徹底して山形に密着したフリーペーパー

編集長インタビュー

山口 長一(やまぐち・ちょういち)1955年(昭和30年)南陽市生まれ。赤湯園芸高(現在の南陽高)卒業後、同市坂井で酪農と米作を営む実家で就農。その後、酪農を専業に乳牛の飼養頭数を75年までに50頭、89年までに100頭、2002年までに300頭に増やし、2002年に会社組織化した山口ファームは県内で2番目の規模を誇る。10年から南陽市酪農組合組合長、18年から県酪農業協同組合代表理事組合長。東北生乳販売農業協同組合連合会理事、全国酪農業協同組合連合会理事なども務める。68歳。
2023年5月26日
本名・片桐悠吾(かたぎり・ゆうご)。1993年(平成5年)東京都町田市生まれ。都立町田高を卒業後、一度東京を離れてみたいという思いと、母親が南陽市出身だったこともあり山形大人文学部に進む。在学中に落語に興味を持ち、落語家になることを決意。卒業後に立川志らくに入門、7年間の修業を経て今年1月に二ツ目に昇進した。5月27日、山形市の遊学館で「二ツ目昇進落語会」を開催する。30歳。
2023年5月12日
川合 勝芳(かわい・かつよし)1955年(昭和30年)上山市生まれ。山形工業機械科を卒業後、山形市内の設計会社に入社。勤務の傍ら山形工業建築科(定時制)を卒業。その後、山形駅前での喫茶店経営などを経て79年、父親が76年に創業した曙印刷へ。常務を経て92年から社長。これまでに山形商工会議所青年部会長、第4回、第10回日本一の芋煮会フェスティバル実行委員長などを務めたほか、現在も山形商工会議所の企画委員長、県印刷工業組合専務理事、県バレーボール協会専務理事、県中小企業家同友会代表理事などを務める。68歳。
2023年4月28日
高橋 千秋(たかはし・ちあき)1959年(昭和34年)山形市生まれ。城北高から山形女子短期大に進み、卒業後、県立やまなみ学園(長井市)、総合コロニー希望が丘(川西町)などを経て86年に向陽園(山形市)へ。2005年、同園内で馬との触れ合いを通じて障害者などの心を癒すホースセラピー実践のための「まいんどパーク」を立ち上げる。18年に同園を退職後、22年3月、みはらしの丘で馬と触れ合える「うまのすけカフェ」をオープンさせた。07年から開催されている「日本一たのしいやまがた馬まつり」の実行委員長も務める。63歳。
2023年4月14日
山川まどか(やまかわ・まどか)1987年(昭和62年)山形市生まれ。市立一小、同三中、山形工業を経て東北芸術工科大学情報デザイン学科を卒業後、蔵王四季のホテル入社。2010年、結婚を機に同ホテル退社、成沢西のカフェ「茶蔵山形店」で修業を積んだ後、14年に蔵王半郷に「ミツバチガーデンカフェ」、18年に「庭園喫茶錦」をオープン。35歳。
2023年3月24日
馬道雄一(うまみち・ゆういち)1981年(昭和56年)東京・飯田橋の老舗中華料理店「おけ以」の3代目オーナー、馬道仁さんの長男として板橋区で生まれる。高校を卒業後、勤務先のスポーツクラブで酒田市出身の愛さんと知り合い、2009年、結婚を機に酒田に移り住む。19年におけ以の冷凍餃子を全国に発送する酒田工場を開設、22年からは県内8カ所で冷凍餃子の自動販売機事業に乗り出している。41歳。
2023年3月10日
川口 隆(かわぐち・たかし)1976年(昭和51年)天童市生まれ。日大山形高から日大に進み、大学院建築工学科を卒業後、都市計画などをプランニングするアイテック計画(東京)入社。1級建築士などの資格を取得し3年後にUターン、父親が創業した不動産売買・賃貸の弘栄不動産へ。2008年、父親の急逝に伴い32歳で社長就任。47歳。
2023年2月24日
清水 恒吉(しみず・つねよし)1938年(昭和13年)上山市の老舗和菓子店・福屋菓子店(現・モントレーふくや)で男女9人兄弟の6番目に生まれる。山形商業から東京製菓学校に進み、卒業後、実家でパン職人の道へ。64年に古銭を扱う有限会社・南鐐を創業、山形市十日町に店を構える。商売の傍ら、長年の研究成果をまとめた著書を出版しようと69歳で放送大学に入学、4年後に卒業した。県貨幣研究会会長、日本貨幣協会参事なども務める。85歳。
2023年2月10日
浦山ゆう子(うらやま・ゆうこ)1971年(昭和46年)米沢市生まれ。米沢女子高(現・九里学園高)を卒業後、私立学校教職員共済組合、ヤマハリビングショールームを経て2002年にインテリアコーディネーターの資格を取得し、内装会社で実績を積む。08年に山形市の自宅でクリエーションイマジンを個人創業、12年に会社組織化して本町に移転。業容拡大に伴い22年に仙台市にも進出。2女の母。51歳。
2023年1月27日
小関敏彦(こせき・としひこ)1956年(昭和31年)川西町生まれ。米沢興譲館高から新潟大農学部に進み、卒業後、県内の酒造会社を経て80年県職員に。県工業技術センターを拠点に酒づくりの指導一筋に歩み、山形を日本トップレベルの酒どころに押し上げた。2016年、同センター所長を最後に県職員を定年退職、以後は県産酒スーパーアドバイザー、山形大客員教授なども務める。地域づくり総務大臣表彰、県科学技術賞、文化庁長官表彰など数多くの受賞歴に輝く。66歳。
2023年1月13日
伊藤 誠(いとう・まこと)1969年(昭和44年)山形市生まれ。市立七小、同二中、山形工業高から八戸工業大工学部電気工学科に進み、卒業後に独立系の電気設備工事で最大手の東光電気工事(東京)へ。同社東北支社で15年勤務した後、2006年に実家の城北電気工事に専務として入社。16年から社長。県中小企業家同友会山形支部長も務めた。53歳。
2022年12月23日
中沢 智治(なかざわ・ともはる) 1974年(昭和49年)埼玉県入間市生まれ。東京国際大(川越市)商学部卒業後、首都圏の大手スポーツジムでトレーナーとしてのスキルを磨く。2008年に独立、現在はフィットネスコンサルタント業のほか、「日本最高齢のフィットネスインストラクター」として知られる瀧島未香(タキミカ)さんのパーソナルトレーナーを務める。14年に奥さんの出身地・山形市に拠点を移し、高齢者からでも始められる〝タキミカ体操〟の普及に向け全国を奔走している。20年、「トレーナー・インストラクター・オブ・ザ・イヤー」最優秀賞。48歳。
2022年12月9日
阿部 勝重(あべ・かつしげ)1967年(昭和42年)山形市生まれ。山大附属小・中学から山形南高に進み、県外の大学を卒業して広告代理店の山形アドビューロへ。13年間営業に従事した後に脱サラし、西田にラーメン店「ケンチャンラーメン山形」を開業。広告代理業やアパート経営のほか、一時は焼き肉店「焼肉千歳」、パン店「KOUB」「TENN.」のプロデュースも手掛けた。55歳。
2022年11月25日
結城 伸太郎(ゆうき・しんたろう) 1980年(昭和55年)に神奈川県川崎市で生まれ、6歳から上山市に移り住む。市立南中を卒業後、市内の土木会社へ。19歳で塗装の世界に飛び込み、21歳の01年に1人で「ゆうき総業」設立。以後、順調に会社規模を拡大、現在は従業員32人、売上高は6億円。全国の塗装会社約230社で組織するボランティア団体「塗魂ペインターズ」副会長も務める。42歳。
2022年11月11日
鈴木 智晃(すずき・ともあき)1977年(昭和52年)朝日町生まれ。西五百川小、朝日中、山形中央高を経て仙台の専門学校に進み、卒業後、地元の朝日町ワインに就職。19年間ワイン醸造とブドウ栽培に携わった後、一念発起して2017年に独立しワイナリー「ベルウッドヴィンヤード」を創業。20年から自社醸造を始め、今年で3年目を迎える。山形市在住、44歳
2022年10月28日
村山 修(むらやま・おさむ) 1962年(昭和37年)山形市生まれ。市立三小、同五中、山形南高を経て専修大経済学部に進み、卒業後、県内の米穀卸会社で組織する山形県食糧事業協同組合連合会(県食連)グループの山形米穀商業協同組合へ。96年、県食連が米穀事業を系列の東北食糧に移管したことに伴い同社へ転籍。一貫して営業畑を歩み、部長、常務を経て2021年5月から社長。系列の不動産会社「両羽不動産」社長も兼ねる。60歳。
2022年10月14日
赤塚 治美(あかつか・はるみ) 1967年(昭和42年)山形市生まれ。市立十小、同二中、日大山形高を経て山形芸術学園専門部美容科に進み、卒業後に東京や名古屋で美容師としての勉強を積む。89年に帰郷、母親が錦町で経営していた「白ばら美容室」へ。2010年に大手町でヘアサロン「ヘアウィズウォーター」を開業、16年に法人化して社長に就任。県中小企業家同友会の女性部会会長も務めた。2女の母。54歳。
2022年9月23日
阿部 秀顕(あべ・ひであき) 1970年(昭和45年)山辺町生まれ。山辺中、寒河江高、岩手大農学部畜産学科を経て93年に父親が創業した山形ピッグファームへ。在籍しながら94~95年に米アイオワ州と英ヨークシャー州で豚の飼育や人工授精のノウハウを学んだ後に帰国、専務などを経て2010年に社長就任。県中小企業家同友会副代表理事も務める。51歳。
2022年9月9日
鈴木 將由(すずき・まさよし) 1980年(昭和55年)山形市生まれ。市立八小、同一中、山本学園高を経て仙台デザイン専門学校に進み、卒業後、大手建設会社の山形営業所へ。2年後に地元総合建築業の小野建設(山形市)に転じ、現在は企画デザイン部課長。山形商工会議所青年部には12年に入会、9月18日に開催予定の「第34回日本一の芋煮会フェスティバル」実行委員長を務める。42歳。
2022年8月26日
長谷川 吉之介(はせがわ・きちのすけ) 紅花商人の流れを汲む谷長谷川家6代目当主・長谷川憲治氏の長男として1974年(昭和49年)に大阪府門真市で生まれ、8カ月後に山形市に移り住む。山大附属小・中学校から同志社香里高(大阪府寝屋川市)に進み、同志社大経済学部卒業後、実家の電気機械器具卸のマルタニへ。常務、専務を経て2019年社長就任。48歳。
2022年8月12日
野口 雅弘(のぐち・まさひろ) 1973年(昭和48年)山形市生まれ。金井小、金井中、日大山形高を経て国士舘大政経学部2部に進み、卒業後、父親が84年に創業した一般貨物自動車運送の晃永運輸へ。ドライバー、運行管理者、取締役を経て2016年から社長。12年に山形青年会議所(山形JC)理事長、17年に山形商工会議所青年部(山形YEG)専務理事を務めたほか、現在は天童市倫理法人会会長も兼ねる。49歳。
2022年7月22日
難波 美香(なんば・みか)1966年(昭和41年)鶴岡市生まれ。地元高校を卒業後、OL生活を経て地元で結婚、93年にご主人の転勤で南陽市に移り住む。98年、エニシオの前身で携帯電話販売の個人商店「ボイス」を創業。エニシオは現在、「auショップ南陽」、ペットトリミング・ペットホテル「プ・ドール」を展開しているほか、今年3月に南陽市赤湯のイオンタウン内に県内初の米粉バウムクーヘン専門店「こおどり庵」を開業した。55歳。
2022年7月8日
早坂 和男(はやさか・かずお)1972年(昭和47年)鶴岡市生まれ。酒田南高から亜細亜大経済学部に進み、卒業後、首都圏のテキスタイル会社に勤務。2年後に郷里に戻り、冠婚葬祭業が主体の実家のエルサングループ(鶴岡市)へ。レストラン事業のえるさん社長、医療食事業のサンフーズ社長、専務などを経て2009年からエルサン社長。6月に山形ウェディング協議会会長就任。49歳。
2022年6月24日
近藤 啓太郎(こんどう・けいたろう) 1974年(昭和49年)山形市生まれ。市立七中、上山農業高(現在の上山明新館高)を経て東京の建設会社に就職。3年後にUターンして父親が創業した一般住宅の建装へ。専務を経て2021年10月から社長。47歳。
2022年6月10日
戸田 雅大(とだ・まさお) 1955年(昭和30年)山形市生まれ。市立十小、山形南高から玉川大農学部農芸化学科に進み、卒業後、福島県酪農販売農業協同組合連合会(現・福島県酪農業協同組合)の牛乳工場へ。3年後に帰郷、父親が創業した牛乳製造の城西牛乳入社、専務を経て2003年に社長就任。県牛乳協会会長、県乳業協同組合理事長などのほか、特別養護老人ホーム「みこころの園」を運営する社会福祉法人・山形公和会理事長も務める。67歳。
2022年5月27日
土屋 和彦(つちや・かずひこ) 昭和51年(1976年)天童市生まれ。寒河江高から上武大学商学部(群馬県伊勢崎市)に進み、99年荘内銀行入行。山形南支店、山形営業部を経て2005年、03年に創業した訪問看護を手がけるユニバーサル山形に社長として入社。以来、業容を拡大させ、「在宅リハビリ看護ステーションつばさ」「居宅介護支援事業所つばさ」「グループホームつばさ」など18事業所を山形、天童、寒河江、米沢、仙台の各市で展開している。45歳。
2022年5月13日
南 浩史(みなみ・ひろし) 創業100有余年の歴史を持つ赤湯温泉の老舗旅館「瀧波」創業家の末っ子として1963年(昭和38年)南陽市で生まれる。米沢興譲館高から東大に進み、在学中に国家公務員上級職試験に合格。90年同大卒業後に建設省(現国土交通省)へ。97年近畿地方建設局課長を最後に退官、前年に結婚した奥さんの実家が経営する大島造船所(長崎県西海市)に転籍、2009年社長就任。14年、経営破綻した実家の瀧波の社長に転じ、約5億円をかけた大規模改修や客単価の見直しなどで経営を軌道に乗せる。東京に自宅があるが、現在は旅館内で事実上の〝単身赴任〟。58歳。
2022年4月22日
八巻 雅敏(やまき・まさとし) 1962年(昭和37年)米沢市生まれ。81年に米沢工業卒業後、東北パイオニア入社、同年から稼働した米沢事業所に配属。2005年OLED(有機EL)製造部長、10年同営業部長、18年同事業部長兼米沢事業所長などを経て19年取締役。22年1月、東北パイオニアが米沢事業所を100%出資の完全子会社「ソアー」に改組したのに伴い、同社初代社長に就任。米沢市在住、59歳。
2022年4月8日
渡邊 秀賢(わたなべ・ひでたか) 1975年(昭和50年)南陽市生まれ。長井高から明海大不動産学部(千葉県浦安市)に進み、98年卒業後、祖父が創業し父親が経営する不動産会社へ。2004年に山形第一不動産に改組する際に父親とともに共同代表、06年から代表取締役社長。社業のかたわら、空き家や空き地の利活用に取り組むNPO法人の設立に奔走、19年設立の「かみのやまランドバンク」理事長を務める。
2022年3月25日
佐藤 正幸(さとう・まさゆき) 1947年(昭和22年)酒田市で生まれ、中学1年から山形市に移り住む。山形商を卒業後、北海道浦河町の競走馬牧場・オーシャンファームへ。2年後に帰郷、義兄の父親が42年に大手町で創業した実験器具販売の山形成瀬器械店(現ナルセ)入社。部長、専務を経て94年から3代目社長。2014~18年に東北科学機器協会理事長も務めた。74歳。
2022年3月11日