徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

佐々木 則夫(ささき・のりお) 1958年(昭和33年)尾花沢市生まれ。小学校2年の時に埼玉県川口市に転居しサッカーを始め、帝京高3年の時に主将としてインターハイ優勝。明治大、NTT関東(大宮アルディージャの前身)でプレーを続け、90年に33歳で現役を引退後は指導者の道を歩み98年に大宮アルディージャの初代監督に就任。なでしこジャパン監督には2008年に就任、同年の北京五輪では4強入りを果たした。W杯ドイツ大会優勝で尾花沢市民栄誉賞、県スポーツ大賞、国民栄誉賞を受賞。53歳。
2011年8月12日
塩川 智恵美(しおかわ・ちえみ) 1986年(昭和61年)山形市生まれ。2005年に山形商業を卒業後、日本郵政公社(現在の日本郵政)入社。福島市、山形市旅籠町での郵便局勤務を経て去年8月から山形市の鈴川郵便局で窓口業務を担当。6月11日、8月5日~7日に開催される山形花笠まつりを盛り上げる「ミス花笠」に他3人と選ばれる。24歳。
2011年7月22日
山口スティーブ(やまぐち・すてぃーぶ) 1960年、米カンザス州生まれ。オクラホマ州立大学を卒業後、スタンフォード大大学院を経て自民党政治を研究するため85年に東大大学院に留学。87~93年、三菱商事勤務。94年、結婚を機に日本国籍を取得、奥さんの実家である山口建設(最上町)へ。岳父が亡くなって社長を務めるが、2007年に会社を整理し、新たにトラベル東北(同)を設立して社長に。51歳。
2011年7月8日
三浦 友加(みうら・ゆか) 1982年(昭和57年)鶴岡市生まれ。鶴岡北高卒業後、吉本興業の新人タレント養成所「東京NSC」へ。2004年からテレビ番組やライブ活動で活躍(?)。同期はオリエンタルラジオ、はんにゃ、フルーツポンチなど。吉本が全国47都道府県を対象に今年から始めた「あなたの街に住みますプロジェクト」の一環として5月から山形市に移り住み、各種イベントに参加中。29歳。
2011年6月24日
秋葉 勝(あきば・まさる) 1984年(昭和59年)上山市生まれ。上山市立南中学からモンテディオ山形ユースに進み、2002年に同ユース史上2人目のトップ昇格を果たす。在籍10年目で、今季のチームでは唯一の東北、山形出身。ポジションはミッドフィールダーで、豊富な運動量とタイミング良くゴール前に飛び出し相手ゴールを脅かすプレーが持ち味。27歳。
2011年5月27日
斉藤 長右衞門(さいとう・ちょうえもん) 1953年(昭和28年)山形市生まれ。山形東高校から慶応大工学部に進み、76年に卒業後、河合楽器へ。80年に帰郷、1665年(江戸期の寛文5年)創業の「わかまつや」社長に。今年4月から蔵王温泉観光協会会長に就任。58歳。
2011年5月13日
入間田 宣夫(いるまだ・のぶお) 1942年(昭和17年)宮城県涌谷町生まれ。68年東北大学大学院文学研究科国史学専攻博士課程中退、同年東北大文学部助手。山形大学助教授、東北大助教授、東北大東北アジア研究センター教授などを経て2005年に東北大を定年退職、06年から東北芸術工科大学教授。10年4月に同大大学院長、11年1月に東北文化研究センター所長に就任。専門は日本中世史。69歳。
2011年4月22日
久納雄二(くのう・ゆうじ) 1954年(昭和29年)東京都生まれ。78年防大卒、陸上自衛隊へ。陸幕監理部長、西部方面総監部幕僚長などを経て2010年7月から現職。陸将。56歳。陸自第6師団は南東北3県の防衛警備と災害派遣を任務とし、3県5駐屯地のうち司令部を東根市の神町駐屯地に置いている。隊員数約5800人、神町には2600人が駐屯している。
2011年4月8日
田中 諒(たなか・まこと) 1983年(昭和58年)福島県相馬市生まれ。地元で自動車整備を営むかたわらボランティアで消防団活動にも従事。東日本大震災による避難者が1092人と県内最多の山形市総合スポーツセンターで20日に発足した5つの自治組織のうち「1丁目2区」(160人)の区長を務める。28歳。
2011年3月25日
本名・斎藤恵未(さいとう・さとみ) 1986年(昭和61年)村山市生まれ。北村山高校卒業後、山形の伝統文化への憧れから山形伝統芸能振興株式会社(愛称・やまがた紅の会)に入社、舞子の世界へ。今年で7年目になる“ベテラン”で、7月からは7人のやまがた舞子で1番のお姉さんに。24歳。
2011年3月11日
船橋吾一(ふなばし・ごいち) 1971年(昭和46年)山形市生まれ。山形学院高から大阪経済法科大学に進み、95年に卒業後、東京都内の空調設備会社を経て99年に家業で総合設備の弘栄設備工業入社。2010年から副社長。山形JCには01年に入会、今年度から第56代理事長を務める。39歳。
2011年2月25日
黒田 吉隆(くろだ・よしたか) 1987年(昭和62年)山形市生まれ。蔵王一中3年の時にレーシングカートを始め、全国カート選手権で2度優勝。日大山形高卒業後、仙台市の自動車整備専門学校に通う傍らレーシングドライバー(レーサー)の資格を取得。2006年には単身ドイツに渡り名門レースチームで海外修行を積み、07年に帰国後は全日本F3選手権を舞台に活躍。今年はF1ドライバーという夢の実現に向け欧州シリーズへの参戦を目指している。24歳。
2011年2月11日
山本 絵里子(やまもと・えりこ) 山本学園グループの山本恒雄理事長の長女として大阪市で生まれる。9歳から山形市に移り住み、県立山形西高校から東海大工学部建築学科へ。卒業後、東京の設計事務所を経て1989年(平成元年)に帰省。現在はグループの要職のほか、市や県の幼稚園協会理事、県職業能力開発協会理事、文部科学省の専修学校教育の振興方策等に関する調査研究協力者会議委員など多数の公職を務める。
2011年1月28日
松尾 剛次(まつお・けんじ) 1954年(昭和29年)長崎県愛野町(現在の雲仙市)生まれ。1981年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退、同年山形大学講師。85年助教授、94年に東大文学博士の学位を取得して98年に山大教授。この間、プリンストン大、ロンドン大、ニューヨーク州立大などで客員教授も務めた。専門は日本中世史、仏教史。07年から山大都市・地域学研究所所長を兼務。56歳。
2011年1月14日
仲野 益美(なかの・ますみ) 1964年(昭和36年)天童市生まれ。84年に東京農大農学部醸造学科を卒業後、旧国税庁醸造試験場、東京の酒類卸会社を経て87年に家業の出羽桜酒造へ。取締役、専務を経て父親の急逝に伴い2000年に39歳で社長就任。山形県酒造組合技術委員長、日本吟醸酒協会理事長、東京農大客員教授、東京大学非常勤講師、山形県行政支出点検・行政改革推進委員会委員なども務める。49歳。
2010年12月24日
本名・佐藤浩一(さとう・こういち) 1962年(昭和37年)山形市生まれ。日大山形高校卒業後に勤めた製造業を6年で退社、喫茶店、中華レストラン、パブなど接客業で働くかたわらYBCラジオ番組「芹川晴夫の土曜生生ランド」でリポーターを務めた。現在は山形市のフランス料理店「マチルダ・ベイ」支配人とYBCラジオ番組「ドンキーのいいのぉー庄内!」パーソナリティーの二足のわらじを履く。48歳。
2010年12月10日
宮下 直樹(みやした・なおき) 1956年(昭和31年)神奈川県大和市生まれ。東海大学バレーボール部でセッター、レシーバー、副将として活躍、79年に同大卒業後、朝日生命へ。男子バレーボール部で86年まで選手として在籍した後、2000年まで女子バレーボール部のコーチ、監督を務める。01年にカナダ女子代表コーチとして招かれ、06〜08年は監督。パイオニアレッドウィングス監督には6月1日付けで就任。54歳。
2010年11月26日
吉村 哲郎(よしむら・てつろう) 1957年(昭和32年)東京都生まれ。81年に早大政経学部卒業後、日本経済新聞社へ。一貫して経済畑を歩み、記者、キャップ、デスクを経て2003年3月から06年2月まで日経山形支局長。同年6月、東京本社マーケティング本部部長を最後に日経を退社、8月に山形コミュニティ新聞社を設立。52歳。
2010年11月12日
岡田 卓也(おかだ・たくや) 1925年(大正14年)三重県四日市市の老舗呉服商「岡田屋」の7代目として生まれる。43年、旧制富田中学(現在の三重県立四日市高校)を卒業して早稲田大学へ。在学中に召集されるも国内で終戦を迎え、郷里に戻り家業を再興。その後、多くの小売会社を合併してジャスコを創立、現在のイオングループの基礎をつくる。信条は岡田屋の家訓「大黒柱に車をつけよ」(環境の変化に対応して企業を変革せよの意)。経営の一線を退いて10年になるが、今なお存在感は大きい。長男の元也氏はイオン社長、次男の克也氏は民主党幹事長。85歳。
2010年10月8日
清水 健太(しみず・けんた) 1981年(昭和56年)千葉県松戸市生まれ。松戸市立松戸高校卒業後の2000年、柏レイソル入団。05年4月、柏レイソルからモンテディオ山形に期限付き移籍、07年から完全移籍。06年シーズン第6節からスタメン出場、現在までモンテの守護神として活躍している。愛称はシミケン。29歳。
2010年9月24日
水戸部 耕康(みとべ・たかやす) 1946年(昭和21年)寒河江市生まれ。寒河江高校農業科を卒業後、鋼材卸会社を経て日産サニー山形販売(現在の日産プリンス山形)へ。94年、山形営業所長を最後に同社を退職、中古車販売会社「オート倶楽部山形」を設立して社長に。7月に東北初の100円レンタカーサービスを開始して話題に。64歳。
2010年9月10日
鈴木 髙明(すずき・たかあき) 1946年(昭和21年)西村山郡朝日町生まれ。山形南高から明治大学政経学部に進み、卒業後の68年、殖産相互銀行(後の殖産銀、現在のきらやか銀)へ。同行における当時の最年少支店長(左沢支店)などを経て92年に経営企画室長。97年、米沢支店長を最後に同行を退職、精英堂印刷社長に。日本酒のラベル印刷に特化していた同社の組織・事業改革に取り組み、最新技術「水なし印刷」の導入などで全国区の高収益企業に育て上げる。64歳。
2010年8月27日
伊賀 大(いが・まさる) 1976年(昭和51年)酒田市生まれ。羽黒高校卒業後、地元の自動車整備会社に就職。25歳で独立してトラック運送業を興すが2年後の2002年に多額の借金を抱えて倒産、「自暴自棄の生活」に。翌03年、テレビ番組「マネーの虎」でおなじみの堀之内九一郎氏の門を叩き、同氏が全国展開するリサイクル店「創庫生活館」のFC店を酒田市にオープン、事業を軌道に乗せて2年で借金を完済。06年山形市江俣に2号店、9月3日に東青田に3号店を開設予定。山形市在住、34歳。
2010年8月13日
大沼 寧(おおぬま・やすし) 1965年(昭和40年)横浜市生まれ。神奈川県立湘南高校から山形大学医学部へ。同大卒業後、横浜市立大学付属病院、鶴見総合病院、横浜市立港湾病院などを経て2001年から独・ベルリンに留学、人工関節手術などを研修。03年に帰国、湘南鎌倉総合病院の整形外科医長に就任。04年から現職。日本体育協会公認スポーツドクター、モンテディオ山形チーフドクターも務める。44歳。
2010年7月23日
加地 亜澄 (かち・あすみ)1988年(昭和63年)高畠町生まれ。米沢興譲館高を卒業して山形大学地域教育文化学部4年に在学中。6月、第31回山形花火大会のPR大使となる「ミス花火」に応募者26人の中から山西香澄さん(19)とともに選ばれた。21歳。
2010年7月9日
市村 清勝(いちむら・きよかつ) 1957年(昭和32年)山形市生まれ。山形南高から日本大学生産工学部に進み、80年同大卒業後、第一建築(東京、現在の第一ヒューテック)に就職。83年、市村工務店入社。課長、部長、常務、専務を経て2001年から現職。52歳。
2010年6月25日
加藤 洋三(かとう・ようぞう) 1964年(昭和39年)上山市生まれ。山形南高から岩手大学農学部に進み、86年に同大卒業後、家業(加登屋、現在のカトーコーポレーション)の取引先だった清和肥料工業(大阪市)に就職。89年加登屋入社。96年「農家の店トマト高畠店」店長、2006年専務を経て今年4月から現職。46歳。
2010年6月11日
奥山 徹也(おくやま・てつや) 1946年(昭和21年)旧満州生まれ。終戦で引き揚げ後、北海道、福島、千葉などに移り住み、千葉東高から山形大文理学部(現在の人文学部)へ。同大卒業後、数社を経て76年に山形市の酒類卸会社に就職、取締役まで務めた後、92年に高畠ワインから営業部長としてスカウトされる。99年常務、2004年専務を経て05年から現職。63歳。
2010年5月28日
後藤 頴昭(ごとう・ひであき) 1934年(昭和9年)山形市生まれ。山形市立第三中学校卒業後、父親の誉之助氏が営む後藤自転車店へ。後藤自転車店は自動二輪の取り扱いも始め、60年に後藤モータースに改組、62年にはヤナセとベンツ、フォルクスワーゲンの特約販売契約を結ぶ。誉之助氏の死去後、84年に社長就任。91年に後藤モータースを山形ヤナセに社名変更、2004年から会長。76歳。
2010年5月14日
田代 有三(たしろ・ゆうぞう) 1982年(昭和57年)福岡市生まれ。福岡大学時代から大学ナンバーワンFWと評価され、大分トリニータ、サガン鳥栖に特別指定選手として登録。2005年に鹿島アントラーズに加入、身長を生かした頼れるストライカーとして08年まで「田代が決めればチームは負けない」という不敗神話を打ち立てる。同年に日本代表に選ばれるも昨季は若手の台頭もあって出場機会に恵まれず、今季から山形に期限付き移籍。山形市で奥さんと2歳の娘さんとの3人暮らし。27歳。
2010年4月23日