徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

坪田 卓哉(つぼた・たくや) 1956年(昭和31年)大阪市生まれ。灘中学・高校を経て東大院卒後の81年、日本国有鉄道(現在のJR東日本)入社。87年から89年にかけ投資計画部に所属し整備新幹線や山形新幹線の開発立案を担当、山形ジェイアール直行特急保有のスキーム作りにも携わる。JR仙台支社企画部長、東京圏駅ビル開発取締役(出向)などを経て07年から現職。53歳。
2010年4月9日
大泉 逸郎(おおいずみ・いつろう) 1942年(昭和17年)河北町生まれ。家業のサクランボ栽培のかたわらアマチュア民謡歌手として頭角を現し、77年には東北・北海道民謡大賞を受賞したのをきっかけに本格的に歌手活動を始める。94年に初孫が誕生し、あまりの可愛さに生後3日目に友人で西川町在住の荒木良治氏に作詞を依頼し、自ら作曲した「孫」を自主制作。「孫」は99年にメジャー発売され大ヒット、その年の紅白歌合戦出場も果たす。67歳。
2010年3月26日
小川 大輔(おがわ・だいすけ) 1973年(昭和48年)山形市生まれ。山形商業を卒業後、仙台市の自動車販売会社を経て95年、家業で中古車販売では東北最大の規模を持つカーサービス山形に入社。仕入れの現場で10年間の修業を積んだ後、父親で創業社長だった文男氏の急逝に伴い2004年に社長就任。36歳。
2010年3月12日
酒井 政輔(さかい・まさすけ) 1942年(昭和17年)山形市生まれ。山形南高から明治大学経営学部に進み、卒業後に帰郷して30年創業の実家「酒井製麺所」へ。2002年に4代目社長に就任。山形県製麺協同組合副理事長も務める。68歳。
2010年2月26日
野村 浩志(のむら・ひろし) 1968年(昭和43年)埼玉県越谷市生まれ。91年に駒澤大文学部を卒業後、㈱読売旅行に入社。大宮営業所、新潟営業所を経て2001年に次長として山形営業所に着任、年商を飛躍的に伸ばした功績で04年、全国の営業所の中で最年少の35歳で所長に昇進。08年に仙台支社の東北・北海道合同企画グループ係長に就任した直後、開業以来20年間赤字が続く山形鉄道が公募した社長職に応募、89人の中から選ばれ09年4月1日から現職。10月には自身の半生をつづった著書「私、フラワー長井線『公募社長』野村浩志と申します」を出版した。41歳。
2010年2月12日
村川 千秋(むらかわ・ちあき) 1933年(昭和8年)村山市生まれ。山形南高から東京芸術大学音楽学部器楽科に進み、卒業後に同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎氏に師事。卒業後の63年に渡米、指揮者としての研鑽を積んで66年帰国、東京交響楽団の客員指揮者としてデビュー。以後、東響のほか札幌交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団などを指揮する。71年に帰郷、翌72年に東北初のプロオーケストラ・山形交響楽団を設立し正指揮者に就任。01年から現職。77歳。
2010年1月22日
佐々木 みき(ささき・みき) 1976年(昭和51年)北海道室蘭市生まれ。中学1年からバレーボールを始め、登別大谷高校では春高バレー、インターハイに出場、93年世界ユース選手権準優勝、94年アジアジュニア選手権準優勝を経験。95年にダイエーに入部、その後オレンジアタッカーズ、東洋紡を経て2001年にパイオニアに移籍。03年第10回Vリーグでの初優勝に貢献し、最高殊勲選手賞・最多得点・ベスト6に輝く。04年にはアテネ五輪出場も果たした。今季から主将。33歳。
2010年1月8日
宮沢 克行(みやざわ・かつゆき) 1976年(昭和51年)に千葉県習志野市生まれ。武南高校(埼玉県蕨市)から明治大学農学部に進み、卒業後の99年、浦和レッドダイヤモンズに入団。2002年アルビレックス新潟に移籍、04年モンテディオ山形にレンタル移籍。05年にアルビレックスに復帰するが、06年シーズン途中でモンテに完全移籍。ポジションはミッドフィールダー、背番号7。07年から3季連続で主将を務める名実ともに大黒柱。山形市で奥さんと2人のお子さんとの4人暮らし。33歳。
2009年12月11日
與田 博利(よだ・ひろとし) 1932年(昭和7年)福岡県柳川市生まれ。苦学して中央大学経済学部を卒業した57年、ビル清掃のアルバイトで得たノウハウをいかそうと中山町出身の同級生と2人で山形ビルサービス(YBS)を創業。苦労を重ねながら業容拡大と事業多角化を進め、現在はパートを含めた従業員2000人のYBS企業グループを率いる。77歳。
2009年11月27日
飯森 範親(いいもり・のりちか) 1963年(昭和38年)鎌倉市生まれ。桐朋学園大卒後、独ミュンヘンに留学しバイエルン国立歌劇場などで腕を磨く。2004年から山形交響楽団常任指揮者(07年から音楽監督)を務めるほか、東京交響楽団正指揮者、独ヴュルテンベルクフィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者を兼任するなど内外で活躍中。今年夏、日本最少の交響楽団・山響が飯森氏のもとで劇的に変貌していく様を描いた「マエストロ、それはムリですよ…」が上梓されベストセラーに。46歳。
2009年11月13日
大久保 靖彦(おおくぼ・やすひこ)1934年(昭和9年)東京都文京区生まれ。中央大学法学部卒業後、61年に索道会社の蔵王ロープウェイの設立に携わり社長に。亡父は衆議院議員や山形市長を務めた傳蔵氏。75歳。
2009年10月9日
伊藤 美代子(いとう・みよこ) 1948年(昭和23年)山形市生まれ。山形北高卒業後、73年に県内発行の月刊誌「婦人やまがた」の記者で就職、88年からは編集長を務める。経営悪化で2000年3月に同誌が廃刊になった後、同年5月に県内の介護事情や女性の社会参加をテーマにした月刊誌「ほいづん」を創刊。取材から営業までを1人でこなし、今年で10年目を迎える。
2009年9月11日
大石 奈緒(おおいし・なお) 1986年(昭和61年)天童市生まれ。小学生の時から家族でボウリングに親しみ、中学3年で全日本ボウリング協会(JBC)に所属。山形電波工高では1人で愛好会を作り、1年で全国新人大会4位、3年で国体4位入賞。同高卒業後の07年、県内で初めて全日本入りを果たし、人気女子ボウラーで作るPリーグに参戦、全国区の人気に。普段は山形ファミリーボウル(山形市)でインストラクターを務める。22歳。
2009年8月28日
高橋 正次(たかはし・しょうじ) 1933年(昭和8年)秋田県象潟町(現在のにかほ市)生まれ。酒田東高から明治大学商学部に進み、卒業後の56年に山形銀行入行。業務企画部長、取締役酒田支店長、常勤監査役などを経て2002年から現職。75歳。
2009年8月14日
村川 徹(むらかわ・とおる) 1937年(昭和12年)村山市生まれ、本名・高橋透。59年に日活入社。助監督として徐々に頭角を現し、72年公開の日活ロマンポルノ映画「白い指の戯れ」で監督デビュー。その後、日活を退社して山形に帰郷、岳父で先ごろ死去した人間国宝の鋳物職人・高橋敬典氏の下で働くかたわら、実兄の村川千秋氏による山形交響楽団設立運動に参加。76年、人気テレビドラマシリーズ「大都会」で監督復帰、78年からは故・松田優作を主演に起用した「最も危険な遊戯」「蘇る金狼」「野獣死すべし」などの作品で監督として不動の地位を獲得する。72歳。
2009年7月24日
野長瀬 裕二(のながせ・ゆうじ) 1961年(昭和36年)東京都生まれ。東大農卒後、電気メーカーに勤務するかたわら早大理工学研究科博士課程修了。関東学園大助教授、埼玉大助教授などを経て2005年9月から現職。この間、「地域産業ネットワーク学会」「ビジネスコーディネーター協会」「新都心イブニングサロン」等の産学官組織を結成。地域振興の実績が評価され経済産業省、総務省、文部科学省などの各種委員にも名を連ねる。「やまがたコミュニティ新聞」で創刊の06年9月から07年9月まで「やまがたの企業」を連載。48歳。
2009年7月10日
古田 久子(ふるた・ひさこ)1925年(大正14年)山形市生まれ。52年から自宅で料理教室を始め、70年に七日町で山形中央クッキングスクールを設立して校長に。これまでの間、料理研究家として郷土料理の普及、地産地消や食育運動の推進に尽力し、6月に内閣府が今年度創設した「食育推進ボランティア表彰」を受賞。07年1月から09年3月まで、やまがたコミュニティ新聞に料理コラム「古田久子のふるさとの味」を連載。
2009年6月26日
渡辺 隆博(わたなべ・たかひろ) 1962年(昭和37年)山形市生まれ。山形商業から専修大学経営学部に進み、85年同大卒業後、家業で包装資材の販売を手がける渡辺包装(山形市)入社。翌86年専務、2001年から社長。08年、山形市七日町で県内初となる屋台村「ほっとなる横丁」のオープンを目指してリノベーション山形(山形市)を設立、社長に。46歳。
2009年6月12日
志田紀子(しだ・のりこ) 1936年(昭和11年)寒河江市生まれ。59年、山形大学教育学部を卒業して小学校教諭に。97年に母親の千代さんが脳梗塞で倒れたため仕事を辞めて介護に専念。2005年に千代さんが亡くなるまでの9年間を在宅介護に捧げた。このほど、その日々を綴った「みやこわすれ」を自費出版。
2009年5月22日
佐藤 隆(さとう・たかし) 1969年(昭和44年)埼玉県北本市生まれ。92年法政大法学部を卒業後、JR東日本へ。同年ホテルメトロポリタンエドモント(東京)、99年ホテルメトロポリタン山形、2005年ホテルメトロポリタン仙台などを経て08年6月から現職。40歳。
2009年5月8日
中井川 茂敏(なかいがわ・しげとし) 1958年(昭和33年)山形市生まれ。82年日大法卒後、山形日本電気(現在のNECエレクトロニクス山形)入社。86年モンテディオ山形の前身「NEC山形サッカー部」事務局を担当、チームの東北社会人リーグ昇格(89年)、JFL昇格(94年)に貢献。97年NEC山形総務部に復職後、07年から現職。08年モンテがJ1昇格を果たしたことから「昇格請負人」とも称される。51歳。
2009年4月10日
萩原吉郎(はぎわら・きちろう) 1952年(昭和27年)酒田市生まれ。酒田南高から高千穂商科大(東京・杉並、現在の高千穂大)に進み、卒業後、東京で就職。27歳で酒田にUターンし、地元企業に勤務のかたわら青年会議所活動などを通じて地域おこし活動に参加。2007年12月に設立されたフィルムコミッション「酒田ロケーションボックス」の初代理事長に就任。57歳。
2009年3月27日
茂木 久美子(もき・くみこ) 1980年(昭和55年)天童市生まれ。98年に山形城北高校卒業後、日本レストランエンタプライズ(NRE)入社。山形新幹線「つばさ」の車内販売で1人1日平均の売上高8万円に対し50万円の記録を持つ。NREの全1300人の販売員の中で3人しかいないチーフインストラクターを務め、後輩の指導にもあたる。29歳。
2009年3月13日
大石 俊樹(おおいし・しゅんじゅ) 1947年(昭和22年)東京・足立区生まれ。72年に中央大学商学部を卒業後、三菱電機系専門商社の菱電商事(東京・豊島)へ。75年、日新製薬創業者の大石李氏の長女と結婚、専務として入社。84年に38歳で社長就任。この間、積極的な設備投資で2008年5月期まで10期連続増収を達成している。61歳。
2009年2月27日
栗原 恵(くりはら・めぐみ) 1984年(昭和59年)広島県江田島市生まれ。小学校4年生からバレーを始め、高校1年生でインターハイ、国体、春高バレーで優勝するという高校3冠を経験。2003年にNECレッドロケッツに入団、翌04年アテネ五輪出場。同年、天童市を本拠地とするパイオニアレッドウィングスに移籍、08年の北京五輪では全日本のエースとして5位入賞に貢献した。24歳。
2009年2月13日
國井 英夫(くにい・ひでお) 1950年(昭和25年)旧余目町(現在の庄内町)生まれ。鶴岡南高から明治大学農学部に進み、74年に卒業後、荘内銀行入行。業務開発部長、総合企画部長などを経て99年取締役。2002年常務、03年専務、同代表取締役専務、08年6月から現職。趣味は畑づくりで、羽黒町の広大な土地を農家から借りて休日はだだちゃ豆、ピーマン、ナスなどの栽培に汗を流す。58歳。
2009年1月23日
井出 葛子(いで・かつこ)1942年(昭和18年)山形市生まれ。山形北高、東北薬科大を経て眼科医の井出醇氏に嫁ぐ。74年から井出眼科医院が併設する井出コンタクトレンズ代表取締役。昨年7月から国際ソロプチミスト山形会長。3女の母。
2009年1月9日
土田 正剛(つちだ・せいごう) 1943年(昭和18年)東根市生まれ。山形東高から慶大法卒後、69年から故松沢雄蔵衆議院議員の秘書に。79年に山形県議会議員初当選(連続4回当選)。この間、文教公安常任委員長、総務常任委員長、建設常任委員長、議会運営委員長などを歴任。98年から現職。65歳。
2008年12月26日
桂木 公平(かつらぎ・こうへい) 1926年(大正15年)大阪市生まれ。49年に京都大学工学部を卒業後、62年、山形市で日本地下水開発㈱を設立して社長に。80年に独自の研究開発により全国で初めて「無散水消雪システム」を実用化、現在この分野での国内シェアは約50%に達する。96年から同社会長。この間、山形県産業賞、三浦記念賞、国土庁長官賞などを数多く受賞。山形県サッカー協会会長のほか山形県スポーツ振興21世紀協会副理事長、山形県日中友好協会理事長なども務める。82歳。
2008年12月12日
阿部 佳孝(あべ・よしたか) 1972年(昭和47年)千葉県市川市出身。95年に東洋大学経営学部卒業後、スチール家具メーカーの岡村製作所入社。2001年、祖父・阿部宗一郎氏が1970年に創業した家具メーカーの朝日相扶に転じ、02年から営業本部係長。05年、急逝した渡辺宏一前社長の後を引き継ぎ社長に。36歳。
2008年11月28日