徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

●(トゥシャール・パイヌリ) 1993年、インド北部の都市デラドゥーン生まれ。地元の中学校を卒業後、日本でカレー専門店「ロイヤルインドレストラン」の展開を始めた父親と暮らすため2009年に家族で初来日、広島市のインターナショナルスクールへ。卒業後、イギリスのバーミンガム大で経営学を学び、卒業後の16年に再来日、父親の事業を手伝うように。新天竺(しんてんじく)はロイヤルインドレストラン全23店のうち南東北4店を束ねる。20年に東北大大学院修士課程修了。千葉市在住で月1回のペースで山形に足を運ぶ。28歳。
2021年10月22日
伊藤 徹(いとう・とおる) 1961年(昭和36年)山形市生まれ。市立二小→同三中→上山農業高(現在の上山明新館高)→福井工業大工学部と進み、同大卒業後、仙台市の住宅メーカーや電子機器販売会社に勤務後、2002年に山形市飯沢で牛タン専門店「音炭(おんたん)」を開業。60歳。
2021年10月8日
小野 和行(おの・かずゆき) 1962年(昭和37年)朝日町生まれ。日大山形高から日大工学部に進み、卒業後の85年、営業の修業を積むためトヨタカローラ山形(山形市)入社、7年後の92年に小野建設へ。営業課長、開発部長、常務を経て2008年社長就任。一級建築士、華道小原流一級家元脇教授の免状を持つほか、小学4年から始めた剣道は教士七段の腕前で、県剣道連盟理事、市スポーツ協会副会長、市スポーツ少年団本部長なども務める。21~22年山形北ロータリークラブ会長。59歳。
2021年9月24日
山本 陽史(やまもと・はるふみ) 1959年(昭和34年)和歌山市生まれ。横浜翠嵐高から東大文学部に進み、同大大学院修士課程修了後1988年に山形大教養部講師に。助教授から2000年に明海大(千葉県浦安市)に転じ、07年再び山大へ。現在は教授としてエンロールメント・マネジメント部に所属。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る!探究学習」など。やまコミで「判官びいきの系譜 南雲忠一」を連載中。趣味はトランペット演奏。米沢市在住、62歳。
2021年9月10日
佐藤浩至(さとう・こうし) 1962年(昭和37年)仙台市生まれ。仙台育英高から東北福祉大を経て東京のスポーツウエアメーカーに入社。2年後にUターンして総合スポーツクラブ「グラン・スポール」(仙台市)へ。98年、36歳で独立、スポーツクラブの運営請け負いやトレーニングマシンなどを販売するジーズニューコンセプトを設立、社長に。2018年からフィットネスクラブ「アッティーボジム」の展開を開始、現在は首都圏と東北などで11店を展開、県内では山形市馬見ケ崎と鶴岡市荒井京田に店舗を構える。59歳。
2021年8月27日
公平雅士(こうへい・まさし) 1983年(昭和58年)山形市生まれ。市立9小、5中、山形学院高を出て函館短期大食物栄養学科に進み、卒業後に帰郷。地元の飲食店勤務を経て2007年に宅配弁当・総菜などを手がけるエイムカイワ(山形市)入社。20年から常務。山形商工会議所青年部には14年に入会、9月19日開催予定の「第33回日本一の芋煮会フェスティバル」実行委員長を務める。38歳。
2021年8月13日
井上 尚(いのうえ・たかし) 1954年(昭和29年)寒河江市生まれ。左沢高から足利工業大に進み、4年時に中退して帰郷、実家で井上工業の前身である井上砂利へ。現場で作業経験を積み、同社の解体工事進出を主導。88年社長就任。2016年に全国解体工事業団体連合会会長に就任するのにあたり同社会長に。他に県解体工事業協会代表理事も務める。66歳。
2021年7月23日
ノーレン 千草(のーれん・ちぐさ) 1968年(昭和43年)山形市蔵王温泉生まれ。蔵王三小→蔵王二中→山形西高から跡見学園女子大(埼玉県新座市、現在は東京都文京区)に進み、卒業後に郷里に帰郷。1年半のグアム語学留学などを経て30歳の時に英語を使う職場を求めて青森県三沢市の米軍基地へ。そこで国防省職員のカルビン・ノーレン氏と知り合い34歳で結婚。夫の転勤に伴い米テキサス州フォートワース、横田基地と移り住み、実母の看病のため2010年に再び帰郷。18年に常務を務めていた実の兄が急逝、翌19年に社長だった実父の死去に伴い同年から社長。52歳。
2021年7月9日
遠藤 優子(えんどう・ゆうこ) 1966年(昭和41年)米沢市生まれ。米沢商業卒業後、地元の繊維製品卸会社を経て88年にシルキーリビング入社。経理、総務など一貫して事務畑を歩み、課長、部長、専務を経て2015年から社長。米沢市で実母、ご主人、次男の4人暮らし。54歳。
2021年6月25日
川越 浩司(かわごえ・こうじ) 1963年(昭和38年)寒河江市生まれ。日大山形高から拓殖大商学部に進み、卒業後の87年に山形相互銀行(後の山形しあわせ銀、現在のきらやか銀)入行。山辺支店を振り出しに新潟支店、法人営業部、東京事務所長、経営企画部長、寒河江支店長、執行役員、常務執行役員、取締役を経て2019年6月からじもとホールディングス(HD、仙台市)常務。6月24日にきらやか銀頭取、じもとHD会長に就任予定。57歳。
2021年6月11日
柴田 士朗(しばた・しろう) 1950年(昭和24年)山形市生まれ。日大山形高を卒業し、大阪市の模型問屋で2年間勤めた後、父親の冨太郎さん(故人)が50年に創業した模型小売店「シバタモデル」へ。常務を経て、2代目を継いだ長兄の一宇(かずいえ)さんの急逝に伴い2009年から3代目社長を務める。同店はプラモデルや鉄道模型などの豊富な品ぞろえで人気を博したが、後継者不在で5月31日で閉店、70有余年の歴史に幕を下ろす。71歳。
2021年5月28日
堀江 龍弘(ほりえ・りゅうこう) 1984年(昭和59年)飯豊町生まれ。長井高から新潟大工学部建設学科に進み、卒業後、積水ハウスへ。3年後の2010年退社、木造住宅を手掛ける実家のホリエに入社、翌11年、自社ブランド住宅「シエルホームデザイン」を立ち上げる。14年に一級建築士の免許を取得、同年専務。本業の傍ら17年グロービス経営大学院を卒業してMBA(経営学修士)取得。19年社長。今年4月、新入社員3人がパラグライダーで空を飛ぶ入社式を南陽スカイパークで行い話題を呼んだ。36歳。
2021年5月14日
細川 博之(ほそかわ・ひろゆき) 1971年(昭和45年)山形市生まれ。日大山形高から日大法学部を経て、農業資材を取り扱う福農産業(兵庫県三木市)へ。2年後の94年に帰郷、実家の農業資材の製造卸・花楯産業に専務として入社。2017年社長就任。花楯産業はグループに包装資材卸の山形パック(山形市)、中華料理店の東龍花(同五十鈴)を抱える。51歳。
2021年4月23日
花園 朋一(はなぞの・ともいち) 1953年(昭和28年)山形市七日町生まれ。山形商高から専修大商学部に進み、4年時にはフローリスト専門学校の夜間クラスにも通う。76年に専修大と専門学校を卒業後、生花店大手の花弘(東京)を経て79年に実家の生花店ハナゾノへ。父親で先代社長の克之介氏の急逝に伴い83年、30歳で社長就任。これまでの間、山形生花商組合理事、旭銀座のれん会専務理事なども務めた。フラワー装飾技能士1級の資格を持つ。67歳。
2021年4月9日
中村 祥之(なかむら・よしゆき) 1973年(昭和48年)、13年(大正2年)から続く老舗食品卸・マルナカ中村商店の創業家長男として生まれる。山大附属小・中学校、山形東高から横浜市大商学部に進み、卒業後、首都圏の食品関係企業を経て2001年から家業へ。05年常務、13年専務を経て14年社長就任。県小麦粉卸商組合会長、山形市蔵王倫理法人会副会長、山大附属中同窓会幹事長なども務める。48歳。
2021年3月26日
斯波 郁子(しば・いくこ) 1959年(昭和34年)、化粧合板を製造する徳正合板(山形市)創業者の徳正国雄氏の長女として山形市で生まれる。山形北高から専門学校に進み、市内の印刷会社で1年間OLを務めた後、21歳で東京在住の斯波久一郎氏と結婚、2人の男の子に恵まれる。95年に一家4人で山形に帰郷、義父母が蔵王温泉で経営するレンタルスキー店「しばスキー」へ。96年から専務、併設する軽食喫茶「しばママのお店」の店長も務める。スノーボードで平昌五輪にも出場した斯波正樹選手は次男。61歳。
2021年3月12日
佐藤 博之(さとう・ひろゆき) 1965年(昭和40年)東京生まれ。81年に寒河江市出身の父親が北日本白衣を起業するに際し家族で山形市に転居、市立6小、6中、山形商を経て横浜商科大へ。大学時代はバンド活動にのめり込み、3年時に中退。アルバイトをしながらプロデビューを目指すも3年で挫折、帰郷して家業に入り、2011年から社長。これまでに山形青年会議所副理事長(02年)、山形大花火大会実行委員長(04年)などを務めたほか、現在は山形市PTA連合会と山形県PTA連合会の会長も務める。56歳。
2021年2月26日
尾崎 良(おざき・りょう) 1977年(昭和52年)尾花沢市生まれ。地元中学から山形学院高に進み、卒業後、天童市や尾花沢市の工務店で大工として働く。24歳の時に独立、26歳の2003年、尾花沢市で仲間2人と大工工事を手掛ける「大達」を創業。その後に建築工事にも手を広げ、業務拡大に伴い10年に山形市銅町に山形営業所を開設した。15年に山形市桧町に本社を移転、自身も山形市に移り住む。44歳。
2021年2月12日
齋藤 晴紀(さいとう・はるき) 1984年(昭和59年)酒田市生まれ。酒田南校を卒業後、上京してアパレル関係の広告代理店を起業。2015年に帰郷、JR鶴岡駅前に「ラーメン風林火山鶴岡本店」を開業。以後、風林火山酒田店(16年)、中華そば雲ノ糸鶴岡本店(17年7月)、雲ノ糸酒田店(17年12月)、雲ノ糸鶴岡弐店(18年)と次々に出店、20年12月には山形市に雲ノ糸あかねケ丘店をオープンさせた。36歳。
2021年1月22日
山崎恵子(やまざき・けいこ) 1929年(昭和4年)旧新庄町(現在の新庄市)生まれ。町立実科高等女学校(現在の県立新庄南高)3年時に学徒動員で首都圏の軍需工場へ。終戦間際に帰郷、父親が経営していた山形市の製材工場、県庁勤務を経て54年、当時、東芝家電販売所の所長を務めていた山崎静五郎氏と結婚。翌55年、現在の山形七日町二郵便局の西隣に電器店「銀座堂」、73年に現在地で「喫茶 白十字」を開業。静五郎さんが亡くなる19年前まで2店を切り盛りし、亡くなってからは白十字だけの経営に専念している。91歳。
2021年1月8日
石川 康夫(いしかわ・やすお) 1954年(昭和29年)山辺町生まれ。千葉商科大商経学部卒業後、首都圏の自動車部品販売会社を経て、81年に山形三菱自動車、ホテルキャッスルを中核とする「八千代グループ」のタクシー部門だった八千代交通(山形市)へ。総務・経理畑を歩み、課長、部長、常務、専務を経て2006年から社長。翌07年のグループ崩壊後、同社の全株式を取得してオーナーに。13年から県ハイヤー協会会長を務める。66歳。
2020年12月25日
伊藤 美智一(いとう・みちかず) 1970年(昭和45年)生まれ。金井小、金井中から寒河江工高に進むも1年時に中退。飲食店などのアルバイトを経て18歳から鳶職になり、20歳の90年に鳶職を集めた伊藤工業を設立。その後、住宅リフォームへの進出を目指し2005年にMYスタイルを創業、10年に株式会社化する。リフォームを中心に8月からは新築住宅建設も手がけるようになり、3カ月で7棟を受注して業界を驚かせた。この11日に50歳に。
2020年12月11日
石山孝次郎(いしやま・こうじろう) 1952年(昭和27年)山形市高瀬地区生まれ。実家は製炭業で、男7人兄弟の5番目。中学3年の時に父親と死別、卒業後に地元の建具店に弟子入りし、6年後の74年に独立。一般住宅などの建具を手がけるかたわら、松島の瑞巌寺や京都の西本願寺などの補修工事にも携わる。卓抜した技能から2000年に全国建具展示会で内閣総理大臣賞に輝き、05年に「現代の名工」にも選ばれた。13年に黄綬褒章受章。18年から全国伝統建具技術保存会理事長を務める。68歳。
2020年11月27日
鈴木 重幸(すずき・しげゆき) 1960年(昭和35年)山形市生まれ。日大山形高から日大生産工学部に進み、工作機械製造の日立精機、ミシン販売のベビーロックに勤務後、28歳で帰郷し実家の鈴木製作所へ。常務、専務を経て2009年から社長。県倫理法人会の研修委員会委員長なども務める。60歳。
2020年11月13日
橋本 恵美子(はしもと・えみこ) 1971年(昭和46年)、明治創業の老舗牛肉店「金澤屋牛肉店」の3代目社長・鈴木正彦氏の長女として山形市で生まれる。山形北高から仙台市の専門学校に進み、卒業後、仙台のホテルへ。5年後に帰郷、結婚、出産を経て家業を手伝うことに。母親の悦子さんが2008年に亡くなった後は、1歳下の妹さんと2人で店を切り盛りしている。49歳。
2020年10月23日
永澤 孝(ながさわ・たかし) 1949年(昭和24年)村山市生まれ。山形南高から明大政経学部に進み、卒業後の72年山形県庁職員に。商工労働部。県立新庄病院事務局次長、県立日本海病院事務局長などを歴任し2010年3月に県庁を退職、同年4月から15年3月まで県社会福祉協議会常務理事・事務局長を務めた。19年5月から現職。71歳。
2020年10月9日
前田 直之(まえた・なおゆき) 1972年(昭和47年)酒田市生まれ。酒田東高から東大経済学部に進み、卒業後、生活用品国内最大手の花王(東京)に就職。営業職を2年務め99年に帰郷、祖父が29年に創業したコンクリート製品製造の前田製管(酒田市)へ。経営企画室長、常務を経て入社4年目の2003年から社長。県コンクリート製品工業協組理事長、東北コンクリート製品協会会長なども兼任。酒田商工会議所青年部会長、日本商工会議所青年部日本創生委員会(政策提言系)委員長も務めた。9月25日で48歳に。
2020年9月25日
井上 周士(いのうえ・しゅうじ) 1973年(昭和48年)山形市生まれ。日大山形高から中央学院大経済学部に進み、卒業後、大宮総合食品地方卸売市場の荷受会社・大宮中央青果市場へ。3年後の99年に帰郷して家業の民設市場・丸勘山形青果市場入社。2007年専務、20年4月社長就任。13年に山形青年会議所理事長も務めた。47歳。
2020年9月11日
笹林 陽子(ささばやし・ようこ) 1966年(昭和41年)、1911年(明治44年)から続く山形市の老舗仏具店「長門屋」の創業家長女として生まれる。山形北高から青山学院女子短期大に進み、卒業後に日本鉱業(現在のENEOS)入社。24歳の時、同じ会社に勤める笹林修氏と結婚。2女に恵まれ、東京都内と北海道で専業主婦生活を送っていたが、家業を継ぐため2002年に一家4人で山形に戻り、2015年から社長を務める。54歳。
2020年8月28日
會津 圭一郎(あいづ・けいいちろう) 1964年(昭和39年)、45年に誕生した電気設備会社・東北電化工業の創業家長男として山形市で生まれる。日大山形高から日大生産工学部に進み、東京の土木コンサルタント会社を経て94年に東北電化へ。仙台営業所長、常務、専務を経て2006年から社長。県電業協会会長、県電気工事工業組合理事長、日本電設工業協会常任理事なども務める。55歳。
2020年8月14日