大きく『山形大学が地球を救う』(笑)」
――8月末で退職された後のご予定は?

死ぬまで続けたい「現役」

 「実は12月に国際協力機構(JICA)のシニアボランティアとして南米のパラグアイに行くんだ。現地では免疫学の指導や大学院をつくる手伝いをする。期間は2年で、帰国するのは健康診断で1回だけの予定だ」
 「ボクはね、頭と体が丈夫なうちは死ぬまで働くと思う。これまでの仕事は『やらなきゃいけない』って感じだったけど、これから当面の2年間は自分が本当にやりたい仕事だ。素直に嬉しいね」