徹底して山形に密着したフリーペーパー

郷土料理研究家 古田 久子 さん

2009年6月26日
古田 久子(ふるた・ひさこ)1925年(大正14年)山形市生まれ。52年から自宅で料理教室を始め、70年に七日町で山形中央クッキングスクールを設立して校長に。これまでの間、料理研究家として郷土料理の普及、地産地消や食育運動の推進に尽力し、6月に内閣府が今年度創設した「食育推進ボランティア表彰」を受賞。07年1月から09年3月まで、やまがたコミュニティ新聞に料理コラム「古田久子のふるさとの味」を連載。
郷土料理研究家 古田 久子 さん

後世の伝えたい
  豊かな郷土料理と食育——

——「食育推進ボランティア表彰」の受賞者って個人では全国で2人だけとお聞きしました。
 
全国で2人だけの栄冠

 「そうなんですってね。郷土料理や食育を若い世代に継承してもらいたい一心で活動してきましたが、評価していただいて感激してます。これまで支えてくれた周囲の方々にも感謝したい」
 「実は推薦文の中に『県内で発行しているフリーペーパーで地元のレシピを紹介し…』なんて一文があるのよ。これって、やまコミの連載のことでしょ。やってて良かったわね(笑)」
——エー、初耳です。こちらこそ感謝しなきゃなんですけど、お役に立てたなら幸甚(こうじん)です。
 
25歳で料理の道に

 「この道に入ったきっかけですか? 結婚して子どもが生まれて、ここまでは普通の主婦だったんだけど、商売してた主人の実家が傾いて私も何かしなくちゃいけなくなったの。お茶とかお花とかも考えたけど、最終的に選んだのが料理」
 「それで東京の女子栄養大学が料理の通信教育をやってるって話を聞いて入学手続きをとって、月1回の上京。昭和25年、25歳の時ね」
——ボク、まだ生まれてません(苦笑)
 「もちろん当時は新幹線なんてなかったから夜行列車で8時間、板谷峠を越えて蒸気機関車のススで顔を真っ黒にして。上野駅で顔を洗って大学に行き、その日の夜に東京を発って山形に帰ってました」
 
契機は愛妻弁当

 「当然、苦労して学んだ成果を見せたくなるわよね。それで山形相互銀行(現在のきらやか銀行)に務めてた主人のお弁当を丹精込めて作ってたら女子行員の間で話題になって、『奥さんに料理を習いたい』ってことになって、山形で最初の料理学校を開いたわけ」
——食育の啓蒙の方もパイオニア的存在でいらっしゃいますよね。
 
人格形成に大事な食育

 「食べるって行為は一生ついてまわるでしょ。特に幼児期のそれは人格形成にも関わってきます。だから、ご両親も一緒になって豊かな団欒の食卓を作ってほしいと思って運動を始めたわけ」
 「食育って今でこそ国も政策に取り入れるようになったけど、当時は誰も関心を持たなかった。それをずっと訴え続けてたのって自分でも凄いなって思います(笑)」
——やっぱり、そういう進取の精神とか情熱とかが若さを保つ秘訣なんでしょうね。