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山形豊烈打毬保存会会長 大久保 靖彦 氏

2009年10月9日
大久保 靖彦(おおくぼ・やすひこ)1934年(昭和9年)東京都文京区生まれ。中央大学法学部卒業後、61年に索道会社の蔵王ロープウェイの設立に携わり社長に。亡父は衆議院議員や山形市長を務めた傳蔵氏。75歳。
山形豊烈打毬保存会会長 大久保 靖彦 氏

古式ゆかしい騎馬行事
   山形らしさで後世に——

——今年も10月6日に豊烈神社(山形市桜町)で古式ゆかしい「打毬(だきゅう)」が奉納されました。
 
現存するのは3カ所だけ

 「打毬は3人ずつ紅白に分かれた6人の騎士がゴルフボール大の毬を毬杖(きゅうじょう)と呼ばれる棒で的に投げ入れる騎馬行事。ルーツは紀元前6世紀のペルシャで、日本には平安時代に伝わりました」
 「山形に伝わったのは水野忠精公が移封してきた弘化2年(1845年)からで、現在も打毬が残っているのは豊烈神社以外では青森県八戸市の長者山新羅神社(ちょうじゃさんしんらじんじゃ)と宮内庁だけです」
 「この伝統文化を継承しようと3年前に『山形豊烈打毬保存会』を発足させ、このほど歴史と行事の様子を収めたDVD付き冊子も作りました」
 
先祖は大久保彦左衛門!
 
——保存会会長でいらっしゃいますけど、大久保さんの先祖って大久保彦左衛門なんですって?
 「そうだけど、正確には彦左の弟が先祖。彦左は旗本で徳川将軍家に仕える身分だったけど、弟の方は譜代大名の水野家に仕えたんだね」
 「その後、水野家11代目の忠邦公が『天保の改革』で失敗して長男の忠精公が浜松から山形に左遷される時、大久保家もつき従ってきたわけだ」
 「それから20年ほどして戊辰戦争や廃藩置県があって、殿様の水野家は東京に在住するようになるんだけど、家臣団は山形に残った。その残った山形水野藩の家臣団で構成するのが『香澄倶楽部』で毎年10月6日に集まることになってて、この日は水野家16代当主の忠俊公もお見えになる」
 
山形水野藩の家臣団

——忠俊公に2年前にインタビューしたんですけど、米沢の上杉家とか鶴岡の酒井家と違って何か地域との距離感があるみたいなことをポロッと嘆かれてましたよ。
 「だって水野家は山形に来て20年そこらでいなくなっちゃたんだもん。あっち(米沢や鶴岡)は江戸初期から連綿と続いたわけだし、それは無理もねえわなあ」
——大久保さん、べらんめえ口調でぜんぜん山形弁に染まりませんね。
 「無理にあわせてもヘンだしね(苦笑)」
 
伝統文化は継承

——打毬ですけど、ここまでこぎつけられたのは御同慶の至りですけど、普通ならとっくに

「俺たち何やってんだろ」「そろそろやめよ〜ぜ」みたいなことになるとこですけどね(苦笑)
 「そのあたりが山形らしいというか、いいとこなんだろうね(苦笑)」