徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

渡辺 隆博(わたなべ・たかひろ) 1962年(昭和37年)山形市生まれ。山形商業から専修大学経営学部に進み、85年同大卒業後、家業で包装資材の販売を手がける渡辺包装(山形市)入社。翌86年専務、2001年から社長。08年、山形市七日町で県内初となる屋台村「ほっとなる横丁」のオープンを目指してリノベーション山形(山形市)を設立、社長に。46歳。
2009年6月12日
志田紀子(しだ・のりこ) 1936年(昭和11年)寒河江市生まれ。59年、山形大学教育学部を卒業して小学校教諭に。97年に母親の千代さんが脳梗塞で倒れたため仕事を辞めて介護に専念。2005年に千代さんが亡くなるまでの9年間を在宅介護に捧げた。このほど、その日々を綴った「みやこわすれ」を自費出版。
2009年5月22日
佐藤 隆(さとう・たかし) 1969年(昭和44年)埼玉県北本市生まれ。92年法政大法学部を卒業後、JR東日本へ。同年ホテルメトロポリタンエドモント(東京)、99年ホテルメトロポリタン山形、2005年ホテルメトロポリタン仙台などを経て08年6月から現職。40歳。
2009年5月8日
中井川 茂敏(なかいがわ・しげとし) 1958年(昭和33年)山形市生まれ。82年日大法卒後、山形日本電気(現在のNECエレクトロニクス山形)入社。86年モンテディオ山形の前身「NEC山形サッカー部」事務局を担当、チームの東北社会人リーグ昇格(89年)、JFL昇格(94年)に貢献。97年NEC山形総務部に復職後、07年から現職。08年モンテがJ1昇格を果たしたことから「昇格請負人」とも称される。51歳。
2009年4月10日
萩原吉郎(はぎわら・きちろう) 1952年(昭和27年)酒田市生まれ。酒田南高から高千穂商科大(東京・杉並、現在の高千穂大)に進み、卒業後、東京で就職。27歳で酒田にUターンし、地元企業に勤務のかたわら青年会議所活動などを通じて地域おこし活動に参加。2007年12月に設立されたフィルムコミッション「酒田ロケーションボックス」の初代理事長に就任。57歳。
2009年3月27日
茂木 久美子(もき・くみこ) 1980年(昭和55年)天童市生まれ。98年に山形城北高校卒業後、日本レストランエンタプライズ(NRE)入社。山形新幹線「つばさ」の車内販売で1人1日平均の売上高8万円に対し50万円の記録を持つ。NREの全1300人の販売員の中で3人しかいないチーフインストラクターを務め、後輩の指導にもあたる。29歳。
2009年3月13日
大石 俊樹(おおいし・しゅんじゅ) 1947年(昭和22年)東京・足立区生まれ。72年に中央大学商学部を卒業後、三菱電機系専門商社の菱電商事(東京・豊島)へ。75年、日新製薬創業者の大石李氏の長女と結婚、専務として入社。84年に38歳で社長就任。この間、積極的な設備投資で2008年5月期まで10期連続増収を達成している。61歳。
2009年2月27日
栗原 恵(くりはら・めぐみ) 1984年(昭和59年)広島県江田島市生まれ。小学校4年生からバレーを始め、高校1年生でインターハイ、国体、春高バレーで優勝するという高校3冠を経験。2003年にNECレッドロケッツに入団、翌04年アテネ五輪出場。同年、天童市を本拠地とするパイオニアレッドウィングスに移籍、08年の北京五輪では全日本のエースとして5位入賞に貢献した。24歳。
2009年2月13日
國井 英夫(くにい・ひでお) 1950年(昭和25年)旧余目町(現在の庄内町)生まれ。鶴岡南高から明治大学農学部に進み、74年に卒業後、荘内銀行入行。業務開発部長、総合企画部長などを経て99年取締役。2002年常務、03年専務、同代表取締役専務、08年6月から現職。趣味は畑づくりで、羽黒町の広大な土地を農家から借りて休日はだだちゃ豆、ピーマン、ナスなどの栽培に汗を流す。58歳。
2009年1月23日
井出 葛子(いで・かつこ)1942年(昭和18年)山形市生まれ。山形北高、東北薬科大を経て眼科医の井出醇氏に嫁ぐ。74年から井出眼科医院が併設する井出コンタクトレンズ代表取締役。昨年7月から国際ソロプチミスト山形会長。3女の母。
2009年1月9日
土田 正剛(つちだ・せいごう) 1943年(昭和18年)東根市生まれ。山形東高から慶大法卒後、69年から故松沢雄蔵衆議院議員の秘書に。79年に山形県議会議員初当選(連続4回当選)。この間、文教公安常任委員長、総務常任委員長、建設常任委員長、議会運営委員長などを歴任。98年から現職。65歳。
2008年12月26日
桂木 公平(かつらぎ・こうへい) 1926年(大正15年)大阪市生まれ。49年に京都大学工学部を卒業後、62年、山形市で日本地下水開発㈱を設立して社長に。80年に独自の研究開発により全国で初めて「無散水消雪システム」を実用化、現在この分野での国内シェアは約50%に達する。96年から同社会長。この間、山形県産業賞、三浦記念賞、国土庁長官賞などを数多く受賞。山形県サッカー協会会長のほか山形県スポーツ振興21世紀協会副理事長、山形県日中友好協会理事長なども務める。82歳。
2008年12月12日
阿部 佳孝(あべ・よしたか) 1972年(昭和47年)千葉県市川市出身。95年に東洋大学経営学部卒業後、スチール家具メーカーの岡村製作所入社。2001年、祖父・阿部宗一郎氏が1970年に創業した家具メーカーの朝日相扶に転じ、02年から営業本部係長。05年、急逝した渡辺宏一前社長の後を引き継ぎ社長に。36歳。
2008年11月28日
小松 信明(こまつ・のぶあき)1936年(昭和11年)山形県生まれ。寒河江高校から東京慈恵会医科大学に進み、精神科医の故近藤章久氏に師事。63年に同大卒後、県立福島医科大学精神科勤務などを経て70年に山形市内で医療法人社団小松医院を設立、現在に至る。11月に太陽出版から「心の病の診察室〜あなたの愛が子どもを救う〜」を上梓。72歳。
2008年11月14日
小林 伸二(こばやし・しんじ)1960年(昭和35年)生まれ。長崎県出身。大阪商業大卒業後、マツダサッカークラブ(現在のサンフレッチェ広島)でプレー。90年の引退後、同チーム・ユースの監督になり、Jユースカップ優勝へと導く。その手腕が認められ2001年6月に当時J2だった大分トリニータの監督に就任、翌02年に大分はJ2優勝・J1昇格を果たす。04年からは当時J1のセレッソ大阪の監督を務め、05年は最終節まで優勝争いを繰り広げた。08年から現職。48歳。
2008年10月24日
清野 伸昭(せいの・のぶあき)1942年(昭和17年)上山市生まれ。山形東高から立教大学経済学部に進み、65年に同大卒後、松下電器産業へ。69年、山形ナショナル電器販売(10月1日から山形パナソニックに社名変更)入社。75年取締役、87年から現職。2002年から06年まで山形経済同友会の代表幹事を務めたほか、山形法人会副会長、山形県中小企業団体中央会副会長、山形商工会議所副会頭など公職多数。66歳。
2008年10月10日
渡辺 康二郎(わたなべ・こうじろう) 1965年(昭和40年)、山辺町生まれ。山形東高から東北大教育学部に進み、卒業後、東証2部に上場する総合コンサルティング会社の日本エル・シー・エー(京都市)入社。5年間の東京支社勤務を経て93年にUターンし、家業の酒類販売業「マルタ」入社。2002年、叔父が経営していた「鳥太郎」の事業所向け給食部門「ジョイランチ」を引き継ぎ社長に。43歳。
2008年9月26日
荒木 由季子(あらき・ゆきこ) 1960年(昭和35年)東京都生まれ。雙葉学園、東京大学工学部を卒業後、83年に通商産業省(現在の経済産業省)入省。商務情報政策局博覧会推進室長、資源エネルギー庁新エネルギー対策課長などを経て7月から現職。東京の自宅に大学教授の夫と高3の長男、中3の長女を残して単身赴任。47歳。
2008年9月12日
上野 隆一(うえの・りゅういち)1948年(昭和23年)、旧藤島町(現在の鶴岡市)生まれ。庄内農業高校、農林水産省農業者大学卒業後、家業の農業に従事。84年にコイル製造の㈲上野製作所を設立して社長、96年(株)ウエノに改組して社長に。59歳。ウエノは鶴岡市、三川町のほか中国に4カ所の生産拠点を持ち、年間売上高は30億円。県内では次の株式上場会社と目されている。
2008年8月22日
阿部 恵(あべ・さとし)1954年(昭和29年)鶴岡市生まれ。鶴岡南高から立命館大文学部を経て旧山形相互銀行(のち山形しあわせ銀行、現在きらやか銀行)に入行。一貫して企業融資畑を歩み、2005年1月、業績不振に陥っていたホームセンターのジョイ立て直しのため同社社長に就任。ジョイは同年2月に産業活力再生特別措置法の適用を受け、06年にはジャスコを核とするイオングループ入りして再建がスタート。54歳。
2008年8月8日
安藤 政弘(あんどう・まさひろ)1953年(昭和28年)寒河江市生まれ。寒河江高校から日大工学部建築学科に進み、卒業後、東京の建築会社に就職。78年に帰郷し家業の太陽建設に入社、83年から社長。介護福祉事業には「タイヨウ」を設立して2001年から参入した。54歳。
2008年7月25日
渡部 泰山(わたなべ・たいざん)1950年(昭和25年)生まれ、新庄市出身。新庄北高から立正大に進み、卒業後、山形県立高校の社会科の教員に。新庄北高教頭、新庄南校長などを経て2007年、県教育庁教育次長兼世界遺産推進監に就任。08年4月から現職。この間、柳田國男、宮沢賢治を読む会に参画し、自らも多くの研究論文・著作を発表。また地元新庄で劇団「東北幻野」を旗揚げし、主宰者、座付き作家、演出家として活躍中。58歳。
2008年7月11日
山口 隆子(やまぐち・たかこ)1944年(昭和19年)天童市生まれ。山形西高から東京YMCA国際ホテル専門学校に進み、卒業後、家業の「滝の湯」へ。専務を経て2007年から副社長。天童温泉の女将で構成する「お駒会」、山形県の女将で組織する「やまがた女将会」の初代会長を務めた。2男2女の母。
2008年6月13日
舩山 龍二(ふなやま・りゅうじ)1940年(昭和15年)山形市生まれ。山形東高から東京教育大学(現筑波大学)理学部に進み、卒業後、日本交通公社(現JTB)入社。国内旅行部長、取締役九州営業本部長、常務人事部長などを経て96年に社長就任。2002年から取締役会長。日本ワーキング・ホリデー協会会長、国土交通省の交通政策審議会委員など多数の公職を務めるかたわら、08年5月に山形観光アカデミー学長就任。67歳。
2008年5月23日
粟野 学(あわの・まなぶ) 1956年(昭和31年)山形市生まれ。山形東高から仙台二高に編入後、東北大法学部卒。79年に旧山形相互銀行(旧山形しあわせ銀行)入行、取締役総合企画部長、専務を経て、2007年に旧山形しあわせ銀行が旧殖産銀行と合併して誕生したきらやか銀行の専務。4月1日から現職。52歳。
2008年5月9日
ラクシミー シャンカル マナンダー 1963年、ネパールの首都カトマンズ生まれ。18歳で来日、東京・六本木のショットバー「チャールストン」で15年働いた後、山形市に移り住んで相生町にネパール料理店「スワセンブー」を開業。同店を閉めて4年前に七日町で「ネワブトゥ」をオープン。44歳。
2008年4月11日
日原もとこ(ひはら・もとこ)広島市生まれ。女子美術大学卒業後、61年に通産省(現在の経済産業省)へ。工業技術院産業工芸試験所技官、製品科学研究所主任研究官を経て92年に東北芸工大教授に就任。専門は環境色彩学。2005年から現職。このほか風土・色彩文化研究所を主宰、県建築サポートセンター社長、県景観審議会委員なども務める。
2008年3月28日
佐藤三朗(さとう・さぶろう)1947年(昭和22年)生まれ。65年に山形信用金庫へ。業務部長兼総合企画室長などを経て2001年常務理事、03年専務理事、04年から現職。61歳。座右の銘は「不易流行の精神」「一期一会」。
2008年3月14日
安達 三千代(あだち・みちよ)1959年(昭和34年)、徳島市生まれ。同志社大学文学部卒業後、京都市でのOL生活を経て、85年に結婚のため山形県山辺町へ。93年から特定非営利活動法人(NPO法人)・国際ボランティアセンター山形(IVY)の活動に携わり、99年4月から現職。48歳。
2008年2月22日
片桐 久吉(かたぎり・きゅうきち)1926年(大正15年)山形市生まれ。地元の中学を卒業後、旋盤技術を習得するため15歳で単身上京、軍需工場で働く。終戦の年に帰省、47年(昭和22年)片桐製作所を創業。ミシン部品製造を経て現在は自動車部品、精密研削砥石などを生産する年商41億円の優良企業に育て上げた。黄綬褒章受章、山形県産業賞受賞。83歳。
2008年2月8日