徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

田中 諒(たなか・まこと) 1983年(昭和58年)福島県相馬市生まれ。地元で自動車整備を営むかたわらボランティアで消防団活動にも従事。東日本大震災による避難者が1092人と県内最多の山形市総合スポーツセンターで20日に発足した5つの自治組織のうち「1丁目2区」(160人)の区長を務める。28歳。
2011年3月25日
本名・斎藤恵未(さいとう・さとみ) 1986年(昭和61年)村山市生まれ。北村山高校卒業後、山形の伝統文化への憧れから山形伝統芸能振興株式会社(愛称・やまがた紅の会)に入社、舞子の世界へ。今年で7年目になる“ベテラン”で、7月からは7人のやまがた舞子で1番のお姉さんに。24歳。
2011年3月11日
船橋吾一(ふなばし・ごいち) 1971年(昭和46年)山形市生まれ。山形学院高から大阪経済法科大学に進み、95年に卒業後、東京都内の空調設備会社を経て99年に家業で総合設備の弘栄設備工業入社。2010年から副社長。山形JCには01年に入会、今年度から第56代理事長を務める。39歳。
2011年2月25日
黒田 吉隆(くろだ・よしたか) 1987年(昭和62年)山形市生まれ。蔵王一中3年の時にレーシングカートを始め、全国カート選手権で2度優勝。日大山形高卒業後、仙台市の自動車整備専門学校に通う傍らレーシングドライバー(レーサー)の資格を取得。2006年には単身ドイツに渡り名門レースチームで海外修行を積み、07年に帰国後は全日本F3選手権を舞台に活躍。今年はF1ドライバーという夢の実現に向け欧州シリーズへの参戦を目指している。24歳。
2011年2月11日
山本 絵里子(やまもと・えりこ) 山本学園グループの山本恒雄理事長の長女として大阪市で生まれる。9歳から山形市に移り住み、県立山形西高校から東海大工学部建築学科へ。卒業後、東京の設計事務所を経て1989年(平成元年)に帰省。現在はグループの要職のほか、市や県の幼稚園協会理事、県職業能力開発協会理事、文部科学省の専修学校教育の振興方策等に関する調査研究協力者会議委員など多数の公職を務める。
2011年1月28日
松尾 剛次(まつお・けんじ) 1954年(昭和29年)長崎県愛野町(現在の雲仙市)生まれ。1981年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退、同年山形大学講師。85年助教授、94年に東大文学博士の学位を取得して98年に山大教授。この間、プリンストン大、ロンドン大、ニューヨーク州立大などで客員教授も務めた。専門は日本中世史、仏教史。07年から山大都市・地域学研究所所長を兼務。56歳。
2011年1月14日
仲野 益美(なかの・ますみ) 1964年(昭和36年)天童市生まれ。84年に東京農大農学部醸造学科を卒業後、旧国税庁醸造試験場、東京の酒類卸会社を経て87年に家業の出羽桜酒造へ。取締役、専務を経て父親の急逝に伴い2000年に39歳で社長就任。山形県酒造組合技術委員長、日本吟醸酒協会理事長、東京農大客員教授、東京大学非常勤講師、山形県行政支出点検・行政改革推進委員会委員なども務める。49歳。
2010年12月24日
本名・佐藤浩一(さとう・こういち) 1962年(昭和37年)山形市生まれ。日大山形高校卒業後に勤めた製造業を6年で退社、喫茶店、中華レストラン、パブなど接客業で働くかたわらYBCラジオ番組「芹川晴夫の土曜生生ランド」でリポーターを務めた。現在は山形市のフランス料理店「マチルダ・ベイ」支配人とYBCラジオ番組「ドンキーのいいのぉー庄内!」パーソナリティーの二足のわらじを履く。48歳。
2010年12月10日
宮下 直樹(みやした・なおき) 1956年(昭和31年)神奈川県大和市生まれ。東海大学バレーボール部でセッター、レシーバー、副将として活躍、79年に同大卒業後、朝日生命へ。男子バレーボール部で86年まで選手として在籍した後、2000年まで女子バレーボール部のコーチ、監督を務める。01年にカナダ女子代表コーチとして招かれ、06〜08年は監督。パイオニアレッドウィングス監督には6月1日付けで就任。54歳。
2010年11月26日
吉村 哲郎(よしむら・てつろう) 1957年(昭和32年)東京都生まれ。81年に早大政経学部卒業後、日本経済新聞社へ。一貫して経済畑を歩み、記者、キャップ、デスクを経て2003年3月から06年2月まで日経山形支局長。同年6月、東京本社マーケティング本部部長を最後に日経を退社、8月に山形コミュニティ新聞社を設立。52歳。
2010年11月12日
岡田 卓也(おかだ・たくや) 1925年(大正14年)三重県四日市市の老舗呉服商「岡田屋」の7代目として生まれる。43年、旧制富田中学(現在の三重県立四日市高校)を卒業して早稲田大学へ。在学中に召集されるも国内で終戦を迎え、郷里に戻り家業を再興。その後、多くの小売会社を合併してジャスコを創立、現在のイオングループの基礎をつくる。信条は岡田屋の家訓「大黒柱に車をつけよ」(環境の変化に対応して企業を変革せよの意)。経営の一線を退いて10年になるが、今なお存在感は大きい。長男の元也氏はイオン社長、次男の克也氏は民主党幹事長。85歳。
2010年10月8日
清水 健太(しみず・けんた) 1981年(昭和56年)千葉県松戸市生まれ。松戸市立松戸高校卒業後の2000年、柏レイソル入団。05年4月、柏レイソルからモンテディオ山形に期限付き移籍、07年から完全移籍。06年シーズン第6節からスタメン出場、現在までモンテの守護神として活躍している。愛称はシミケン。29歳。
2010年9月24日
水戸部 耕康(みとべ・たかやす) 1946年(昭和21年)寒河江市生まれ。寒河江高校農業科を卒業後、鋼材卸会社を経て日産サニー山形販売(現在の日産プリンス山形)へ。94年、山形営業所長を最後に同社を退職、中古車販売会社「オート倶楽部山形」を設立して社長に。7月に東北初の100円レンタカーサービスを開始して話題に。64歳。
2010年9月10日
鈴木 髙明(すずき・たかあき) 1946年(昭和21年)西村山郡朝日町生まれ。山形南高から明治大学政経学部に進み、卒業後の68年、殖産相互銀行(後の殖産銀、現在のきらやか銀)へ。同行における当時の最年少支店長(左沢支店)などを経て92年に経営企画室長。97年、米沢支店長を最後に同行を退職、精英堂印刷社長に。日本酒のラベル印刷に特化していた同社の組織・事業改革に取り組み、最新技術「水なし印刷」の導入などで全国区の高収益企業に育て上げる。64歳。
2010年8月27日
伊賀 大(いが・まさる) 1976年(昭和51年)酒田市生まれ。羽黒高校卒業後、地元の自動車整備会社に就職。25歳で独立してトラック運送業を興すが2年後の2002年に多額の借金を抱えて倒産、「自暴自棄の生活」に。翌03年、テレビ番組「マネーの虎」でおなじみの堀之内九一郎氏の門を叩き、同氏が全国展開するリサイクル店「創庫生活館」のFC店を酒田市にオープン、事業を軌道に乗せて2年で借金を完済。06年山形市江俣に2号店、9月3日に東青田に3号店を開設予定。山形市在住、34歳。
2010年8月13日
大沼 寧(おおぬま・やすし) 1965年(昭和40年)横浜市生まれ。神奈川県立湘南高校から山形大学医学部へ。同大卒業後、横浜市立大学付属病院、鶴見総合病院、横浜市立港湾病院などを経て2001年から独・ベルリンに留学、人工関節手術などを研修。03年に帰国、湘南鎌倉総合病院の整形外科医長に就任。04年から現職。日本体育協会公認スポーツドクター、モンテディオ山形チーフドクターも務める。44歳。
2010年7月23日
加地 亜澄 (かち・あすみ)1988年(昭和63年)高畠町生まれ。米沢興譲館高を卒業して山形大学地域教育文化学部4年に在学中。6月、第31回山形花火大会のPR大使となる「ミス花火」に応募者26人の中から山西香澄さん(19)とともに選ばれた。21歳。
2010年7月9日
市村 清勝(いちむら・きよかつ) 1957年(昭和32年)山形市生まれ。山形南高から日本大学生産工学部に進み、80年同大卒業後、第一建築(東京、現在の第一ヒューテック)に就職。83年、市村工務店入社。課長、部長、常務、専務を経て2001年から現職。52歳。
2010年6月25日
加藤 洋三(かとう・ようぞう) 1964年(昭和39年)上山市生まれ。山形南高から岩手大学農学部に進み、86年に同大卒業後、家業(加登屋、現在のカトーコーポレーション)の取引先だった清和肥料工業(大阪市)に就職。89年加登屋入社。96年「農家の店トマト高畠店」店長、2006年専務を経て今年4月から現職。46歳。
2010年6月11日
奥山 徹也(おくやま・てつや) 1946年(昭和21年)旧満州生まれ。終戦で引き揚げ後、北海道、福島、千葉などに移り住み、千葉東高から山形大文理学部(現在の人文学部)へ。同大卒業後、数社を経て76年に山形市の酒類卸会社に就職、取締役まで務めた後、92年に高畠ワインから営業部長としてスカウトされる。99年常務、2004年専務を経て05年から現職。63歳。
2010年5月28日
後藤 頴昭(ごとう・ひであき) 1934年(昭和9年)山形市生まれ。山形市立第三中学校卒業後、父親の誉之助氏が営む後藤自転車店へ。後藤自転車店は自動二輪の取り扱いも始め、60年に後藤モータースに改組、62年にはヤナセとベンツ、フォルクスワーゲンの特約販売契約を結ぶ。誉之助氏の死去後、84年に社長就任。91年に後藤モータースを山形ヤナセに社名変更、2004年から会長。76歳。
2010年5月14日
田代 有三(たしろ・ゆうぞう) 1982年(昭和57年)福岡市生まれ。福岡大学時代から大学ナンバーワンFWと評価され、大分トリニータ、サガン鳥栖に特別指定選手として登録。2005年に鹿島アントラーズに加入、身長を生かした頼れるストライカーとして08年まで「田代が決めればチームは負けない」という不敗神話を打ち立てる。同年に日本代表に選ばれるも昨季は若手の台頭もあって出場機会に恵まれず、今季から山形に期限付き移籍。山形市で奥さんと2歳の娘さんとの3人暮らし。27歳。
2010年4月23日
坪田 卓哉(つぼた・たくや) 1956年(昭和31年)大阪市生まれ。灘中学・高校を経て東大院卒後の81年、日本国有鉄道(現在のJR東日本)入社。87年から89年にかけ投資計画部に所属し整備新幹線や山形新幹線の開発立案を担当、山形ジェイアール直行特急保有のスキーム作りにも携わる。JR仙台支社企画部長、東京圏駅ビル開発取締役(出向)などを経て07年から現職。53歳。
2010年4月9日
大泉 逸郎(おおいずみ・いつろう) 1942年(昭和17年)河北町生まれ。家業のサクランボ栽培のかたわらアマチュア民謡歌手として頭角を現し、77年には東北・北海道民謡大賞を受賞したのをきっかけに本格的に歌手活動を始める。94年に初孫が誕生し、あまりの可愛さに生後3日目に友人で西川町在住の荒木良治氏に作詞を依頼し、自ら作曲した「孫」を自主制作。「孫」は99年にメジャー発売され大ヒット、その年の紅白歌合戦出場も果たす。67歳。
2010年3月26日
小川 大輔(おがわ・だいすけ) 1973年(昭和48年)山形市生まれ。山形商業を卒業後、仙台市の自動車販売会社を経て95年、家業で中古車販売では東北最大の規模を持つカーサービス山形に入社。仕入れの現場で10年間の修業を積んだ後、父親で創業社長だった文男氏の急逝に伴い2004年に社長就任。36歳。
2010年3月12日
酒井 政輔(さかい・まさすけ) 1942年(昭和17年)山形市生まれ。山形南高から明治大学経営学部に進み、卒業後に帰郷して30年創業の実家「酒井製麺所」へ。2002年に4代目社長に就任。山形県製麺協同組合副理事長も務める。68歳。
2010年2月26日
野村 浩志(のむら・ひろし) 1968年(昭和43年)埼玉県越谷市生まれ。91年に駒澤大文学部を卒業後、㈱読売旅行に入社。大宮営業所、新潟営業所を経て2001年に次長として山形営業所に着任、年商を飛躍的に伸ばした功績で04年、全国の営業所の中で最年少の35歳で所長に昇進。08年に仙台支社の東北・北海道合同企画グループ係長に就任した直後、開業以来20年間赤字が続く山形鉄道が公募した社長職に応募、89人の中から選ばれ09年4月1日から現職。10月には自身の半生をつづった著書「私、フラワー長井線『公募社長』野村浩志と申します」を出版した。41歳。
2010年2月12日
村川 千秋(むらかわ・ちあき) 1933年(昭和8年)村山市生まれ。山形南高から東京芸術大学音楽学部器楽科に進み、卒業後に同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎氏に師事。卒業後の63年に渡米、指揮者としての研鑽を積んで66年帰国、東京交響楽団の客員指揮者としてデビュー。以後、東響のほか札幌交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団などを指揮する。71年に帰郷、翌72年に東北初のプロオーケストラ・山形交響楽団を設立し正指揮者に就任。01年から現職。77歳。
2010年1月22日
佐々木 みき(ささき・みき) 1976年(昭和51年)北海道室蘭市生まれ。中学1年からバレーボールを始め、登別大谷高校では春高バレー、インターハイに出場、93年世界ユース選手権準優勝、94年アジアジュニア選手権準優勝を経験。95年にダイエーに入部、その後オレンジアタッカーズ、東洋紡を経て2001年にパイオニアに移籍。03年第10回Vリーグでの初優勝に貢献し、最高殊勲選手賞・最多得点・ベスト6に輝く。04年にはアテネ五輪出場も果たした。今季から主将。33歳。
2010年1月8日
宮沢 克行(みやざわ・かつゆき) 1976年(昭和51年)に千葉県習志野市生まれ。武南高校(埼玉県蕨市)から明治大学農学部に進み、卒業後の99年、浦和レッドダイヤモンズに入団。2002年アルビレックス新潟に移籍、04年モンテディオ山形にレンタル移籍。05年にアルビレックスに復帰するが、06年シーズン途中でモンテに完全移籍。ポジションはミッドフィールダー、背番号7。07年から3季連続で主将を務める名実ともに大黒柱。山形市で奥さんと2人のお子さんとの4人暮らし。33歳。
2009年12月11日