徹底して山形に密着したフリーペーパー

東邦エンタープライズ社長 横田 隆義 氏

2007年10月26日
横田 隆義(よこた・たかよし) 1946年(昭和21年)、神奈川県川崎市生まれ。68年、日本大学芸術学部写真学科卒業後、横浜市の内装会社に就職。75年、山形市における不動産投資を手がける東邦エンタープライズ社長に就任、七日町など中心街で数多くの自社ビル「YTビル」を保有する。60歳。
東邦エンタープライズ社長 横田 隆義 氏

まちを生かすも殺すも
  土地利用の仕方次第——


――山形で不動産業を始められたきっかけは?

駅前ビル再生が端緒

 「もともと首都圏の内装の会社にいて、三越とかダイエーとかジャスコなんかが顧客だったんだけど、ジャスコが山形に進出する際のお手伝いをするうちに山形との縁が出来ました」
 「その内装会社がJR山形駅前の第一ビルに飲食子会社を作ったんだけど、すぐに経営がおかしくなって。で、トップから『お前、社長で行って立て直してこい』って言われて来たんだけど、当時はまだ28歳だったし、ビル経営のノウハウもないしで、焦りましたよ」 

発想の転換で事業拡大

——当時の山形ってどんな街だったんですか。

 「世界の蔵王の降車駅でしたから大変な盛況でしたよ。山形にも『ハワイ』など全国展開のキャバレーなんかがいっぱいあったんだけど、75年ごろからバタバタ潰れていった。そんな中で七日町にあった地元のキャバレーやクラブのビルを買って賃貸ビルを始めたのが最初です」
 「当時の山形のビルオーナーたちは自社物件を売ったり貸したりする発想がなかった。だからビル自体が誰でも使えるような勝手のいい造りになっていなかったし、テナントを入れる場合も賃貸料は法外。この点を改め、開放的なビルにして料金も下げたら、これが当たったんですね」

中心街は閉鎖的?  

——YTビルってあちこちでみかけますけど、いくつあるんですか。

 「30ぐらいかなあ。飲食ビルも飽和になって新たなビルはウイークリーマンションとして再生したり、開いた土地を利用してコイン駐車場を始めたりしたのも私が最初。賃貸料もそうだったけど、駐車場料金も手軽にしました」
 「結局、中心街はにぎわい復活なんて叫んでますけど、土地活用に保守的・閉鎖的だと新陳代謝が進まないことに気がついていないケースが多い。今までで一番大きな買い物は2000年に閉鎖した山形松坂屋(注・現在のナナ・ビーンズ)で、当時は反対意見も多かったけど、あの建物を生かすか殺すかで七日町はまったく変わってしまうという思いがあった」

鶴岡でもまちづくり
 
——鶴岡市のまちづくりにも参画しますね。

 「またまた反対意見ばかりで(笑)。でも山形より鶴岡はさらに疲弊している。だけど欧米では鶴岡のような7万人規模でも魅力的なまちなみがあちこちに残っている。やっぱり、まちを生かすも殺すも土地の利用の仕方次第ですよ」