徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

阿相 武憲(あそう・たけのり)1945年(昭和20年)村山市生まれ。袖崎小、袖崎中、山形東高から早稲田大商学部に進み、卒業後、義理の兄が山辺町で経営するスーパーのマルタ(現在のショッピングプラザベル)へ。72年に独立、山形市で持ち帰り焼き鳥店「鳥太郎」を起業。10店舗まで拡大した89年、バイキング形式で総菜や弁当を販売する「ごちそう市場」の展開を始め、県内のほか宮城、福島、岩手、首都圏まで店舗網を広げる。最盛期の99年には40億円強の売上高を計上するも、その後の業績悪化で2002年に経営破綻、自らも自己破産の憂き目に。その3年後の05年、日配サービスの「かがやき弁当」を設立、以後、天賦の才覚を活かしてシェアを拡大中。78歳。
2023年12月8日
森 安弘(もり・やすひろ)1970年(昭和45年)大阪府堺市生まれ。京都大法学部を卒業して92年に住友商事入社。主に建材畑を歩み、2003~08年までアイジー工業に営業部課長として出向。チリ現地法人の副社長、ブラジル住友商事取締役などを経て20年にアイジーに工業執行役員として復帰、23年6月から社長。プロ野球・阪神タイガースの熱心なファンとして知られる。53歳。
2023年11月24日
庄司 修(しょうじ・おさむ)1975年(昭和50年)山形市生まれ。山大附属小・中学校、山形東高から東北大経済学部に進み、卒業後、トヨタ自動車グループの総合商社・豊田通商へ。自動車部品輸出などを担当、南アフリカやインドでの新規事業の立ち上げなどに携わったほか、労働組合委員長、トヨタへの出向も経験。2023年3月に顧客統括部室長を最後に同社退職、4月、ヤマケン4代目社長で現会長の父・亨氏の後を襲って5代目社長に就任。山建工業(山形市)、山建設備(同)社長、ヤマケンマシナリー(同)専務も兼ねる。48歳。
2023年11月10日
渡辺 裕太(わたなべ・ゆうた)1989年(平成元年)、俳優でタレントの故・渡辺徹さんと歌手でタレントの榊原郁恵さん夫婦の長男として東京都で生まれる。幼稚園から高校までを和光学園で過ごし、武蔵野大学人間科学部社会福祉学科に進む。高校時代まで「芸能界に興味がなかった」が、大学で受けた演劇の授業をきっかけに俳優業に興味を持つようになり、在学中に明治座アカデミーの12期生となる。2010年に舞台初出演。12年に劇団マチダックスを立ち上げ、舞台公演のほかタレント活動を始める。14年から日本テレビ「news every.」の中継コーナー、16年から同「所さんの目がテン!」の実験プレゼンターとしてともにレギュラー出演している。野菜ソムリエの資格を持つ34歳。
2023年10月27日
尾形 幸広(おがた・ゆきひろ)1954年(昭和29年)山形市生まれ。市立1小、3中、山形南高から東京経済大経営学部に進み、卒業後に帰郷して市内の会計事務所で9年間勤務。88年に山形県食糧に転じ、同年に同社が米カリフォルニアで立ち上げた米粉製造工場に財務担当役員として出向。5年後に本社に戻り、5年間営業課長として働いた後、蔵王の森工場(上山市)工場長就任。2010年、同社が新潟市に設立した米粉工場の工場長も兼任。取締役を経て19年から社長。69歳。
2023年10月13日
長谷山 裕(はせやま・ひろし)1958年(昭和33年)酒田市で生まれ、山形市で育つ。市立6小→市立6中→日大山形高を経て早稲田大社会科学部へ。卒業後の81年に日本リクルートセンター(現リクルート)入社、広告営業に携わるも「リクルート事件」を機に89年退社、オーストラリアに渡りレストランやカラオケクラブを経営する。91年に帰郷し、奥さんの実家である多田木工(天童市)で働くうち、97年に同社の広告代理店としてバリュー・クリエーションを創業。2000年に不動産業、05年に住宅建築業に進出するなど業容を拡大中。県宅地建物取引業協会副会長、徳良湖ヨット倶楽部理事長なども務める。64歳。
2023年9月22日
●(ジェイコブ・コーラー)1980年、米アリゾナ州フェニックス生まれ。4歳からピアノを始め、高校時代に即興演奏の自由さに惹かれてジャズバンドに入部、ジャズピアニストとしての道を歩み始める。米国を中心にバンドのバック演奏などで活躍していた2004年に初来日し、演奏中に知り合った日本人女性と05年に結婚、09年に日本に移住した。その後、ソロやCD発売、ユーチューブ投稿など活動の幅を広げ、ストリートピアノ演奏でも首都圏を中心に全国各地を回っている。43歳。
2023年9月8日
佐藤 卓弥(さとう・たくや)1974年(昭和49年)山形市生まれ。千歳小→市立4中→山形南高を経て東京の大学に進学。情報学を学び、東京でシステムエンジニアとして働く。3年後に帰郷、サトイモの生産・加工・販売を手がける実家のさとう農園へ。16年から社長。19年には「日本一の芋煮会フェスティバル」実行委員長を務めた。49歳。
2023年8月25日
東海林 武(とうかいりん・たけし)1986年(昭和61年)山形市生まれ。鈴川小卒業後、野球留学のため大阪に転居。中学時代はボーイズリーグの名門「八尾フレンド」に所属し、同じ大阪のボーイズリーグ「羽曳野ボーイズ」所属のダルビッシュ有(現パドレス)と並び〝打の東海林、投のダルビッシュ〟と称された。強豪の上宮太子高、中央大で野球を続けるが、ケガに悩まされ、プロ入りを断念して日本生命に入社。2011年、創業者で父親の故・博氏に請われてセルヴァン入社。博氏の死去に伴い18年から社長。36歳。
2023年8月11日
岡崎 善七(おかざき・ぜんしち)1968年(昭和43年)山形市蔵王温泉生まれ。蔵王三小→蔵王二中→山形南高から明治大経済学部に進み、卒業した91年に帰郷、蔵王温泉で300年続く実家の温泉旅館「最上高湯 善七乃湯」へ。95年から97年にかけ磐梯熱海温泉(福島県郡山市)の大型旅館「栄楽館」での修業を経て実家に戻り、先代の父親の死去に伴い2008年から社長。22年3月に「靖」から改名。家業のかたわら、18年に平昌冬季五輪でスノーボード日本代表監督を務めた。4月、蔵王温泉観光協会の会長に選挙で就任。54歳。
2023年7月28日
石川 晴久(いしかわ・はるひさ)1979年(昭和54年)南陽市生まれ。日大山形から日本工学院八王子専門学校放送芸術科に進み、卒業後、東京でテレビ番組制作会社や各種サービス業などを遍歴。2008年に帰郷し父親が創業した舗装工事業の南陽総建(現アスヲ)に入社するも、不動産業への進出を期して10年に退社、県内最大手のクリエイト礼文(山形市)へ。2年の修業を経て12年に専務として家業に戻り、16年に社長就任。19年に社名を「明日を、想う。」の意味を込めてアスヲに変更した。22年から住宅業に参入。44歳。
2023年7月14日
須藤 吉実(すとう・よしみ)1954年(昭和29年)山形市生まれ。南山形小→南山形中(現・山形九中)→山形工業を経て上京、専門学校の中央工学校(東京・北区)で建築設計を学ぶ。卒業後に帰郷、複数の地元工務店で実務経験を積んだ後、85年(昭和60年)に祖父が23年(大正12年)に創業した家業の須藤建設に専務として入社。99年(平成11年)から社長。69歳。
2023年6月23日
後藤 希望(ごとう・のぞみ)1985年(昭和60年)南陽市生まれ。米沢商業から仙台市のヘアメーク専門学校に進み、卒業後、ヘアメークアーティストとして仙台市を拠点に活動。2016年と17年には、パリ、ミラノ、ロンドンと合わせ「世界4大コレクション」と呼ばれるニューヨーク(NY)コレクションに参加し、世界トップレベルのモデルのヘアメークやセットを担当した。出産を機に20年に帰郷、22年11月赤湯でヘアメーク専門店「ancoco(アンココ)」を開業。37歳。
2023年6月9日
山口 長一(やまぐち・ちょういち)1955年(昭和30年)南陽市生まれ。赤湯園芸高(現在の南陽高)卒業後、同市坂井で酪農と米作を営む実家で就農。その後、酪農を専業に乳牛の飼養頭数を75年までに50頭、89年までに100頭、2002年までに300頭に増やし、2002年に会社組織化した山口ファームは県内で2番目の規模を誇る。10年から南陽市酪農組合組合長、18年から県酪農業協同組合代表理事組合長。東北生乳販売農業協同組合連合会理事、全国酪農業協同組合連合会理事なども務める。68歳。
2023年5月26日
本名・片桐悠吾(かたぎり・ゆうご)。1993年(平成5年)東京都町田市生まれ。都立町田高を卒業後、一度東京を離れてみたいという思いと、母親が南陽市出身だったこともあり山形大人文学部に進む。在学中に落語に興味を持ち、落語家になることを決意。卒業後に立川志らくに入門、7年間の修業を経て今年1月に二ツ目に昇進した。5月27日、山形市の遊学館で「二ツ目昇進落語会」を開催する。30歳。
2023年5月12日
川合 勝芳(かわい・かつよし)1955年(昭和30年)上山市生まれ。山形工業機械科を卒業後、山形
市内の設計会社に入社。勤務の傍ら山形工業建築科(定時制)を卒業。その後、山形駅前での喫茶店
経営などを経て79年、父親が76年に創業した曙印刷へ。常務を経て92年から社長。これまでに山形商
工会議所青年部会長、第4回、第10回日本一の芋煮会フェスティバル実行委員長などを務めたほか、
現在も山形商工会議所の企画委員長、県印刷工業組合専務理事、県バレーボール協会専務理事、県中
小企業家同友会代表理事などを務める。68歳。
2023年4月28日
高橋 千秋(たかはし・ちあき)1959年(昭和34年)山形市生まれ。城北高から山形女子短期大に進み、卒業後、県立やまなみ学園(長井市)、総合コロニー希望が丘(川西町)などを経て86年に向陽園(山形市)へ。2005年、同園内で馬との触れ合いを通じて障害者などの心を癒すホースセラピー実践のための「まいんどパーク」を立ち上げる。18年に同園を退職後、22年3月、みはらしの丘で馬と触れ合える「うまのすけカフェ」をオープンさせた。07年から開催されている「日本一たのしいやまがた馬まつり」の実行委員長も務める。63歳。
2023年4月14日
山川まどか(やまかわ・まどか)1987年(昭和62年)山形市生まれ。市立一小、同三中、山形工業を経て東北芸術工科大学情報デザイン学科を卒業後、蔵王四季のホテル入社。2010年、結婚を機に同ホテル退社、成沢西のカフェ「茶蔵山形店」で修業を積んだ後、14年に蔵王半郷に「ミツバチガーデンカフェ」、18年に「庭園喫茶錦」をオープン。35歳。
2023年3月24日
馬道雄一(うまみち・ゆういち)1981年(昭和56年)東京・飯田橋の老舗中華料理店「おけ以」の3代目オーナー、馬道仁さんの長男として板橋区で生まれる。高校を卒業後、勤務先のスポーツクラブで酒田市出身の愛さんと知り合い、2009年、結婚を機に酒田に移り住む。19年におけ以の冷凍餃子を全国に発送する酒田工場を開設、22年からは県内8カ所で冷凍餃子の自動販売機事業に乗り出している。41歳。
2023年3月10日
川口 隆(かわぐち・たかし)1976年(昭和51年)天童市生まれ。日大山形高から日大に進み、大学院建築工学科を卒業後、都市計画などをプランニングするアイテック計画(東京)入社。1級建築士などの資格を取得し3年後にUターン、父親が創業した不動産売買・賃貸の弘栄不動産へ。2008年、父親の急逝に伴い32歳で社長就任。47歳。
2023年2月24日
清水 恒吉(しみず・つねよし)1938年(昭和13年)上山市の老舗和菓子店・福屋菓子店(現・モントレーふくや)で男女9人兄弟の6番目に生まれる。山形商業から東京製菓学校に進み、卒業後、実家でパン職人の道へ。64年に古銭を扱う有限会社・南鐐を創業、山形市十日町に店を構える。商売の傍ら、長年の研究成果をまとめた著書を出版しようと69歳で放送大学に入学、4年後に卒業した。県貨幣研究会会長、日本貨幣協会参事なども務める。85歳。
2023年2月10日
浦山ゆう子(うらやま・ゆうこ)1971年(昭和46年)米沢市生まれ。米沢女子高(現・九里学園高)を卒業後、私立学校教職員共済組合、ヤマハリビングショールームを経て2002年にインテリアコーディネーターの資格を取得し、内装会社で実績を積む。08年に山形市の自宅でクリエーションイマジンを個人創業、12年に会社組織化して本町に移転。業容拡大に伴い22年に仙台市にも進出。2女の母。51歳。
2023年1月27日
小関敏彦(こせき・としひこ)1956年(昭和31年)川西町生まれ。米沢興譲館高から新潟大農学部に進み、卒業後、県内の酒造会社を経て80年県職員に。県工業技術センターを拠点に酒づくりの指導一筋に歩み、山形を日本トップレベルの酒どころに押し上げた。2016年、同センター所長を最後に県職員を定年退職、以後は県産酒スーパーアドバイザー、山形大客員教授なども務める。地域づくり総務大臣表彰、県科学技術賞、文化庁長官表彰など数多くの受賞歴に輝く。66歳。
2023年1月13日
伊藤 誠(いとう・まこと)1969年(昭和44年)山形市生まれ。市立七小、同二中、山形工業高から八戸工業大工学部電気工学科に進み、卒業後に独立系の電気設備工事で最大手の東光電気工事(東京)へ。同社東北支社で15年勤務した後、2006年に実家の城北電気工事に専務として入社。16年から社長。県中小企業家同友会山形支部長も務めた。53歳。
2022年12月23日
中沢 智治(なかざわ・ともはる) 1974年(昭和49年)埼玉県入間市生まれ。東京国際大(川越市)商学部卒業後、首都圏の大手スポーツジムでトレーナーとしてのスキルを磨く。2008年に独立、現在はフィットネスコンサルタント業のほか、「日本最高齢のフィットネスインストラクター」として知られる瀧島未香(タキミカ)さんのパーソナルトレーナーを務める。14年に奥さんの出身地・山形市に拠点を移し、高齢者からでも始められる〝タキミカ体操〟の普及に向け全国を奔走している。20年、「トレーナー・インストラクター・オブ・ザ・イヤー」最優秀賞。48歳。
2022年12月9日
阿部 勝重(あべ・かつしげ)1967年(昭和42年)山形市生まれ。山大附属小・中学から山形南高に進み、県外の大学を卒業して広告代理店の山形アドビューロへ。13年間営業に従事した後に脱サラし、西田にラーメン店「ケンチャンラーメン山形」を開業。広告代理業やアパート経営のほか、一時は焼き肉店「焼肉千歳」、パン店「KOUB」「TENN.」のプロデュースも手掛けた。55歳。
2022年11月25日
結城 伸太郎(ゆうき・しんたろう) 1980年(昭和55年)に神奈川県川崎市で生まれ、6歳から上山市に移り住む。市立南中を卒業後、市内の土木会社へ。19歳で塗装の世界に飛び込み、21歳の01年に1人で「ゆうき総業」設立。以後、順調に会社規模を拡大、現在は従業員32人、売上高は6億円。全国の塗装会社約230社で組織するボランティア団体「塗魂ペインターズ」副会長も務める。42歳。
2022年11月11日
鈴木 智晃(すずき・ともあき)1977年(昭和52年)朝日町生まれ。西五百川小、朝日中、山形中央高を経て仙台の専門学校に進み、卒業後、地元の朝日町ワインに就職。19年間ワイン醸造とブドウ栽培に携わった後、一念発起して2017年に独立しワイナリー「ベルウッドヴィンヤード」を創業。20年から自社醸造を始め、今年で3年目を迎える。山形市在住、44歳
2022年10月28日
村山 修(むらやま・おさむ) 1962年(昭和37年)山形市生まれ。市立三小、同五中、山形南高を経て専修大経済学部に進み、卒業後、県内の米穀卸会社で組織する山形県食糧事業協同組合連合会(県食連)グループの山形米穀商業協同組合へ。96年、県食連が米穀事業を系列の東北食糧に移管したことに伴い同社へ転籍。一貫して営業畑を歩み、部長、常務を経て2021年5月から社長。系列の不動産会社「両羽不動産」社長も兼ねる。60歳。
2022年10月14日
赤塚 治美(あかつか・はるみ) 1967年(昭和42年)山形市生まれ。市立十小、同二中、日大山形高を経て山形芸術学園専門部美容科に進み、卒業後に東京や名古屋で美容師としての勉強を積む。89年に帰郷、母親が錦町で経営していた「白ばら美容室」へ。2010年に大手町でヘアサロン「ヘアウィズウォーター」を開業、16年に法人化して社長に就任。県中小企業家同友会の女性部会会長も務めた。2女の母。54歳。
2022年9月23日