徹底して山形に密着したフリーペーパー

山形ビルサービス 代表取締役顧問 與田 博利 氏

2009年11月27日
與田 博利(よだ・ひろとし) 1932年(昭和7年)福岡県柳川市生まれ。苦学して中央大学経済学部を卒業した57年、ビル清掃のアルバイトで得たノウハウをいかそうと中山町出身の同級生と2人で山形ビルサービス(YBS)を創業。苦労を重ねながら業容拡大と事業多角化を進め、現在はパートを含めた従業員2000人のYBS企業グループを率いる。77歳。
山形ビルサービス 代表取締役顧問 與田 博利 氏

今日あるのは皆さんのおかげ
      そのご恩に報いたい——

——かねてお目にかかりたかったんですよ。
 
貧しかった子ども時代

 「水郷で知られる柳川で貧しい小作農の家に生まれました。5人兄弟の末っ子。1歳の時に父が他界、もちろん顔も覚えていません。幼いころの鮮明な記録は、母が年貢米を納めに引くリヤカーの後押しを手伝い、地主さんの家で褒美のアメ玉をもらったことです」
 「生活は苦しく、高校の修学旅行は母に言い出せずに3泊4日の間、学校に行くふりをして公園で過ごしました」
 「でも大学だけはどうしても行きたかった。だから高校を出て2年間、畳表を売って資金を貯めました。大学時代は日本育英会の奨学金と毎日のアルバイトで学資を工面しました」
 
友に誘われ山形で創業

——卒業後、縁もゆかりもない山形市で創業されるんですね。
 「中山町出身のビル清掃のアルバイト仲間から『山形市ならコネがある』と誘われて。忘れもしない昭和32年1月10日、初市の日に山形駅に降り立ち2人で創業しました」
 
筆舌尽くせない創業期

 「でも当時の市内には大きな建物など少なく、頼りだったコネも全く駄目。落胆した仲間は辞めてしまい、見ず知らずの土地で一文無しで放り出されました」
 「創業時の苦労は筆舌に尽くしがたいものがありましたが、諦めかけていた大沼デパートさんの仕事がいただけるようになり、何とか息をつけるようになりました」
 「その後も紆余曲折があり、自殺を考えたこともありましたが、何人かの忘れられない恩人のほか、大勢の山形の人に助けられました。今日があるのはそのおかげで、恩返しをしたい思いでいっぱいです」
——「與田基金」の計画もですけど、山形東高に20年間、計2000万円を寄付されてます。
 
各方面に多額の寄付  
 
 「取引先の東高の同窓会長から『奨学金が集まらない』と聞かされ、苦学生だった自分の境遇を思い返して、いてもたってもいられず。そのほか県社会福祉協議会や県母子寡婦連合会などへの寄付も続けてます」
——今は経営の一線を退いて全国を放浪されているとお聞きしました。
 「京都暮らしが基本ですが、歴史が好きなので全国を旅して名所旧跡を巡っています。住所不定・無職ですね(笑)」
——なんか、男として最高にカッコいい生き方ですねえ。