徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

阿部 江津子(あべ・えつこ) 1979年(昭和54年)山形市生まれ。山本学園を卒業後、市内の医療事務の仕事に携わった後に仙台市のネイル専門校に入学、市内のネイルサロン勤務を経て2015年に青田の自宅でネイルサロンを開業。17年4月に一般社団法人・日本保健福祉ネイリスト協会(東京)から「福祉ネイリスト」として県内初の認定を受け、主として宮城県の福祉施設に出向いて高齢者や障害者にネイルを施す活動を続けている。39歳。
2019年11月22日
佐藤 浩之(さとう・ひろゆき) 1974年(昭和49年)、明治創業の老舗精肉店「佐五郎」の3代目社長・佐藤充昭氏の長男として山形市で生まれる。日大山形高から新潟産業大学経済学部に進み、卒業後、食肉業の知識・技術を教える竹岸食肉専門学校(茨城県土浦市)で半年間学んだ後に東京・人形町の有名精肉店「日山」へ。2002年にUターンして佐五郎入社、03年専務、19年10月に4代目社長就任。45歳。
2019年11月8日
木村 雅英(きむら・まさひで) 1949年(昭和24年)大阪市生まれ。近畿大学(東大阪市)農学部を卒業後、72年に食品製造・卸の加藤産業(兵庫県西宮市)入社。一貫して開発・製造畑を歩み、90年に子会社で果実缶詰の製造を手掛ける和歌山産業(東根市)に常務として転籍、96年社長就任。2016年に退任するまでの間、同社の売上高を9億円から45億円まで飛躍的に拡大させた。退任直後に実質1人で蔵王ファクトリーを立ち上げ、「山形育ち」をキャッチフレーズに県産食材を使ったゼリー、ジャム、ジュースの販路拡大に奔走している。70歳。
2019年10月25日
押野 茂(おしの・しげる) 1978年(昭和53年)天童ホテル創業家の長男として天童市で生まれる。山形東高から東大農学部獣医学科に進み、東大付属動物医療センターなどで勤務医として働いた後、2009年に東京YMCA国際ホテル専門学校に入学、東京のホテルでの修業を経て13年に天童ホテルへ。15年から社長。ホテル業と「アンジェリーナ」でのブライダル業を指揮するかたわら、天童温泉街に屋台村「と横丁」を整備するプロジェクトの旗振り役も務める。3男の父で、奥さんの幸子さんも獣医師の資格を持つ。41歳
2019年10月11日
斎藤アロイシア(さいとう・あろいしあ) 1965年サモアの首都アピア生まれ。19歳の時に青年海外協力隊でサモアを訪れていた山形市出身のご主人と知り合い結婚、22歳の時に山形市に移り住む。3人の息子さんを育てながら老人ホームでの介護、英会話教師、歌手などとして幅広く活動している。今年で山形市在歴31年、孫は6人。2020年東京五輪・パラリンピックに向け山形市はサモアのホストタウンに選ばれており、「ホストタウン山形・サモア交流大使」も務めている。愛称「シアさん」。53歳。
2019年9月27日
霜田 清(しもだ・きよし) 1967年(昭和42年)長野市生まれ。早大法学部を卒業後、26歳の時に衆院選・長野1区に無所属で出馬して落選。3年後の96年に靴小売り店をチェーン展開するシューマート入社。2007年から社長を務め、同社を売上高100億円、業界ではABCマート、チヨダら最大手に続く2番手集団に育て上げた。17年から会長。18年2月、山形県内と仙台市で靴店を多店舗展開していた千足屋(山形市)の営業権をシューマートが取得して以降、週5日は山形市内に常駐して県内店舗運営を指揮している。52歳。
2019年9月13日
田中 正樹(たなか・まさき) 1969年(昭和44年)山形市生まれ。市立十小、三中、山形電波工業高(現在の創学館高)を経て中学生向け教材販売の信栄(栃木県足利市)入社。山形支店と仙台支店で全国トップのセールスマンとして活躍後、山形市の学習塾勤務を経て96年に中古車輸出を手がける「エムズ」を創業。これまでに中古車の国内販売を中心に民間車検場、緑ナンバーを取得しての貨物運送事業、レッカー・ロードサービス事業などに業容を拡大、業界ではカーサービス山形(山形市)に続く2番手グループの先頭を走る。50歳。
2019年8月23日
荒井 要雄(あらい・かなお) 1979年(昭和54年)山形市生まれ。鈴川小、市立第四中、山形中央高、山大工学部を経てあいおい損害保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)へ。3年後に父親が創業した保険代理店のアシスト(現FP事務所TSプラザマネジメント)入社、常務を経て2015年社長。全世界の生命保険営業職のトップクラスメンバーで構成され、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織「MDRT」に8年連続で名を連ねる。山形青年会議所(山形JC)には26歳に入会、12年から理事、副理事長も3度務めた。40歳。
2019年8月9日
佐藤 啓(さとう・ひらく) 1966年(昭和41年)、コンクリート圧送業・ヤマコン(山形市)創業会長の佐藤勝彦氏の次男として山形市に生まれる。山形南高から専修大経営学部に進み、卒業後、専門商社の大沢商会(東京)へ。96年、ヤマコングループの自動車整備会社・ニッシン自動車に営業係長として入社。課長、専務を経て2012年から現職。ニッシン自動車は10年に車体メーカーの三栄自動工業と経営統合し、サニックスに社名変更した。県中小企業家同友会の共同求人委員長も務める。佐藤隆彦ヤマコン社長は実兄。53歳。
2019年7月26日
髙倉 正則(たかくら・まさのり) 1958年(昭和33年)山形市生まれ。山形東高定時制課程卒業後、77年に山形市役所へ。納税課を振り出しに教育委員会(公民館担当)、観光物産課、政策推進課、秘書課、広報課長、環境部長などを経て2017年に定年退職、同年、市文化振興事業団事務局長兼「山寺芭蕉記念館」館長、19年から現職。市都市振興公社理事長も兼ねる。61歳。
2019年7月12日
佐藤 太一(さとう・たいち) 県内屈指の大型旅館「古窯」の跡取りとして1977年(昭和52年)に上山市で生まれる。日大山形高から日大商学部に進み、米国での語学留学を経て2000年に古窯入社。社長室長、常務、専務を経て17年に代表取締役就任。父親の信幸氏が会長、母親の洋詩恵氏が代表取締役社長を務める。19年2月、営業権を取得したあつみ温泉(鶴岡市)の老舗旅館「萬国屋」の社長も兼ねる。41歳。
2019年6月28日
小田切 一哉(おたぎり・かずや) 1981年(昭和56年)、リネンサプライ業を手がけるアダストサービス(AS、山梨県昭和町)の創業社長・小田切兼一氏の次男として甲府市で生まれる。2004年に山梨学院大学を卒業後、ASの香港現地法人「キングキーン・インターナショナル」入社。07年のASフーズ設立時に帰国、常務就任、10年から社長。4月3日、事業譲渡を受けたシベールの社長に。趣味は「仕事」。37歳。
2019年6月14日
矢吹 清隆(やぶき・きよたか) 1955年(昭和30年)に仙台市で生まれ、3歳から山形市に。山形東高から順天堂大医学部に進み、卒業後、同大第一外科、同大伊豆長岡病院などを経て2003年、祖父・清氏が開院し、父・清一氏が継いだ矢吹病院(山形市本町)へ。翌04年2月から院長。以後、医療法人社団・清永会理事長として「天童温泉矢吹クリニック」「くわのまちデイサービス」「矢吹嶋クリニック」を開院。6月1日には「南陽矢吹クリニック」を開院予定。63歳。
2019年5月24日
大山 日出子(おおやま・ひでこ) 福島県いわき市出身。地元高校を卒業後、就職で上京し、長井市出身で電電公社(現NTT)勤務のご主人と知り合い22歳で結婚、直後にご主人の転勤で長井市に、7年後に山形市へ。2人の娘さんの子育てを終えた後、昭和から平成に元号が変わる1989年に銅町でスナック「平成」を開業。花小路に移ったのは10年前から。年齢は「企業秘密」。
2019年5月10日
平具蘭土 来安(ライアン・ヘイグランド) 1975年、アメリカ・オレゴン州出身。シアトルパシフィック大学卒業後、外国語青年招致事業(JETプログラム)に応募して真室川町の小中学校で英語指導助手として働く。3年後に山形学院に転じ、山大生だった真希さんとの結婚を経て2008年に東根市に英会話教室「マイ英語スクール」を開校。これまでの間、事業を拡大し、現在は県内に8教室、兵庫県川西市に2教室を構えるほか14年には県内初の認可外保育施設「バイリンガル学園」をオープン。東根市在住、3男の父、44歳。
2019年4月26日
小野木 重弥(おのき・しげや) 1968年(昭和43年)旧藤島町(現・鶴岡市)生まれ。札幌学院大商学部中退後、一関ミート(岩手県一関市)などを経て92年に父・覺氏が創業した食肉卸売業「肉の大商」(現在の大商金山牧場)へ。部長、専務を経て2009年社長就任。大商金山牧場は年商100億円超。父の覺会長は県商工会連合会会長なども務め、自身は県倫理法人会の普及拡大委員長としても奔走している。51歳。
2019年4月12日
川内 有緒(かわうち・ありお) 1972年(昭和47年)東京都生まれ。日大芸術学部卒業後、米ジョージタウン大で修士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、フランスの国連機関などでの勤務を経て2010年にフリーライターに。13年、「バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌」で第33回新田次郎文学賞を受賞、18年11月に刊行した「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞を受賞。ライターの夫、娘さんと都内で暮らす。46歳。
2019年3月22日
松原 英俊(まつばら・ひでとし) 1950年(昭和25年)青森市生まれ。青森東高から慶応大文学部に進み、卒業後、真室川町に住む鷹匠の故・沓沢朝治氏に弟子入りし鷹匠として歩み始める。真室川町の加無山(かぶやま)の麓の山小屋、鶴岡市田麦俣の山小屋、天童市田麦野の古民家と居を移しながら冬は鷹狩りに明け暮れる。昨年12月、「鷹と生きる~鷹使い・松原英俊の半生~」(谷山宏典著)が山と渓谷社から出版された。妻子あり、68歳。
2019年3月8日
大久保 義彦(おおくぼ・よしひこ) 1936年(昭和11年)東京都生まれ。59年中大法学部卒業後、翌年にテレビ放送開始を控えたラジオ山形(現在の山形放送)に入社し、報道、制作、総務などを幅広く担当。99年関連会社の東北映音常務を最後に定年退職、直後に職場の先輩だった故・田中邦太郎氏が編集・発行人を務めるタウン誌「やまがた街角」の編集に携わるようになり、田中氏の死後2008年から同誌編集・発行人に。市芸術文化協会会長、県芸術文化協会副会長、山形国際ドキュメンタリー映画祭理事長なども務める。父は山形市長を3期務めた故・大久保伝蔵氏。82歳。
2019年2月22日
伊藤 順哉(いとう・じゅんや) 1975年(昭和50年)尾花沢市生まれ。3歳の時に両親と天童市に転居、東海大山形高から仙台市の経理と介護の専門学校に進み、卒業後に地元の社会福祉施設に就職。2004年に29歳で起業、天童市小関にデイサービスセンターと居宅介護支援事業所を開設。以後「自立支援」を企業理念に業容を拡大、現在までにショートステイ、グループホーム、小規模多機能、特別養護老人ホーム、介護予防センターを加えた9施設を天童市で展開している。43歳。
2019年2月8日
山口 花(やまぐち・はな)1968年(昭和43年)新潟市生まれ。大学卒業後、地元の広告代理店に就職し、結婚を機に退職。ご主人の勤務地の鶴岡市で主婦業と子育てのかたわら2012年に出版した「犬から聞いた素敵な話」が累計30万部を超えるベストセラーに。以後も犬をテーマにした4作品を上梓、安定した売れ行きを記録している。昨年4月からはご主人の転勤に伴い山形市で夫婦2人暮らし。50歳。
2019年1月25日
本名・三浦弘也(みうら・こうや) 1979年(昭和54年)山辺町生まれ。山本学園高卒業後、97年日本クラウン「35周年記念ニューアーティストオーディション」に合格。翌98年に19歳で単身上京、アルバイトをしながら作曲家の新井利昌氏のもとでレッスンに励み、2006年「東京ロスト・ラブ」でデビュー。同年の「日本の歌フェスティバル」新人奨励賞、翌07年の日本クラウン新人ヒット賞を受賞。これまでに8曲を発売、最新作は15年の「かみのやま慕情」。今月21日で40歳に。
2019年1月11日
松岡 亮輔(まつおか・りょうすけ) 1984年(昭和59年)兵庫県西宮市生まれ。中学からセレッソ大阪ユースに所属し、阪南大学(大阪府松原市)卒業後の2007年にJ1のヴィッセル神戸入団、12年に同ジュビロ磐田に移籍後、14年モンテディオ山形に移籍。持ち前の守備力とハードワークを武器にレギュラーとして貢献、15年のJ1昇格の原動力になった。その後は若手の台頭やケガもあり出場機会が減少、今季でモンテとの契約が満了。山形市で奥さんと3人の娘さんと暮らす。34歳。
2018年12月28日
川﨑 禮子(かわさき・れいこ) 1945年(昭和20年)11月、蔵王温泉で160年続く老舗土産物店「緑屋」に生まれる。蔵王2中から山形西高に進み、青山学院大法学部卒業後、24歳で結婚、南陽市で専業主婦に。2人の娘を育てながら93年、実家が蔵王温泉で建設したリゾート施設「ル・ベール蔵王」の社長兼女将に就任。2015年から県内温泉旅館の女将で組織する「やまがた女将会」の会長を務めるほか、県スキー連盟の理事も。73歳。
2018年12月14日
秋野 貞子(あきの・さだこ) 1934年(昭和9年)福島県会津生まれ。会津若松市の竹田看護専門学校卒業後、看護師になり、精神科医の秋野睦氏と結婚。3人の子育てに追われながら73年に秋野氏が天童市に秋野病院を開設した際に事務長に就任。秋野氏死去後の84年に斗南会を設立して理事長に。以後これまでの間、介護老人保健施設「ラ・フォーレ天童」、健康増進施設「のぞみ」、ケアハウス「めぐみの里」、グループホーム「おあしす・はぴねす」、認知症デイケア「ポレポレ」などを整備、業容を拡大させている。84歳。
2018年11月23日
安部 幸一(あべ・こういち)1968年(昭和43年)、葉山温泉の「安部旅館」の長男として上山市で生まれる。74年、同旅館が「大野目温泉・旅館安部」として山形市平久保に移転したのに伴い市内に転居、千歳小、市立4中、日大山形高を経て実家でラーメン店「有頂天の元祖」を開業。2007年、有頂天の元祖の経営は実家に任せ、自らは荒楯町に「有頂天EVOLUTION(エボリューション)」を新規開業。現在は長井市と仙台市にも同名店舗を構える。50歳。
2018年11月9日
渡辺 晃(わたなべ・あきら) 1955年(昭和30年)山形市生まれ。山形南高から法政大経済学部へ。同大卒後、不動産鑑定士の2次試験に合格して帰郷、地元の不動産鑑定事務所に就職。2年間の実務を経て26歳で独立、自宅で不動産鑑定事務所を開業。90年に住宅・不動産業のクリエイト礼文(山形市)を設立、ローコスト住宅「UNITE(ユニテ)」を核に急成長を続けている。9月、家づくりのコツを記した「100年使える『箱の家』をつくる」を出版。63歳。
2018年10月26日
ピーター・バラカン 1951年、ロンドンでユダヤ系ポーランド人の父と、イギリス人とミャンマー人を両親に持つ母との間に生まれる。ロンドン大学日本語学科を卒業後、レコード店勤務を経て74年に来日、東京の音楽出版会社で働く。その後独立し、音楽に関する豊富な知識と流暢な日本語を生かしてラジオやテレビでDJ、司会などを幅広く務め、良質な音楽を紹介し続けているほか、時事問題にも鋭いメッセージを発信している。自ら名乗る「ブロードキャスター」は放送媒体で表現活動する人を意味する英語。日本人の奥さんを持ち、子ども2人は独立して現在は東京で夫婦2人暮らし。67歳。
2018年10月12日
井山 計一(いやま・けいいち) 1926年(大正15年)酒田市生まれ。酒田商業(現・酒田光陵高)卒業後、横浜市の東京芝浦電気(現・東芝)の軍需工場で働き、終戦の50年帰郷。社交ダンス教師などを経て55年にバー「ケルン」を開業し、以来62年もの長きにわたりカウンターでシェーカーを振り続ける。59年に創作カクテル「雪国」が壽屋(現・サントリー)主催の全国コンクールでグランプリに輝く。半生を描いたドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」が11月に県内、年明けに東京都内で上映される。92歳。
2018年9月28日
竹中 功(たけなか・いさお) 1959年(昭和34年)大阪市生まれ。同志社大学法学部卒業後、81年に吉本興業に入社して宣伝広報室を立ち上げ、芸人養成所「よしもとNSC」の設立にも携わる。長く広報担当として所属タレントの不祥事の事後処理を一手に引き受け、記者会見で謝罪することもしばしば。関連会社の専務、社長を経て2015年に吉本退社。現在は「謝罪マスター」として広報・危機管理に関するコンサルタント活動や執筆、講演、ラジオパーソナリティーと幅広く活躍中。月に1回、山形刑務所での教育活動も。59歳。
2018年9月14日
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