徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

與田 博利(よだ・ひろとし) 1932年(昭和7年)福岡県柳川市生まれ。苦学して中央大学経済学部を卒業した57年、ビル清掃のアルバイトで得たノウハウをいかそうと中山町出身の同級生と2人で山形ビルサービス(YBS)を創業。苦労を重ねながら業容拡大と事業多角化を進め、現在はパートを含めた従業員2000人のYBS企業グループを率いる。77歳。
2009年11月27日
飯森 範親(いいもり・のりちか) 1963年(昭和38年)鎌倉市生まれ。桐朋学園大卒後、独ミュンヘンに留学しバイエルン国立歌劇場などで腕を磨く。2004年から山形交響楽団常任指揮者(07年から音楽監督)を務めるほか、東京交響楽団正指揮者、独ヴュルテンベルクフィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者を兼任するなど内外で活躍中。今年夏、日本最少の交響楽団・山響が飯森氏のもとで劇的に変貌していく様を描いた「マエストロ、それはムリですよ…」が上梓されベストセラーに。46歳。
2009年11月13日
大久保 靖彦(おおくぼ・やすひこ)1934年(昭和9年)東京都文京区生まれ。中央大学法学部卒業後、61年に索道会社の蔵王ロープウェイの設立に携わり社長に。亡父は衆議院議員や山形市長を務めた傳蔵氏。75歳。
2009年10月9日
伊藤 美代子(いとう・みよこ) 1948年(昭和23年)山形市生まれ。山形北高卒業後、73年に県内発行の月刊誌「婦人やまがた」の記者で就職、88年からは編集長を務める。経営悪化で2000年3月に同誌が廃刊になった後、同年5月に県内の介護事情や女性の社会参加をテーマにした月刊誌「ほいづん」を創刊。取材から営業までを1人でこなし、今年で10年目を迎える。
2009年9月11日
大石 奈緒(おおいし・なお) 1986年(昭和61年)天童市生まれ。小学生の時から家族でボウリングに親しみ、中学3年で全日本ボウリング協会(JBC)に所属。山形電波工高では1人で愛好会を作り、1年で全国新人大会4位、3年で国体4位入賞。同高卒業後の07年、県内で初めて全日本入りを果たし、人気女子ボウラーで作るPリーグに参戦、全国区の人気に。普段は山形ファミリーボウル(山形市)でインストラクターを務める。22歳。
2009年8月28日
高橋 正次(たかはし・しょうじ) 1933年(昭和8年)秋田県象潟町(現在のにかほ市)生まれ。酒田東高から明治大学商学部に進み、卒業後の56年に山形銀行入行。業務企画部長、取締役酒田支店長、常勤監査役などを経て2002年から現職。75歳。
2009年8月14日
村川 徹(むらかわ・とおる) 1937年(昭和12年)村山市生まれ、本名・高橋透。59年に日活入社。助監督として徐々に頭角を現し、72年公開の日活ロマンポルノ映画「白い指の戯れ」で監督デビュー。その後、日活を退社して山形に帰郷、岳父で先ごろ死去した人間国宝の鋳物職人・高橋敬典氏の下で働くかたわら、実兄の村川千秋氏による山形交響楽団設立運動に参加。76年、人気テレビドラマシリーズ「大都会」で監督復帰、78年からは故・松田優作を主演に起用した「最も危険な遊戯」「蘇る金狼」「野獣死すべし」などの作品で監督として不動の地位を獲得する。72歳。
2009年7月24日
野長瀬 裕二(のながせ・ゆうじ) 1961年(昭和36年)東京都生まれ。東大農卒後、電気メーカーに勤務するかたわら早大理工学研究科博士課程修了。関東学園大助教授、埼玉大助教授などを経て2005年9月から現職。この間、「地域産業ネットワーク学会」「ビジネスコーディネーター協会」「新都心イブニングサロン」等の産学官組織を結成。地域振興の実績が評価され経済産業省、総務省、文部科学省などの各種委員にも名を連ねる。「やまがたコミュニティ新聞」で創刊の06年9月から07年9月まで「やまがたの企業」を連載。48歳。
2009年7月10日
古田 久子(ふるた・ひさこ)1925年(大正14年)山形市生まれ。52年から自宅で料理教室を始め、70年に七日町で山形中央クッキングスクールを設立して校長に。これまでの間、料理研究家として郷土料理の普及、地産地消や食育運動の推進に尽力し、6月に内閣府が今年度創設した「食育推進ボランティア表彰」を受賞。07年1月から09年3月まで、やまがたコミュニティ新聞に料理コラム「古田久子のふるさとの味」を連載。
2009年6月26日
渡辺 隆博(わたなべ・たかひろ) 1962年(昭和37年)山形市生まれ。山形商業から専修大学経営学部に進み、85年同大卒業後、家業で包装資材の販売を手がける渡辺包装(山形市)入社。翌86年専務、2001年から社長。08年、山形市七日町で県内初となる屋台村「ほっとなる横丁」のオープンを目指してリノベーション山形(山形市)を設立、社長に。46歳。
2009年6月12日
志田紀子(しだ・のりこ) 1936年(昭和11年)寒河江市生まれ。59年、山形大学教育学部を卒業して小学校教諭に。97年に母親の千代さんが脳梗塞で倒れたため仕事を辞めて介護に専念。2005年に千代さんが亡くなるまでの9年間を在宅介護に捧げた。このほど、その日々を綴った「みやこわすれ」を自費出版。
2009年5月22日
佐藤 隆(さとう・たかし) 1969年(昭和44年)埼玉県北本市生まれ。92年法政大法学部を卒業後、JR東日本へ。同年ホテルメトロポリタンエドモント(東京)、99年ホテルメトロポリタン山形、2005年ホテルメトロポリタン仙台などを経て08年6月から現職。40歳。
2009年5月8日
中井川 茂敏(なかいがわ・しげとし) 1958年(昭和33年)山形市生まれ。82年日大法卒後、山形日本電気(現在のNECエレクトロニクス山形)入社。86年モンテディオ山形の前身「NEC山形サッカー部」事務局を担当、チームの東北社会人リーグ昇格(89年)、JFL昇格(94年)に貢献。97年NEC山形総務部に復職後、07年から現職。08年モンテがJ1昇格を果たしたことから「昇格請負人」とも称される。51歳。
2009年4月10日
萩原吉郎(はぎわら・きちろう) 1952年(昭和27年)酒田市生まれ。酒田南高から高千穂商科大(東京・杉並、現在の高千穂大)に進み、卒業後、東京で就職。27歳で酒田にUターンし、地元企業に勤務のかたわら青年会議所活動などを通じて地域おこし活動に参加。2007年12月に設立されたフィルムコミッション「酒田ロケーションボックス」の初代理事長に就任。57歳。
2009年3月27日
茂木 久美子(もき・くみこ) 1980年(昭和55年)天童市生まれ。98年に山形城北高校卒業後、日本レストランエンタプライズ(NRE)入社。山形新幹線「つばさ」の車内販売で1人1日平均の売上高8万円に対し50万円の記録を持つ。NREの全1300人の販売員の中で3人しかいないチーフインストラクターを務め、後輩の指導にもあたる。29歳。
2009年3月13日
大石 俊樹(おおいし・しゅんじゅ) 1947年(昭和22年)東京・足立区生まれ。72年に中央大学商学部を卒業後、三菱電機系専門商社の菱電商事(東京・豊島)へ。75年、日新製薬創業者の大石李氏の長女と結婚、専務として入社。84年に38歳で社長就任。この間、積極的な設備投資で2008年5月期まで10期連続増収を達成している。61歳。
2009年2月27日
栗原 恵(くりはら・めぐみ) 1984年(昭和59年)広島県江田島市生まれ。小学校4年生からバレーを始め、高校1年生でインターハイ、国体、春高バレーで優勝するという高校3冠を経験。2003年にNECレッドロケッツに入団、翌04年アテネ五輪出場。同年、天童市を本拠地とするパイオニアレッドウィングスに移籍、08年の北京五輪では全日本のエースとして5位入賞に貢献した。24歳。
2009年2月13日
國井 英夫(くにい・ひでお) 1950年(昭和25年)旧余目町(現在の庄内町)生まれ。鶴岡南高から明治大学農学部に進み、74年に卒業後、荘内銀行入行。業務開発部長、総合企画部長などを経て99年取締役。2002年常務、03年専務、同代表取締役専務、08年6月から現職。趣味は畑づくりで、羽黒町の広大な土地を農家から借りて休日はだだちゃ豆、ピーマン、ナスなどの栽培に汗を流す。58歳。
2009年1月23日
井出 葛子(いで・かつこ)1942年(昭和18年)山形市生まれ。山形北高、東北薬科大を経て眼科医の井出醇氏に嫁ぐ。74年から井出眼科医院が併設する井出コンタクトレンズ代表取締役。昨年7月から国際ソロプチミスト山形会長。3女の母。
2009年1月9日
土田 正剛(つちだ・せいごう) 1943年(昭和18年)東根市生まれ。山形東高から慶大法卒後、69年から故松沢雄蔵衆議院議員の秘書に。79年に山形県議会議員初当選(連続4回当選)。この間、文教公安常任委員長、総務常任委員長、建設常任委員長、議会運営委員長などを歴任。98年から現職。65歳。
2008年12月26日
桂木 公平(かつらぎ・こうへい) 1926年(大正15年)大阪市生まれ。49年に京都大学工学部を卒業後、62年、山形市で日本地下水開発㈱を設立して社長に。80年に独自の研究開発により全国で初めて「無散水消雪システム」を実用化、現在この分野での国内シェアは約50%に達する。96年から同社会長。この間、山形県産業賞、三浦記念賞、国土庁長官賞などを数多く受賞。山形県サッカー協会会長のほか山形県スポーツ振興21世紀協会副理事長、山形県日中友好協会理事長なども務める。82歳。
2008年12月12日
阿部 佳孝(あべ・よしたか) 1972年(昭和47年)千葉県市川市出身。95年に東洋大学経営学部卒業後、スチール家具メーカーの岡村製作所入社。2001年、祖父・阿部宗一郎氏が1970年に創業した家具メーカーの朝日相扶に転じ、02年から営業本部係長。05年、急逝した渡辺宏一前社長の後を引き継ぎ社長に。36歳。
2008年11月28日
小松 信明(こまつ・のぶあき)1936年(昭和11年)山形県生まれ。寒河江高校から東京慈恵会医科大学に進み、精神科医の故近藤章久氏に師事。63年に同大卒後、県立福島医科大学精神科勤務などを経て70年に山形市内で医療法人社団小松医院を設立、現在に至る。11月に太陽出版から「心の病の診察室〜あなたの愛が子どもを救う〜」を上梓。72歳。
2008年11月14日
小林 伸二(こばやし・しんじ)1960年(昭和35年)生まれ。長崎県出身。大阪商業大卒業後、マツダサッカークラブ(現在のサンフレッチェ広島)でプレー。90年の引退後、同チーム・ユースの監督になり、Jユースカップ優勝へと導く。その手腕が認められ2001年6月に当時J2だった大分トリニータの監督に就任、翌02年に大分はJ2優勝・J1昇格を果たす。04年からは当時J1のセレッソ大阪の監督を務め、05年は最終節まで優勝争いを繰り広げた。08年から現職。48歳。
2008年10月24日
清野 伸昭(せいの・のぶあき)1942年(昭和17年)上山市生まれ。山形東高から立教大学経済学部に進み、65年に同大卒後、松下電器産業へ。69年、山形ナショナル電器販売(10月1日から山形パナソニックに社名変更)入社。75年取締役、87年から現職。2002年から06年まで山形経済同友会の代表幹事を務めたほか、山形法人会副会長、山形県中小企業団体中央会副会長、山形商工会議所副会頭など公職多数。66歳。
2008年10月10日
渡辺 康二郎(わたなべ・こうじろう) 1965年(昭和40年)、山辺町生まれ。山形東高から東北大教育学部に進み、卒業後、東証2部に上場する総合コンサルティング会社の日本エル・シー・エー(京都市)入社。5年間の東京支社勤務を経て93年にUターンし、家業の酒類販売業「マルタ」入社。2002年、叔父が経営していた「鳥太郎」の事業所向け給食部門「ジョイランチ」を引き継ぎ社長に。43歳。
2008年9月26日
荒木 由季子(あらき・ゆきこ) 1960年(昭和35年)東京都生まれ。雙葉学園、東京大学工学部を卒業後、83年に通商産業省(現在の経済産業省)入省。商務情報政策局博覧会推進室長、資源エネルギー庁新エネルギー対策課長などを経て7月から現職。東京の自宅に大学教授の夫と高3の長男、中3の長女を残して単身赴任。47歳。
2008年9月12日
上野 隆一(うえの・りゅういち)1948年(昭和23年)、旧藤島町(現在の鶴岡市)生まれ。庄内農業高校、農林水産省農業者大学卒業後、家業の農業に従事。84年にコイル製造の㈲上野製作所を設立して社長、96年(株)ウエノに改組して社長に。59歳。ウエノは鶴岡市、三川町のほか中国に4カ所の生産拠点を持ち、年間売上高は30億円。県内では次の株式上場会社と目されている。
2008年8月22日
阿部 恵(あべ・さとし)1954年(昭和29年)鶴岡市生まれ。鶴岡南高から立命館大文学部を経て旧山形相互銀行(のち山形しあわせ銀行、現在きらやか銀行)に入行。一貫して企業融資畑を歩み、2005年1月、業績不振に陥っていたホームセンターのジョイ立て直しのため同社社長に就任。ジョイは同年2月に産業活力再生特別措置法の適用を受け、06年にはジャスコを核とするイオングループ入りして再建がスタート。54歳。
2008年8月8日
安藤 政弘(あんどう・まさひろ)1953年(昭和28年)寒河江市生まれ。寒河江高校から日大工学部建築学科に進み、卒業後、東京の建築会社に就職。78年に帰郷し家業の太陽建設に入社、83年から社長。介護福祉事業には「タイヨウ」を設立して2001年から参入した。54歳。
2008年7月25日