徹底して山形に密着したフリーペーパー

フラワー長井線「公募社長」 野村 浩志 氏

2010年2月12日
野村 浩志(のむら・ひろし) 1968年(昭和43年)埼玉県越谷市生まれ。91年に駒澤大文学部を卒業後、㈱読売旅行に入社。大宮営業所、新潟営業所を経て2001年に次長として山形営業所に着任、年商を飛躍的に伸ばした功績で04年、全国の営業所の中で最年少の35歳で所長に昇進。08年に仙台支社の東北・北海道合同企画グループ係長に就任した直後、開業以来20年間赤字が続く山形鉄道が公募した社長職に応募、89人の中から選ばれ09年4月1日から現職。10月には自身の半生をつづった著書「私、フラワー長井線『公募社長』野村浩志と申します」を出版した。41歳。
フラワー長井線「公募社長」 野村 浩志 氏

鉄道と山形に感謝
      その恩返しに決断しました——

——著書も拝読しましたけど、読んでない人のために自己紹介を。
 
いじめられた幼少期

 「小学生時代は鉄道オタクのいじめられっ子、中学や高校でもネクラで愛読書は時刻表。大学受験にも失敗し、10代最後の浪人時代は勉強もせず人生の落伍者のような生活をしていました」
 「ようやく滑り込んだ大学時代はバイトと鉄道旅行に明け暮れる毎日。憧れの旅行会社に就職できましたが、そこでも海外添乗で参加者全員の航空券を紛失したり、周囲と馴染めなかったりの駄目サラリーマンでした」
 
才能、山形で一気に開花

——それが山形でスーパーサラリーマンに。
 「営業の仕事を続けるうち、いろんな企画を考え、それが当たって成績を伸ばしていくことが楽しくなりました。お祭りやイベントを通じて人脈も広がり、私が来た時7億円だった山形営業所の売上高は5年後に20億円に。そんなイベントを通じて山形鉄道ともご縁ができたわけです」
 ——でも安定したサラリーマン生活を捨てて開業以来の赤字会社に飛び乗るのって…。
 
安定・収入より挑戦  

 「葛藤はありましたし、妻からも大反対されましたが、最終的には小さい時から好きだった鉄道に恩返ししたかったし、お世話になった山形にも恩返ししたかった」
 「それにずっと応援してきた山形鉄道の社長に他の人がなって、読売旅行として応援できないような体制になってしまったら自分としてもツライ。一度きりの人生、自分がお役にたてるならと思って決断しました」
——以前に比べて収入とかは?
 「下がりました。それに2年ごとの契約で成績を残せなければクビだから簡単にローンも組めなくなっちゃった(笑)」
——どう再生する?
 「まずはフラワー長井線と山形鉄道という存在を知ってもらうこと、これが意外に知られていない。社長の仕事は広報と心得て2日に1回は講演で県内各地を飛び回っています」
 
無償で広報活動

 「著書は1冊売れると500円が会社に入る仕組みで、私の印税はゼロ。講演も話を聞いていただくと同時に本を買ってもらう狙いがあり、謝礼はもらっていません」
——うちはインタビューに出てもらう時は有料の広告もお願いしてるんだけど、そんな話を聞かされるとなあ(苦笑)
 「出世払いにして下さい(笑)」